獣人の国で、その32~決闘③~
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「どちらが勝つのかしら・・・」
「まぁ黙って見ておけ。どちらが勝っても、俺の娘である事に変わりはないさ」
ロアがアビーの心配をなだめている頃、ニアとヤオの決闘の立ち上がりはネコ族には珍しく静かなものだった。
ネコ族は小回りのきく素早い動きで攪乱するのが常套戦略。事実、ヤオの戦い方はそのような戦い方だった。ニア自身も通常はその通りに戦う。だが――
「(これは・・・やりにくい)」
ニアがとったのは、逆に足を地につけ、その場でじっくりとヤオを見る戦法。ヤオは想定外の動きをニアが見せたため、仕掛ける機会を失っていた。ヤオの想定していた最も確率の高いニアの戦法は、初手を何とかして自分よりも先に取りに来るであろう方法だったのだが。
速度の絶対差では自分の方がかなりニアよりも上だとヤオは踏んでいたし、事実であったろう。だからこそ、ニアは何とかしてヤオよりも先手をとろうとし、自ら仕掛けてくるものとして、ヤオはニアのあらゆる仕掛けに対する返しを想定していた。もし想定内の攻撃を仕掛けてこようものなら、一撃で返して終わらせる自信がヤオにはあった。
だが、ニアが動かないというのは考えていなかった。
「(向こうも何かの返しを狙っている? だが、私よりも速度の劣る身で、そのようなことができるかどうか・・・試してみるか)」
ヤオがニアの周りをまわりながら、少しずつ軽快に歩調を刻み始める。ヤオの歩調で巻き上がっていく土煙が徐々に高くなり、その高さがヤオの肩の高さまで上がる頃――ヤオの姿がふっと消えた。
周囲があっと思った時、彼女たちの最初の攻防は終了していた。
「・・・やるねぇ」
「ああ、相当速いな」
「だがあれをニアは受けるか。まだどちらにも余裕がありそうだぞ」
ヴァーゴとロッハ、それにリュンカが唸る。ヤオの一撃はまさに周囲から見ていても目にも止まらぬ一撃であった。並みの軍人では目に追うのがぎりぎりだったであろう。ヤオはフェイントを三度いれ、ニアの右側から蹴りを入れ様体勢を入れ替え、そのままニアの後方に下がり距離を取った。瞬いていれば捕えることは不可能であろう。
だがニアは余裕をもって受けた。ロッハと訓練をしていれば見えないほどの動きでもないし、チェリオの言葉が脳裏によぎっていた。
「(真面目―――なるほど。まずは予想通り)」
ニアは一つ仮説を立てた。自分が速度に絶対的な自信があり、逆に一撃の威力に自信がないとしたら。できる限り敵に捕らえられないように、敵が弱るまで一撃離脱を繰り返すのではないかと。速度と一撃の重さが比例しないわけではないが、比例しにくいのは事実である。ならば距離をとって、徐々にこちらを削る方がより確実な戦法となる。
だからこのような戦場を選んだ。円形に観衆に囲ませた限定空間。絶対的に速度の差があるからこそ、ニアは限定した空間にヤオを招いた。開けた土地で観衆が集まれば、こうなることは想定内だった。こうしておけば勝機が来たとき、一気に距離を取られて逃げられる事もない。ニアの想像は当たっていた。
だが一つニアは勘違いをしている。そもそもこの限定された空間での戦いを、ヤオは嫌がるのか。ニアはまだヤオの全力を見たことは、ない。
「姉さん、そのままでいいの?」
「?」
「そのまま動かないなら、的にしてしまうけどいいの?」
その言葉と同時に、ヤオの姿がふっと正面に出現する。そして下腹部においたニアの両手に走る衝撃。今度もニアは見事に防いだが、先ほどよりもフェイントの数が一つ増えていた。防ぎ終わった時、ヤオが乾いたように笑ったのをニアは見逃さなかった。
そして今度はすぐさま次の攻撃が仕掛けられる。ニアは防ぐ。繰り出される攻撃を一つ一つ防いでいく。だが、フェイントの数が目に見えて増えていく。そして同時に繰り出される攻撃の手数も。
「(6、7、8――馬鹿な、どれほど増えるのだ? これではまるで目の前でヤオが何人もいるようではないか?)」
ロッハと訓練をしたニアには、まだヤオの姿は追えている。だが、徐々に防御の手が雑になってきているのは事実であった。
そして両手の防御がおろそかになったその瞬間、ヤオの拳の飛んでくる軌道が変化した。
「!?」
ニアの目の前に光がはじける。ニアが殴られたと気が付いた時には、ヤオは既に一度距離を取っていた。
「姉さんも鍛えていたのね、思ったよりもついてくるわ。でもそれは直線的な攻撃に限ってのこと。私の拳は、曲がるのよ。これは見たことないでしょう?」
「ま、がる――?」
「そう、曲がるの。こんなふうに」
ヤオが繰り出してみせた拳は、確かに軌道が曲がっていた。力を入れる筋肉を配分することで、自在に曲がる拳の軌道。もちろん、蹴りも同様に変化する。ヤオは速度だけではなく、あらゆる攻撃手段を用いて敵を幻惑することを得意としていた。
これはニアも想定外の攻撃である。曲がる軌道を持っているとはまさか予想もしていない。だが――
「(軌道はアルフィの鞭に似ているな。問題は、あれよりも小回りがきいて、連打ができるということか。さて、短時間できちんと頭と体に叩き込めるか)」
ニアにも対策がないわけではない。ヤオは自分の攻撃方法を知っても顔色一つ変えないニアに腹を立てていた。
「・・・気に入らないわ。どうしてそんなに冷静なの?」
「何?」
「くらえ!」
ヤオから様子見の気配が消えた。もう彼女は手加減をするつもりはない。獣人の戦士として、獲物を仕留めに来たのである。
ニアは知った。これから獣将に上り詰めようとする妹の全力を。確かに、ヤオは自分とはモノが違う。そんなことは出会った時、ヤオの戦う姿を見た時からわかっていたことだ。
続く
次回投稿は、12/16(月)19:00です