獣人の国で、その20~家族⑨~
「若い、若いのぅ。手を取り合うことが不可能な者などおらん。たとえ思想は相容れずとも、どれほど反目していようとも手を取り合うことは可能じゃ。そのことを忘れてしまえば、我々はただ争うのみになる。本当に大切な事に比べれば、うらみつらみなど些細な事と、いつか知るようになるじゃろう」
「本当に大切な事?」
「それは人によって違うがの。全ての物に共通することもあるぞい」
ゴーラは突き出た腹を一つ叩くと快活に笑った。宵闇に響く小気味よい音に、カザスが目を丸くしていた。
「私に謎かけですか?」
「謎かけというほどのこともない、ごくごく当たり前のことじゃよ。ただ当たり前すぎて、誰もがその事実を忘れておるだけじゃ。
だがオーランゼブルはそのことに気付いた。やはり奴は切れ者じゃったよ。惜しむらくはその責任感の強さゆえ、一人で全てを抱え込んでしもうた。ワシらをもっと頼ってほしかったのじゃが・・・何が奴をそうさせたのかの。まあ、心当たりはあるが」
「その辺り、ぜひ教えていただきたいところですが。きっとこれは知ってはいけないところなのでしょうね」
「貴様も相当に賢しい奴よ。その通り、お前たちは知らずともよいことじゃし、知ってもどうにもならんじゃろう。大切なことはオーランゼブルが何をしようとしているかであり、確実なのは、オーランゼブルはもはや止まる事がないという、その事実のみ」
「もしオーランゼブルがあなたの目の前に敵として現れた時、あなたはどうしますか?」
カザスの難問を前にゴーラは悩み、そしてゆっくりと口を開いた。
「――正直わからん。ワシも賢者などと呼ばれてはいるが、そこまで頭の良い方ではないのじゃ。それでもオーランゼブルは友人じゃった。ワシが何かへまをやらかすたびに、奴がため息をつきながらワシのために動いてくれたことを覚えている。もちろんその逆も少ないながらあったがな。借りはいつか返さねばなるまい」
「なるほど。私としては、あなたとは敵対したくありませんね」
「ワシは誰とも敵対したくないよ。戦いなど、虚しいだけよ。ワシらは昔、そう皆で語った気がするのだがな」
ゴーラはそう言いながら酒を煽っていたが、カザスは今でもオーランゼブルは同じことを思っているのではないかと考えた。
もしそうならば。全てが推測の域を出ないのだが、考えることが自分の最大限にできることだとしたならば。カザスは今思いついた可能性を徹底的に考証してみる必要があると感じるのであった。
***
「と、まあそんな生活ぶりでしてね」
「そうか。カザスの日々は充実しているようだな」
ニアは軽く体を動かしながらカザスと話していた。今日は獣人の国にある、一月に一度の休日。この日だけは誰しもが戦いと鍛錬から離れ、安らかに一日を過ごすことになっている。ドライアンが王に就任した時に作った法律だ。
だがニアは体を動かしていた。ただし訓練ではない。ニアは体を動かすことそのものが好きなのだ。だから戯れに体を動かすのであれば、法律に反することはないと彼女は断言していた。そんなニアだから、カザスはその隣でニアの動きをぼうっと見ながら、会話をしているという始末である。
そしてヤオとニアが決闘をすると決めてから、既に一月半が経とうとしていた。そのことをニアが忘れることができるはずもない。カザスも口にこそ出さないが、気持ちは同じだった。
「焦っていますか、ニアさん?」
「当然だ。負ければ全てを失うにも等しいが、勝つ方法が思いつかない。正直ヤオの強さは異常だ。現時点での強さではなく、その成長速度が。この前など、500人長数名を同時にあしらっていたそうだ。もはや強さでは千人長、いや、それよりもっと上かもしれない」
「千人長の上は、獣将補佐でしたか」
「ああ。実力だけならその周辺には達しているだろう。順当なら、1年以内には獣将の誰かに挑戦するだろうな。勝ってしまうかもしれない、いや、かなりの確率で勝つのだろう」
ニアの動きがぴたりと止まる。
「・・・私はヤオに負けるのが嫌なんじゃない。カザスを失うのが嫌なんだ」
「はい、私もニアさんと離れ離れになるのは嫌です」
「なら、なぜそんなに平然としているんだ? ヤオとの約束もそうだったが、どうしてあんなに冷静でいられる? カザスは私のことが、そ、その、好きじゃないのか?」
ニアが顔を赤らめながら問いかけた。奥手のニアにしてみれば、これは大変勇気を必要とする質問だった。カザスもそのことはわかっているのだが、どうやって答えてよいかもわからなかった。
あの時、カザスは現時点で決闘をすればニアが確実に負けると思った。しばらく時間をおけばなんとか解決策が見つかると考えたのだ。だが時間が経つに従い、その可能性は薄くなっていった。ヤオの成長速度は戦いに関して素人のカザスが見ても異常であった。ニアも確かに強くなってはいるのだろうが、二人の差は時間が経つほどに開いていくように見えた。まるで先細りする崖を歩いているような心境である。
ならばイカサマをしてでも、とカザスは考えたが、それは不可能に近かった。獣人の決闘は考えるよりも厳粛であり、施行される数日前から彼らには付き人が付き、その行動を監視される。獣人はまがった事や卑怯な手段が嫌いであるため、なんらかの策を持ちいて勝負を動かすことを良しとしないのだ。当然、ニアも同じ気質の持ち主だ。カザスが何らかの提案をしても、受け入れてくれるとは到底思えなかった。
カザスをもってしても妙案が考え付かず、困っていたのだ。
「いえ、まあ――好きには違いないのですが。確かに私も考えが足りなかったのは事実だな、と思いまして。よかれと思ってあのような方法を提案したのですが。
まあ最悪、私がグルーザルドから逃げてしまえばとも思いましたが、そうなるとニアさんがグルーザルドでの立場を失ってしまいますね」
「う・・・確かに逃げてしまえばヤオの性格上、追いかけてこないかもしれないが・・・まあ私もグルーザルドとカザスのどちらが大切かと言われれば・・・その・・・」
ニアが見たこともないくらい悩み始めたので、カザスはその肩にそっと手を置いて慰めた。
「すみませんでした、貴女をそこまで悩ませるつもりはなかったのです。ニアさんが誇り高いのは良く知っているつもりです。なんとか二人で知恵を合わせて、彼女に正面から勝つ方法を考えましょう」
「正面から――そんなことができるのだろうか」
「一つ考えられるのは、彼女より強い相手と手合わせをすることです。彼女より強いとなれば?」
「・・・獣将か」
「あるいはドライアン。アムールもそうかもしれませんね。ゴーラ殿では強すぎて、いまいちその感覚が掴み難いやもしれませんから」
「だが獣将がいち平隊員の私闘のために、訓練に付き合ってくれるだろうか? 私は何のゆかりも彼らともっていないのだが」
「私がドライアンと仲良くしていることが役に立てばいいのですが。とりあえずダメでもともと。彼らに頼んでみましょう」
カザスがニアの肩を掴みながら、彼女を促すのだった。
続く
次回投稿は、11/23(土)21:00です。