獣人の国で、その41~裏切り者⑥~
「おかしら! こいつ、息してませんぜ! 脈もねぇ」
「何!? お前ら、ちゃんと眠り薬の量は調合したんだろうな!?」
「へえ、言われたとおりに」
「ちっ、効きすぎたのか? まあいい、さっさと網を外して蘇生を始めろ! 死なせたらことだぞ!」
チェリオがくわっと表情を厳しくした。その周囲で固唾を飲んで見守る獣人達たち。チェリオの部下は蘇生をするべくきびきびと動くが、網を外して胸を圧迫すべく馬乗りになろうとした獣人が吹き飛んだところで、全員の動きが固まった。
「ふう、危なかった。獣人にも虚を突くのが上手い者がいる。あの刹那に仕掛けてくるとは、戦い方を心得ていますね」
ウィスパーが何事もなかったように立ってきた。さしものチェリオの驚きを隠せない。
「お前、心臓が今・・・それに眠り薬は」
「ああ、脈や呼吸は相手に悟らせないように止めることが可能です。ちょっとしたコツがあるんですよ。それに眠り薬では私の意識は落とせません。今はアムールの意識そのものは眠りに落ちましたが、逆に私に都合が良いですね。ようやくこの体を自由に動かせる」
ウィスパーが軽くひゅんと拳を振って見せる。その直後、爪を出してチェリオに襲いかかってきた。突如として黒い影が目の前に出現したチェリオだが、彼も獣将。素早い身のこなしでアムールの攻撃を捌くと、逆に一撃を入れて距離を取り直す。
拳を入れられて、ウィスパーが驚きと苦痛の表情を浮かべる。
「これは凄い。正面切っての実力も相当のものだ、あなたは」
「あんまりマジで戦うのとか、好きじゃないんだけどね。しょうがないか、今回ばっかりは」
チェリオがすうっと両手を上げて、半身の構えを取る。不思議な見慣れぬ構えにその場の全員が一瞬何事かと思ったが、チェリオはその直後、部屋から脱走していた。何が起こったのか理解できない周囲と、ウィスパーもまたあっけにとられて目を丸くしていた。
「逃げた・・・?」
だが直後、ウィスパーの足元が崩れ、ウィスパーは宙に放り出される形になった。下の階に落下するウィスパーの目に、チェリオの姿が目に入る。
「・・・本当に虚を突くのが上手い!」
「シャアアア!」
体勢の整わぬウィスパーに向けて、何発も放たれるチェリオの拳。そのうちの数発が、確実にウィスパーに直撃し、ウィスパーは背後の壁に叩きつけられた。
だが叩きつけられたその体が黒い霧のように霧散する。チェリオが目を疑った時には、彼は反射的に前に飛んでいた。その背中に、蹴りがめり込む。
「ぐうっ!」
「ふむ、勘も良い。駒として欲しい逸材ですね」
チェリオの背後から蹴りをいれたウィスパーが感心する。だがそれは完全に強者が弱者に贈る賛辞であった。それだけまだまだウィスパーには余裕があるのだ。
その時下の階にばたばたと人が再び集まってきた。彼らはウィスパーを逃がさぬために、即席の柵を持って下の階からウィスパーをださぬように包囲した。無論、頭上の穴もである。その様子を余裕をもって見つめるウィスパー。
「包囲されましたか、困りましたね」
「心にもない事を。顔が全然焦ってないじゃないか」
「いえいえ、焦っていますよ。ついやり過ぎてしまいそうだ」
その時チェリオは別の事を考えていた。もしウィスパーが逃げる気ならとっくにそうしているだろう。だがどうやらその気配はない。だからといってこちらを殺してしまう様子も見受けられない。この男が何を考えているのか、チェリオにはいまいち見透かせなかった。
「(少なくともこちらを皆殺しにするつもりはないということかな。あるいはドライアン王を警戒しているのかもしれない。どちらにしても、何かするなら今だ。向こうが本気になったら、どうなることやらわかったものじゃないからね。さて、使えそうな手段がなにかあるかどうか。
そもそもどうやってこいつはアムール殿の体を操っているのかね。魔術ってわけじゃなさそうだし、何か仕掛けがあるのか)」
だがいかにチェリオの頭が切れようとも、知らない物をどうしようもない。その時、ドライアンが唐突に口を開いた。
「ふむ。ところでウィスパー、お前はいつアムールの前に出現したんだ? お前の能力はそこまで便利なものじゃない。本体が直接姿を現さなければ操る事はできないはずだ」
「そんなこと教えるわけないでしょう? 馬鹿な事を聞かないでください」
「そうか。ならここにいるニアとヤオは姉妹なんだが、少し前戦ってな。どっちが勝ったか知っているか?」
「・・・」
突如としてウィスパーの表情が消えた。チェリオもドライアンの質問の意味がわからなかったが、ドライアンは何事かを確信したように口の端を歪めた。
続く
次回投稿は1/1(水)18:00です。