逍遥たる誓いの剣、その35~ユーウェイン①~
だがこうなれば現在の正式な炎の魔女はミュスカデということになり、彼女は一度師匠の棲家に戻りその工房を自分の様式に修正すると、弟子時代は習得させてもらえなかった魔術書や他の資料や道具をひっかき集めてその場を後にした。旅の中でこれらを理解しながら、実践できなければならない。また自分の工房も作成しなければならない。やることは山積みだったが、グランシェルを殺した者が何者なのか、また何のために殺したのかは突き止めたいと思っていた。そして魔女にはあるまじき思考なのだが、必要とあれば仇も討ちたいとすら考えていたのだ。
そうして結局、修行や情報収集も兼ねて彼女は傭兵稼業を続けているというわけだった。その過程でコーウェンと知り合い、彼女の誘いに乗って今に至る。コーウェンはカザスの手紙もあり見込みがあったうえでこの傭兵団に入っているが、ミュスカデはその場の流れでついてきただけだった。今ではラーナやマイア、ラキアなどがいるこの傭兵団をとても興味深いと思っているが、この傭兵団そのものに義理があるわけでもない。そんな状況でアルフィリースをどこまで信頼すべきかミュスカデは悩んだが、ミュスカデもまた何かアルフィリースとは因縁浅からぬ予感というべきものがあった。初めて会ったはずなのに、どこかしら深くでつながっていると予感させる相手だった。
ミュスカデはぽつぽつと自らが知り得た魔女の団欒での出来事を、知る限り話し始めた。
***
リサとイプスが地下水路に潜る少し前、ユーウェインは同じ水路内に漂っていた。水路の中は清潔に整備されており、悪臭はあまり立ち込めていない。水路は暗闇ではなくところどころに灯りがともされ、ある程度は視界がきくようになっている。これは水路内を点検、整備する者たちへの配慮である。ユーウェインは完全なる暗闇では視界がきかないため、これは彼にとってもありがたい環境であった。丁度よい加減の宵闇が、彼の思考を普段は向かわない方向へ向けていた。
彼は最初にブラディマリアにこのアルネリアに潜伏するように命じられ、困惑する反面、どこかで安堵する気持ちもあった。ブラディマリアは主人として申し分ない力量を持つが、同時にこの上ない恐怖の対象である。
ブラディマリアは残虐である。彼女が気分次第で一つの種族を滅亡させる、あるいは一つの町や村を虐殺する場面など山のように見てきたし、それをまたユーウェインは間違っているとも思わない。彼女は生まれながらにして絶対的な支配者であり、女王である。人間が家畜を殺すことと、なんら変わりがないと思っている。ユーウェイン自身にとっても、人の悲鳴など水飛沫の音となんら変わりがないのだ。ならば、ブラディマリアにとっても自らの悲鳴は同じではないのか。そう考えると、ユーウェインは震えが止まらなかった。
かくしてユーウェインは命令を聞いたとき、ブラディマリアの前で跪き、安堵する気持ちを抑えながら振る舞うことに執心することに全力を注いでいた。仮にその内心を悟られようものなら、何をされても文句は言えなかっただろう。
ユーウェインは水路内に漂いながらそんなことを思い出していたのだ。ユーウェインはブラディマリアとミリアザールの因縁についてもなんとなく想像がついてはいるが、ブラディマリアもまだそれほど本気ではないのかと思う。もし本気なら、この町ごと吹き飛ばしていることを躊躇するはずがない。だからアルネリアを見張れと言われても、それほど真剣に見張っているわけではなかった。ブラディマリアの意図は、一応オーランゼブルの顔を立てておくかという程度のものだと考えた。
ユーウェインにしてみれば、水に漂って意識を拡散させるのは気分が良いことであると同時に、何の労力もなく行える動作である。彼は存分にその感覚を楽しんでいた。と、そこに異物が混入されたのをユーウェインは感じたのである。
「また聖水か・・・面倒だな」
アルネリア教会は深緑宮に使用している聖水の結界の一部をこちらに排水している。多くは悪霊などの闇属性の者に有効な聖水だが、一口に聖水といっても様々な種類があり、特定の亜人や魔物にも有効な聖水というものは存在するようだ。事実ユーウェインにとっても有害な種類のものは存在し、一度この水路で漂っていて思わぬ打撃を受けたことがある。アルネリアはこの水路に邪なものがはびこらぬよう、このような仕組みを作りだしたのである。
ユーウェインは水路に混入した聖水の存在を察知し、天井に張り付くようにして避けた。水に入ってさえいれば感知能力はアルネリア全域にわたるユーウェインの能力は、リサのセンサーの範囲を軽く上回る。この水路にも面白半分で侵入する者はまれにいるため、アルネリアは地下水路内の巡回を定期的に行っているが、ユーウェインはそれらの巡回をいち早く察知することができた。この水路は様々なところから水が流入するため、それら全てを避けて歩くことは不可能だからだ。
ゆえにユーウェインにとってこの水路は多少気を使うだけで、見つかることなく敵地でありながら快適に過ごしていたのだった。マスカレイドに何を言われようと、この水路が快適かつ便利な潜伏場所であることには変わらず、少し水路から手を伸ばしてそこかしこの食物を取ることは、人間がベッドの中から手を伸ばして何かを探ることと気楽さの点において相違なかったのだ。そこに油断があったのは正直否定できないし、ユーウェインに人間の世界の常識が備わっていなかったのは、やむをえないことでもある。
だからユーウェインは水路に入ってきたリサとイプスには気が付いており多少の警戒もしていたが、もう一人の侵入者には気が付きもしなかったのである。
続く
次回投稿は、3/16(日)12:00です。