獣人の国で、その33~決闘④~
「(流れるような動き、よどみなく繰り出される攻撃。そして戦場ただ一人立っているその佇まい。その全てがヤオには似合っていた)」
それは生まれついての強者が持ちうる立ち姿。ヤオは敵を打ちのめし、その場に立っているのが良く似合っていた。
だがニアは外の世界に出て気が付いた。強い者が勝つのではなく、勝った者が強いのだと。もっと言えば、生きていた者が一番強いのだ。
「(私の才は遠くヤオに及ばない。きっとこれからも、一度も正面から勝つことはないだろう。現に、今ですら彼女の攻撃が見えなくなりつつある)」
ヤオの攻撃は既に観衆の目でも追えなくなっていた。最初は歓声を上げていた者達も、今はニアを取り囲む灰青の風がニアに襲いかかっているようにしか見えない。ヤオの攻撃を目で全て見ることができる者は、もはやこの会場にはゴーラかロッハくらいしかいないだろう。
ニアは必死で急所を守る。だが攻撃は確実にニアの防御の間をぬって彼女を傷つけ、それ以上に防御の上からニアを押しつぶさんばかりの勢いで襲いかかる。
傍目には一方的な展開。だが、対峙している二人にはそれほどまでの差は感じられていない。
「(姉さん、どうして一度も反撃しないの? 反撃できないほど追い込んでいるとは思えない。でも一体何を狙って――)」
ヤオがそのような疑問を攻撃に最中抱く。だがニアはまるでそんなヤオの事を見透かしたように、防御一辺倒の中からすっと目を光らせヤオを睨んだ。その目がヤオが見たこともないほど殺気に満ち溢れていたかせいか、ヤオは思わずびくりと身を震わせ、ニアに引き込まれるようにその殺気を打ち払わんと強打を繰り出そうとした。
その一瞬――対峙している二人にしかわからない毛の先ほどの一瞬、ヤオの攻撃の調子が狂ったのがニアにはわかった。これこそが、ニアがずっと待っていたヤオの隙。飛んで来るヤオの拳に狙いを定めるニア。
「ヤアッ!」
ヤオの拳が単調な軌道になり、ニアはその拳に合わせて額をぶつけた。二足歩行を行う生物の中で最も硬い骨の一つである、額の骨。拳に合わせられた反撃に、ヤオの表情が歪んだ。
「くあっ!」
ヤオが反射的に下がりニアの追撃を迎え撃たんとしたが、ニアの追撃はなかった。だがしかし、ヤオははっとした。もっとまずい何かをニアはずっと狙っていたのだと、そんな気配がよぎったのだ。
ニアはその場で静かに立ち、脚で円を描くと腹の下に貯めていた気を一息で解放した。
「セイッ!!」
ニアは右足を上げると、下に向けて全力で踏み下ろした。震脚――観衆も地震かと思うほどの衝撃が足元に走ると、ニアとヤオの立っていた地面を含み、観衆が囲んでいた地面がひび割れ、ごそりと崩れたのだった。
「なっ――落とし穴!?」
ヤオが驚くのも無理はない。誰が決闘の場所、獣人たちがよく使うこの丘の場所に落とし穴を仕掛けようと思うか。確かに決闘に際して、一対一で立ち向かう以外明確な掟はない。まして、落とし穴を掘ってはいけないなどという決まりは一切ない。
だが、今までの長い歴史で獣人達はそのような手段を一度も用いたことはなかった。それは獣人の愚直さのなせる歴史だったが、それ以上に彼らには正面切って闘う以上の強さはないという価値観で縛られていたからだった。ヤオも同様である。
以前はニアもそうだった。だが今は。アルフィリースたちと知り合い、必ずしも真っ向ともいえる手段ばかりでなくとも、立派に知恵や工夫を凝らし、戦う者たちはたくさんいる。それらの多くの勝ちたいと願う気持ちは、獣人の強さを求める気持ちのように純粋ではなかったか。もちろん褒められたものではない愚劣な手段もあるといえど、足らない何かを努力で補うならば、なぜ発想で補ってはいけないのかとニアは考えるようになっていた。全てを尽くしたかどうかを考えるのは、相手の策に落ちてからの死に際では遅いのだ。
もちろんニアも独力で今回の発想に至ったのではない。ニアはグルーザルドに滞在する中でも、実はアルフィリースとのやり取りを一度も欠かしていなかった。まして外との折衝が多いアムールの元にいたのだから、手紙をやりとりしようくらいの発想はもちろんあったのだ。その中でニアはヤオと戦うことを知らせるわけではなく、純粋に勝ち目のない強敵と一対一で戦う時、アルフィリースならどうするかと問うた。
辛酸をなめたような思いで出した手紙に、アルフィリースの返信は実に彼女らしく、あっけらかんとしたものであった。
「う~ん、仲間を呼べばいいと思う」
一対一よりも優先するべきは勝つことではないかと、アルフィリースは告げるのだ。今回のことにあてはめれば、獣人としての正々堂々の矜持を守って負けるよりも、勝つことそのものの方が重要だろうと。その天衣無縫な発想にニアはひとしきり笑った後、カザスに相談したのである。ヤオにどうしても勝ちたいから、知恵を貸してくれと。カザスは喜んで知恵を貸した。そう、実力で及ばないなら、知恵と他人の力を借りればいいのだと。
カザスは考えた。まともにやればニアに勝ち目が薄いことくらい、カザスにもわかっている。また、戦場から帰ってくるヤオはさらに強くなっているかもしれない。カザスはまず、ニアに絶対的に有利な条件で戦えるように仕向けるようにした。
元来、決闘が決まる前にゴーラにヤオに勝つことが一つの目標になると提示されていたのである。カザスなりにニアがヤオに勝てるようには、少しでも有利な条件で戦えるように仕向けたかった。そんな前置きがあったからこそ、カザスはニアとヤオが決闘になる際に、ニアに少しでも有利になるように提案をすることに成功した。
次は決闘の場所の選定。カザスはヤオの最大の長所を消すための場所選びを始めた。その時、カザスが見ていたのはグランバレーの地層。えぐり取られたであろうその断面、グランバレーという都市の壁、つまり地層を見て、カザスは谷の上の地面がどのような状況であるかを推定した。そしてカザスは落とし穴を思いついたのである。
そして実際にどのような戦場にするかの決定。あからさまであればヤオは対策を練るだろうし、できればヤオには何も考える暇も与えず戦いに持ち込みたかった。だからカザスは冷静になりやすい一対一ではなく、あえて観衆を呼んだ。実は、観衆たちにニアとヤオの決闘を吹聴したのはカザスだった。円陣の最も内側を、カザスの知り合いで囲ってしまうためだった。そうして初めて完成する、対ヤオのためだけの戦場。観衆たちは何も考えず円陣を組んでいたわけではなく、カザスの言う通りの場所で円を組んでいた。円陣は近すぎれば落とし穴に巻き込まれるし、遠すぎればニアに不利になるからだった。
そういったカザスの地道な努力が功を奏し、この策は成功したのである。そして本番はここからだった。ここまでして、初めてニアに反撃の好機が生まれる。後はこの有利な状況で、どのくらいニアが戦えるか。ここまでやっても、互角である保証はないのだ。
落とし穴に落ちた時、ヤオが焦ったのは一つの瞬きを終えるまで。そして冷静に状況を把握するのに、1呼吸とかからない。
続く
次回投稿は、12/18(水)19:00です。