獣人の国で、その42~裏切り者⑦~
「なるほど、やっぱりテメエ自身はここにいないな。ウィスパー、お前の能力の正体を俺はなんとなく知っている。だが今確信に変わったぜ。お前ができるのは人の遠隔操作ではなく、人に対する命令の刷り込みだ。何かしらの発動条件はあるんだろうが、お前はアムールの意識を通じてこちらを見ているわけじゃない。今俺とやり取りをしているのも、そのように刷り込まれた人格だからだ。もしアムールを通してこちらの事を見ているのなら、さっきの質問に答えられないわけがないからな。アムール本人がその場で見ていたのだから。
そうなると、今俺たちを攻撃しているのは自動的、ということになる。意識が落ちていようと攻撃してくるのは厄介だが、それなら捕獲して一定時間立てば命令は自動的に解除されるはずだ。目途は立ったな、お前たちは下がっていろ。俺がやる」
ドライアンがずい、と前に出る。その威圧に気圧されたか、ウィスパーが半歩下がる。ドライアンはニアとヤオをちらりとみて獰猛に笑んだ。
「見ておけ、一応俺が獣人としての強さの頂点だ。俺たちには獲物を倒すための爪も牙もあるが、何もそれだけが強さってわけじゃない。時に俺たちにはそれ以上の強さが必要だ。そのことを教えてくれたのはゴーラの爺であり、そして人間でもある。だから俺は獣人たちに外の世界での修行を薦めているのさ。人間から学ぶことは多いぞ?」
「ええ、十分承知しています」
「それがわかる奴が後の世代にいて何よりだ。これからも精進しろ」
「私の事を無視して話すとは良い度胸です。死にますか、あなた」
ウィスパーの言葉に、しかしドライアンはもはや軽蔑の眼差ししか向けなかった。
「テメェ本体ならともかく、お前の人格だけとか、まして操られたアムールなんぞに遅れは取らん。俺が恐れたのは、アムール本人だ。心と気概のないアムールなんざ、もののうちに入らねえんだよ、馬鹿めが」
ドライアンはすっと腰を落とすと、ウィスパーに向けて掌底を構えた。ウィスパーはそれに応じて構えたが、ドライアンが仕掛けてこないのでただ緊張だけがその場を支配した。
と、思った時、誰もがわからぬその瞬間ドライアンの姿がふっとウィスパーの前に出現した。そしてドライアンは予備動作なく、そのまま掌底をウィスパーに体に押し当てると、背後の壁まで突き抜ける衝撃がウィスパーの体に走ったのだ。
ウィスパーは悶絶の声を上げる暇もなく、その場に崩れ落ちた。そしてドライアンが何事もなかったように自分の部下に命令する。
「ゴーラの爺を呼んでおけ、あの爺ならなんとかできるかもしれん。それまでは縛って目と口を塞いでおけ。捕まえたこいつの部下と同様にな。ウィスパーの野郎に汚染されているかどうかを確認する」
「はっ!」
ドライアンは命令をしながら、どこか寂しそうにしているのをニアは見逃さなかった。
***
昔、まだグルーザルドが今ほどの強国ではなかった頃の話。獣人たちは国の威信をかけて戦争を行い、多くの命が散っていった。それも長く続くうち大戦期の時ほど激しい戦いは徐々になりを潜め、また国も亡んだり興ったりを繰り返し、少しずつ獣人の国は統一されていった。
アムールが軍人になったのはその頃の事だ。彼はグルーザルドでしょっちゅう揉め事を起こす不良獣人として、ちょっとした有名人だった。誰の命令も聞かず、誰に屈することもなく。彼は自分自身の王は自分であると、十二分に知っていた。
もし軍に入れば恩赦が出ると言われなければ、彼は軍に属しなどしなかっただろう。彼は入隊後も度々揉め事を起こしたが、実力だけは十分だったのですぐに部下を持たされることになる。
アムールの意識が変わり始めたのは、十人長となってまもなくだった。彼の部下に配属された、入隊ぎりぎりの年齢の若い獣人。彼は昔気まぐれを起こしたアムールに助けられたことがあるらしく、アムールの事を兄のように慕っていた。アムールにとっては便利な小間使い程度の認識しかなかったが、兄弟や恋人はおろか家族すら持ったことのないアムールにとってその若い獣人は確かに弟のように思えなくもなかったので、邪険にすることもなかった。
そしてアムールは他国との戦争に駆り出された。当然彼の部下たちも同行したが、戦いは激烈を極めた。アムールの隊は、彼を除いて全滅。当然アムールを慕っていた若い獣人も死んだのだろうが、彼の首は最後まで見つかる事がなかった。
アムールは愕然としたが、同戦線に配備された味方の実に半分以上が死んでいるという悲惨な結末では特に注目もされなかった。だがアムールが後で知ったことだが、明らかに敵の情報不足、そして作戦の杜撰さは指摘されていたのだ。指揮官が有能であれば、情報収集がもっと上手く行えていれば。そもそも戦争などする必要があったのか、どうにかして避けることはできなかったのか。アムールはその考えが頭から離れなかった。
アムールはその時誓った。自分が王になれば、もっとうまくやれるのではないかと。少なくとも、こんなに戦うばかりではなく、もっと国の動かし方の根本を変えることができるのではないかと悩んだ。そんな時、彼は同期にドライアンという凄まじく強い獣人がいることを知る。彼が自分より王の器たることを知るのは、あと何年か先の話である。
「(随分と懐かしい夢だ・・・ドライアンと夜通しグルーザルドの将来について語った夜の事とは)」
アムールが懐かしい夢から目を覚ますと、そこは牢屋であった。特殊な石造りの、獣人の爪と牙をもってしても脱走不可能な場所。昔軍内で問題を起こすと入れられたことがあったが、アムールはその時と変わらぬ場所に苦笑した。手足が厳重に縛られているところを見ると、自分は何かただならぬことをしたのだと想像がつく。カザスに裏切り者と言われたところまでは覚えているが、そこから先の記憶がとんとない。
「さて、俺は何をやったかな・・・おい、衛兵!」
アムールはまだぼんやりする頭で衛兵を呼びつけた。この感覚は久しぶりだと思い出される。昔は夜を牢屋で過ごしたことは何度もあり、一番親しかったものは番兵だと公言した時期もあったほどだ。
アムールは馴染であった老いたイヌの番兵が来るかと考えたが、さすがにあれから何十年も経っている。知り合いがいるわけがないと考えたのだが、来たのは良く知る顔であった。金色のオオカミが目の前に立ったのだ。
続く
次回投稿は、1/2(木)18:00です。