獣人の国で、その26~修行②~
ヴァーゴの突き出す拳に、回転が加えられる。その場から腰の捻りを肩口からの回転に変換し、助走なしでも必殺の一撃を繰り出す方法。ヴァーゴの一撃は盾があればそれを抉る一撃であり、素手で受ければその腕をねじ切らんばかりの勢いで放たれる。その軌道を逸らそうとしても、回転に相手の手を巻き込んで破壊するつもりの一撃だった。
ヴァーゴは必殺の念で放ち、さしものゴーラも躱すと思ったのだが、次のゴーラの行動を見たヴァーゴは目を見張ったのだ。その直後、ヴァーゴの体は勢いよく宙に舞い、彼はもんどりうって庭を転げまわり、白く象られた美しい柱の一本を破壊して止まっていた。
何が起きたかはもちろんここにいる全員が把握していたが、そのあまりの高等技術にいつもは軽薄なチェリオですら、感嘆のため息を吐いた。唯一人、ドライアンだけが忍び笑いをこらえられないでいた。
「・・・すげえ」
「なんと・・・」
「ヴァーゴ、その柱はお前が弁償だぞ?」
ドライアンの意地の悪い声と共に、ヴァーゴがむっつりとして立ち上がってきた。さすがに大きな怪我は負っていないようだが、その誇りはいたく傷ついたようだった。
「・・・くそっ。以前と進歩ねぇな、俺も」
「そうでもないわい。最後の一撃は予備動作もなかったし、多少肝を冷やしたぞ。じゃがワシの経験の中に、そのぐらいの一撃を放った者はいた。それだけのことじゃ」
「ちっ、そうかよ」
ヴァーゴは吐き捨てたが、先ほどのゴーラの返しは見事だった。ヴァーゴの拳に逆らうのではなく、同質の回転をさらに加えて引き込み、同様に膝から発生させた体の回転をそのまま同じ方向に肩を使って伝えただけ。攻撃はほとんどヴァーゴの力を使い、ゴーラ自身は結局、一歩も動いていなかった。
続いてゴーラの前に立ったのはロッハ。彼は既に戦闘態勢であり、小刻みに足を動かしながら軽快に構えていた。
「お久しぶりです、ゴーラ殿。一手お相手願いましょう」
「一手でも百手でも構わんがの」
「では千手にて、参る!」
その言葉を合図に、ロッハの姿が消える。直後、ゴーラの周囲の砂が蹴り上げられたかと思うと、残像を伴いながらゴーラに迫るロッハの姿があった。残像からも手が繰り出されるとしたら、まさに千手。神速の異名を取るロッハの面目躍如である。
だがその千の内、最初の一手が届いた時、ロッハはヴァーゴと同じようにバランスを崩して地面に転がっていた。今度は速すぎてニアの目には追えなかったが、一つわかるのはゴーラが全く動いていないということだった。
何が起きたのか、ニアには全く理解不能であった。だがそれはロッハも同じ事であった。呆気にとられてその場に座り込んでいるロッハ。
「ロッハは速くはなったがのう。最初の一撃に対する意識が薄いわ」
「ゴーラ殿、今何をなされた?」
「何も。強いて言えば、ぶつかってくるおぬしの攻撃がワシの体を通って、地面に直撃しただけじゃ。ゆえにワシに損傷はない。
おぬしは手ごたえがなかったゆえに姿勢を崩したのじゃ。足はひっかけたがのう」
軽快に笑うゴーラと、唖然として見返すロッハ。ロッハは頭を振って闘う意欲を取り戻す。
「ば、馬鹿な。それでは一切の打撃がきかないと申すのですか? それにそんな技術は今まで一度も見たことが――」
「とも限らん。まあ攻略法までは教えんがな。それに今までは使う必要がなかっただけで、おぬしが使わざるを得ない領域にまで達したということじゃよ。まあ喜んでよかろうの」
「ならば爪を使えばよいのですか?」
ゴーラが不敵に笑う中、ロッハを差しおいてリュンカがその前に進み出た。リュンカはその厳しい眼を一層強めて、仇でも見るような目でゴーラを睨んでいた。
ゴーラはその真逆で、まるで好々爺のようにリュンカを穏やかな目で見ていた。
「リュンカよ、良い眼ができるようになったな。獣人はそれでよい。殺気も使いどころぞ」
「あなたに教わったことですから。そしてわが宿敵にも。して、本気でかかってもよろしいか?」
「よいじゃろう、できるものならな」
言われて爪を出したリュンカに、相変わらず自然体で構えるゴーラ。そしてしばらくにらみ合いが続いたかと思うと、リュンカが一礼して爪を治めた。その表情は、ニアの気のせいではなく汗だくであった。
「やはりやめておきましょう。どうやら爪を折られて終わるだけのようだ」
「とびかかる前にわかっただけでも進歩したの。どうやら皆良き成長を遂げているようじゃ。で、そちらの残りも来るかね?」
ゴーラがバハイア、チェリオ、カプル、ロンの方を見やる。そしてバハイアが身を乗り出して一手ご教授、と言ったと同時にチェリオは背を向けていた。ロンが去りゆくチェリオに声をかける。
「チェリオ、よいのですか? またとない機会だと思いますが?」
「冗談。またとなさ過ぎて、殺し合いになっちゃうよ。どこか別の場所で発散してくる」
チェリオのその物言いにロンがふとその顔を見ると、チェリオの顔は歓喜と戦闘意欲で紅潮していた。その表情を見て、ロンは嬉しそうに彼を見送った。
「ふふ、冷静を気取っても、彼もまた若い獣将。戦う意欲は抑えきれないようです」
「そういうおぬしはどうなのじゃ、ロンよ」
カプルが傍でふぉふぉと笑う。ロンはにたりと、意味深な笑みで返した。
「老カプル。私は宰相にこそなりましたが、頭はそれほどよくないのですよ。ご存知か?」
「他は良く知らんが、確かに昔、一際喧嘩っ早いキツネの秀才がおったような気がするのう。そして強い者がいると勝負を挑みたくなるフクロウものう」
「では一つ、気分を若返らせるといたしますか」
二人は競うようにして、ゴーラにかかって行くのだった。その彼らを見て、ドライアンが残念そうに、そして嬉しそうに一言呟く。
「やれやれ、獣人ってのはいつまでたっても馬鹿ばっかりだな。進歩のねぇのは俺だけかと思っていたが」
と。
続く
次回投稿は、12/4(水)20:00です。