逍遥たる誓いの剣、その5~情報屋③~
暗がりでほとんど少年の姿もまとお見えない部屋の中、少年はぺらぺらと話を続けた。
「・・・でね、その仲間が言うわけさ。お前は全然なっていないってね。でも俺に言わせれば、なってないのは全員さ。だって、誰も彼もどうせお師匠様に操られているんだから」
「・・・それならお前もそうなんじゃないのか」
「お、反応したね。確かに君の言う通り、僕もまだあの人の支配下から抜け出せていない可能性はある。だから他の誰かを動かすのさ。いくらなんでも、会ったこともない奴を支配下におくのはあの魔法使いでも無理だろうからね。
だけどあの魔法使いの弱みを僕は知っている。最後に勝つのは僕さ」
「そうなるといいが、知っているか?」
「?」
「悪が世に栄えた試しはない」
「何が正義で何が悪かは、後世の批評家が決める。僕はただ自分の信じた道を行くだけさ」
少年がニヤリと笑ったが、男は理解していた。少年は自らがまごうことなき悪であると知っている。その上でこのような言葉を吐いているのだ。やはり会話などするのではなかった。男は不快感しか覚えない会話に、いまさらそのような感想を抱いていた。
ちょうどその時、部屋に入ってくる者がいた。のそのそと部屋に入ってきた小男は、醜い老人の姿をしていた。吹き出物から膿が飛び出し、異臭を放つその姿に男は思わず鼻をつまんだ。異様な姿は嫌悪感をもよおすが、それ以上に男は直感している。この者は、『人間』ではないと。もう一人の少年は人間の要素も含んでいたが、この者は根本が違っていた。
戸惑う男の姿を見て、老人だと思われていた人物は少年のような高い声で話しかけてくる。
「キミがこの子供の伯父さん?」
「ああ、そうだ」
その老人のような少年、いや少年のような老人なのだろうか。おそらくは前者であろうと想定したが、その者の背後には確かに男の甥が立っていた。ベッドの上から出て歩く姿を見るのは久しぶりになる。やせ細ってもう食事もろくにとれなかったはずだった甥だ。自分と違い善良で真面目だった、歳の離れた弟の忘れ形見。なぜそのような善人が自分のような小悪党より早く死んだのか、悔やまれてならない。
男は甥の方に歩くと、その体を思わず抱きしめた。
「本当に元気になったのだな、よかった・・・」
「おじさん・・・」
老人のような少年はすっとその傍から離れる。気遣ったのかどうかは知らないが、その少年が妙にニタニタと嫌な笑みを浮かべていたのが気になった。
そして男は改めて自分の甥の顔を見ると、どこか呆けたような表情をしている。病弱ではあるが、知性はしっかりとした甥であったはずなのだが。男は甥の目に宿る奇妙な光を見て、思わず少年たちを問い詰めた。
「貴様ら、この子に何をした!?」
「べっつにぃ。ちゃんと依頼通り、動ける体にしてあげただけさ。ただ、方法は問われていないけどね」
「そうだね~、確かに方法は指定されなかった」
「方法・・・だと?」
男が身を乗り出そうとした時、甥が男の腕をつかんだ。その細い体のどこにそんな力があるのかと言いたくなるほどの怪力。男の骨が軋み始めると、少年達はその邪悪さを徐々に露わにし始める。
「キミね、気持ちはわかるけど分不相応な望みだよ。何を対価にしても叶わない望みはあるってわかってる? その甥御さんね、何をどうやってもまともな方法じゃ助からないよ。治療法がない病でも、薬によっては苦痛を和らげたり無理にでも動かすことは可能だけど、さすがにその子みたいに進行しているともう無理だね。だから少々強引な方法を取った。まあこっちはそれが目的だったから丁度良いのだけど」
「何を、した?」
その時、男の腕の骨が折れる音が聞こえた。男は苦痛に顔を歪めながら、それでも質問を止めない。結末は分かっている。だが、こんな方法である必要はないと思ってしまうのだ。
少年たちはそのような必死の男の顔を見て、さも楽しそうに笑っていた。
「その子に使った薬は『エクスぺリオン』って呼んでる。言ってしまえば体の組成を作り変えて、強化する薬だ。魔王を手軽に作り出せる薬と言ってもいいね。ただ本人の意識が残るか否かはその人次第。意志が凄まじく強ければあるいは自分の意識を残したままいられるかもしれないけど、まだそんな個体はいないな~。
でも本能らしきものは残るんだろうね。その子は難病に侵されながらも、伯父さんの事を案じていたから、キミの傍にきたんだろう。ただ、どういう方法でキミの傍にいようとするかは知らない」
「く・・・なんというものを飲ませた!」
「飲ませても体に打ち込んでもいいんだけどね。あ、一つ断っておくけど、その薬を打たれた者は凄まじい破壊衝動に駆られる。対象が大切ならば、おそらく慈しみながら壊すだろうね。なんとも業が深いじゃあないか」
その声に呼応したのか、甥である少年の口は裂け、体の中から肉が隆起し、その体は変貌を始めていた。その様子を見て、ドゥームとアノーマリーは手をぱんと叩きあった。思うように実験が成功した成果を、二人で確かめ合った、というところだろう。
そしてドゥームはくるりと踵を返すと、その部屋から去ろうとする。
「どこに行くんだい?」
「もう用は済んださ、仕事に戻る。ミーシアの『闇化』はこれで完了だし、お師匠様の仕事もこなしておかないと怪しまれるからね。それに他にやる事も山のようにあるから、こう見えても忙しいんだよ。
アノーマリーはこれで研究も一段落だろう?」
「まあ一応は成果を見たね。だけど、今度はこいつらがどのくらい運用できるかの実験をしないといけない。また南部戦線か西側にでも魔王を放つことになるかもしれないね」
「ああ、そうか――こいつらの寿命は数日しか持たないんだっけ?」
「―――鋭意実験中さ」
「そっか、じゃあ僕は仕事に戻るよ。また何か面白そうなことや協力できることがあったら教えておくれ。君と僕は共犯者だからねぇ」
ドゥームが含み笑いを残して去った。ドゥームは事実この後、遺物の探索など、山のように仕事を残していたため、頭の中は次の予定で一杯であった。男にぺらぺらと色々な事を話したのも、仕事の合間の鬱屈解消に他ならない。
だがアノーマリーはドゥームが去ると、その場で大きくため息をついた。それは、ドゥームの迂闊さについてであった。アノーマリーは部屋の隅でじっとしている、蛾の群れに目をやった。
「(うかつな奴だなぁ、自分自身は色んなところに網を張って情報収集しているのに、どうして他の奴もそうだとは思わないのか・・・肝心な事を相談するのには不足だね。ドゥームがもうちょっと信頼できる奴なら、『もっと先』の話もできたんだけどなぁ。
まあこっちも、最初から誰にも相談するつもりはないんだけどさ。ボクの研究は十分進んだし、これからはひたすら実地を繰り返すことが重要になる。候補の土地としては東の大陸、南の大陸、この大陸の南や西は状況が落ち着いてきているから、北が適切か。隔絶された土地も使うとするか。
さて、急がないとね。ドゥームの闇化の速度を見ていれば、オーランゼブルの計画発動まであまり時間はないかもしれない。その前にこちらも準備をしておかないと、手遅れなんてことになりかねない。最悪、他の魔術士たちを仕留める算段もしておかないとなぁ)」
アノーマリーがそのような事を考えながら先ほどの人間達に目を向けると、鈍い咀嚼音が聞こえてきたところだった。涙を流しながら先ほどまで自分の伯父だった肉をついばむその姿を見て、アノーマリーはぶるりと体を震わせた。
「やっぱり人間は業が深いなぁ・・・キミもそう思うでしょう?」
それだけを蛾の群れに向かって言い残すと、アノーマリーはその部屋から去る。蛾の群れの中に、一匹だけ蝶が混じっていたことを、アノーマリーは知っていた。
続く
次回投稿は、1/15(水)17:00です。