獣人の国で、その21~家族⑩~
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「別に構わん」
「いいぜ」
「よかろう」
ニアとカザスは目を丸くしていた。駄目で元々と思い、時間があると聞かされたロッハの元をまずは訪れたのだが、そこにいたヴァーゴ、リュンカまでがニアとカザスの意見に同意してくれたのだ。ゴーラもそうだったが、突如として訪れたカザスを歓迎したし、ニアとの訓練の申し込みも了解してくれた。どうやら獣人というものはカザスが思った以上に、気さくな性格であるらしい。
ニアの目が期待に輝いている。そして同時に武者震いもしていた。それはそうだろう、獣人の中の最強の面々と手合わせできるのだから。一方でカザスは冷静だった。
「訓練に付き合っていただけるのはありがたいのですが、いやに気さくですね。何かありましたか?」
「勘繰り深けぇ野郎だな。おまえら姉妹の決闘話、ちょっとした話題になってるぜ」
ヴァーゴが凶暴な笑みを見せる。ニアはちょっと引いたが、アムールから昔話を聞いているカザスとしては今さら驚く理由もない。これが昔「泣き虫」だったとは、まるで想像もつかないというものだ。カザスはそのことを知っているとは、おくびにも出さなかったが。
「話題?」
「ああ、古臭いことを考える奴がいるものだってな。いまどきそんなことをする奴はあまりいないからな。根性の入ったのが二人とも女だってんだから、そりゃ噂にもなるってもんよ」
「それに理由もそうだな。そこのカザスを取り合っての戦いということらしいじゃないか。カザスは夜道に気を付けることだ。嫉妬した連中に襲われても知らんぞ」
「ええっ?」
カザスは驚いたが、ロッハさも当然のように語った。
「まあそれは冗談だが、ニアが軍内で人気があったのは事実だ。彼女の母親ジーナは私の少し上にあたる先輩だが、彼女は軍内で一番人気があった。誰が落とすのかとこぞって競ったが、あっさりとロア殿に持って行かれた。まあ妥当な所ではあったが、彼らの娘が入ってくるときにはやはり話題になったものだ。人間である貴様にどう見えているかは知らんが、ニアは獣人から見れば造形的には相当人気がある。知っておくことだ」
「なるほど、そうだったのですか」
「そ、そんな私なんて!」
カザスはふむ、と納得し、ニアは照れくささからか全力で否定したが、ヴァーゴがさらに茶化していた。
「まあそんな偉そうなことを言うロッハは、もうロアと付き合っているジーナを口説こうとして失敗し、ロアに締め上げられて飲んだくれ、川に落っこちたこともあるんだがな!」
「やかましい!」
ロッハが牙を剥いたので、ヴァーゴがおどけて降参の真似をした。そんな二人にため息をつきながら、生真面目なリュンカがニアを見た。
「だが実際どうするつもりだ、勝算はあるのか? ヤオの速度は実際凄まじい。今戦ったとしても、小回りという点では既に私よりも上だろう。闇雲に訓練しても、勝つことはできないぞ?」
「その点については考えがある。動いて勝てないなら、先読みして後の先を――」
「それは無理だ」
ニアが言いかけた言葉を、リュンカはあっさりと否定した。あまりに遠慮のない言い方に、ニアがさすがにむっとする。
「無理かどうかは試して見なければわからない!」
「では試してみるか?」
リュンカがすっと椅子から立ち上がり、ニアの前に移動する。そしてぴり、と緊張感が走ると、ニアはさっと身構え、リュンカの動きを察知しようと神経を張り巡らせた。
その空気を察しカザスはいち早く邪魔にならない所に避難したが、カザスが離れたと同時にリュンカが動いていた。
カザスにはリュンカの動きが見えなかった。リュンカの両腕がふっとぼやけたくらいの映像しかとらえられず、気が付いた時にはリュンカの右腕がニアの首筋に置かれていた。
それは決定的な一撃。リュンカが爪を出していれば、ニアの頸動脈をかき切ったであろう。青ざめるニアに、リュンカがぽんと肩に手を置く。
「獣人にも色々な特徴がある。速さに優れる者、力の優れる者、敏捷性、反射神経、頑強さなどなど。私やヤオは速さに優れる者だ。我々を見て速さで勝負を挑もうとするよりは、お前のように守りに徹し、隙を窺う者が多い。つまり、我々もまたお前のような戦法を取る相手とは戦い慣れているということだ」
「どうすればよいか、わかると?」
「そういうことだ。神経を張り巡らせて私の動きを察知しようとしたのは良い。だが神経を張り巡らせる時に、自分の筋肉まで緊張してしまっている。それでは察知しても、反応することができない。こちらの気配を察知して反応することを、呼吸をするのと同じくらい自然に行わなくてはだめだ。
それに反応するにも、今は正面から来るのがわかっていたかもしれないが、実際にヤオなら四方八方に動きながら襲い掛かってくるだろう。つまり、今よりも攻撃が多彩だということだ」
「・・・」
リュンカに事実を突き付けられ項垂れてしまったニアを見て、リュンカが彼女を励ます。
「まあそれがわかっただけでも収穫さ。今から私と手合わせをしながら対策を考えていけばいい。少し頭を冷やして中庭で待っていろ。手合わせの続きをしよう」
「・・・はい、お願いします」
ニアはすごすごとその場を去って行ったが、その様子を見る限りでは落ち込んでいるというより、既に対策に頭を巡らせているようでもあった。カザスが軽く会釈をすると、その後に続く。
彼らが行った後で、ロッハとヴァーゴが顔を見合わせてリュンカに話しかけた。
「リュンカよぅ、いやに肩入れするな。お前が直に戦闘訓練をほどこすなんざ、部下にもやらねぇじゃねぇか。どういう風の吹き回しだ?」
「他人事とは思えなくてな。かつて私もニアと同じような立場だった。隣には自分よりも圧倒的に才能で上回る同輩がいて、そして私はいつも彼女の背を見ながら劣等感に苛まされ、それでも努力を続けていた。いつか自分の爪が彼女の領域に少しでも近づければと。
その甲斐あってか私は今獣将になったが、結局私の爪は彼女に届かないままだ。そう考えると試してみたくなるのさ、ニアがどこまでヤオに対してやれるのか、な」
「なるほどな、確かに俺たちも同じ思いではある。あの時のお前の同輩、ミレイユとか言ったか。軍に断りもなく抜けると言った時、獣将三人を叩きのめして出て行ってしまった。あの女が軍にいれば、もっと簡単に終わった戦いもあったろうと思えるが」
「でも獣将にゃなってねぇと俺は思うぜ? あんな戦いだけ求めるような性格じゃ、とてもじゃねぇが部下はまとめられねぇよ。色々と細かい気遣いが多いんだからな、実際」
ヴァーゴが真面目くさってそんな言葉を吐いたので、ロッハとリュンカは顔を見合わせて、我慢ができないといわんばかりに噴き出していた。一番そんな言葉を吐くのにふさわしくないヴァーゴがそんなことを言うものだから、可笑しくてたまらなかったのだ。
そしてヴァーゴがそんな彼らを見て怒るのを尻目に、平和なグランバレーには穏やかな陽光が射していた。
続く
次回投稿は、11/25(月)21:00です。