獣人の国で、その28~心配事②~
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ロッハはカプルから聞いた話を、一大事だと考えていた。カプルがロッハに教えたのは、ドライアンの嫡子の名前。彼は既に成人しており、軍人として活動を始めているのだそうだ。
まだ新兵であるため実戦は未経験だが、それとなく気を使ってほしいとロッハはカプルに頼まれたのだ。いかに獣人の王が強き者から選抜される慣習であるとはいえ、現国王の息子であることに変わりはない。ロッハはそのような発想を人間じみていると思っていたが、これから関わる多くの相手は人間である。人間の考え方も知らなければ、とても人間とは渡り合えない事をロッハは知っていた。
ロッハは誰に知らせるでなく、自分でその男を探し始めた。信頼できる部下は何人もいるが、それでも知らせるわけにはいかなかった。万一、何かの拍子に噂になっては困るからだ。秘密は共有する相手が少ない程良い。事実、息子の現在の名前を知っているのは、ドライアン本人と、老カプル、それに自分だけなのだから。
ロッハはカザスが最近考案した、名簿なるものをひっそりと出してきて眺めた。カザスは軍にどのような獣人が所属していて、どこの地方出身の者が有力で、どの種族が最も手柄を立てるかを知るために名簿を作成すべきだと考えた。名簿により、彼らの戦功は種族に及ぶ。種族同士のいがみ合いにも発展しかねないが、他種多様な種族を適材適所で用いるべきだとカザスは考えたのだ。戦闘に向いていない種族の者は、無理に戦わせることはなく、後方支援や情報収集などの方が有用ではないかとカザスは進言したのである。
この考え方は今後、獣人の世界とその在り方に大きな影響を与えることになるが、それはまた別の話。
ともあれ、カザスが考案した名簿により各獣将も自分の戦力を把握したのだった。その貴重な名簿が、資料保管庫のその辺に放棄してあるのはいかにも獣人らしいとロッハは苦笑するのだが。
「(しかしグルーザルドにも軍人が多いな。グランバレーに常駐する軍人だけで3万か。これを食わせるだけの糧秣の捻出も、ひとたび何かあれば厳しくなるだろう。今まできちんと出納を計算したことはなかったが、いつの間にかカザスが終わらせていた。国家の機密をあっさり見せる国王もどうかと思うが、俺たちがどこかの戦争を常に調停し、貢物をもらっていないと食糧難に陥る事になるとは大きな発見だったな。今までよく飢饉にならなかったものだ。
俺たちの国にはそのような事にまで考えが回る者がいない。ロンが今カザスと何やら色々話し合っているが、仮に長期にわたる大規模遠征が発生した場合、食料の補給線が上手くいかなくなるのは目に見えている。だから人間たちは門を閉ざし、俺たちとまともに争おうとしない国が多かったのか。俺たちは彼らを臆病者と罵ったが、理にかなった戦法であったわけだ。俺たちの国は今までよくこれでやってこれたな。門の向こうで人間たちはどんな顔をしていたんだろうな。この体たらくで最強の軍事国家などとつけあがるとは、片腹痛い)」
ロッハは苦笑いしながら名簿をぱらぱらとめくっていた。半刻も同じような作業を続けたが、どこの部隊にいるかは老カプルも知らないとのことだった。そう考えれば3万もの軍人全てに目を通すのは、それこそ一日程度では終わるまい。ロッハは自分も気が長い方ではなかったことを思い出し、早々に作業を投げ出した。
「(まあ、軍の中にいればその名を聞くこともあるだろう。広いようで狭いからな、世の中は。それにドライアン王の息子なら、嫌でも目立ってくるさ)」
ロッハはそんな事を大雑把に考えながら、書庫の番をしている獣人が机の上で涎を垂らして寝ている、その頭を小突いてから部屋を後にした。
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そんなロッハの思惑が当たったのかどうか。一月も経たないうちに、グルーザルドの軍の中は騒然とし始めた。
南方戦線はアキーラとニジェールが倒れた後、再び五分の戦いとなった。その間で和解に立ったのは、やはりアルネリア教会だった。しかもなんと、相手側からこれ以上戦うだけの余力はないから、和睦をしたいとの申し入れだった。
戦況は向こうに傾きつつあったにも関わらず申し入れられた和睦に、グルーザルドの戦線はこれ以上の戦いをする意義を見いだせず、提案を受け入れざるをえなかった。最終的に互角の戦況であったにも関わらず、実質的な敗北をグルーザルドは喫した。当然前線は意気消沈し、グルーザルド本国は暗い雰囲気に包まれた。
そんな折飛び込んできた、魔物大量発生の報告。グルーザルドから見て南西の方角、『試練の森』と呼ばれる土地はいまだに未開の辺境である。そこは強さを求める者たちが集結する土地であると同時に、自然で生き抜く全ての技術を教えてくれる場所でもある。未発見の植物や魔物が存在すると言われるその深い森は、冒険者や獣人、蛮族の修練の場所だった。若き日のドライアンも、その森で修行に明け暮れた時がある。
そんな場所では何年かに一度、魔物が大量に発生して外に溢れてくるのだ。近隣の集落が襲われることから始まり、それを合図に諸国の連合が組まれる。かつて獣人に仇なす大魔王が出現した時、初めて獣人たちに連帯の意識が生まれ、その中で頂点に立った集団がグルーザルドの起源とも言われる。以来、ここより魔物が発生すれば、必ずグルーザルドが指揮して遠征軍を派遣するのが伝統である。
先の敗戦で意気消沈し、すぐには軍の編成など行い難いのが人の世界では常識だが、獣人たちは先の戦いでの鬱積を解消せんと、我こそはと志願して遠征軍に臨む者が多数出た。こういう特に血気盛んな代が何年かに一度出るが、前回はロッハやヴァーゴたちの代になる。そのような代からは獣将やそれに準ずる実力者が多数輩出されるため、今回も期待の時代がきたということだ。当然、ヤオもその中に入っていた。
続く
次回投稿は、12/8(日)19:00です。