獣人の国で、その19~家族⑧~
すると驚くことに、ドライアンはその事実を知っていた。まだドライアンが血気盛んだった頃、飛竜を思い付きで駆っていたドライアンはそのことに気がついた。以降、彼は書斎と私室に籠もり、そしてゴーラの下へしばしば脚を運ぶようになる。しばらくの後、彼は他国への積極的な干渉よりも、内政を優先し、そのかわりアムールのような工作員の数を増やした。ドライアンは、その事実に自力で気づいた者はカザスで4人目だと説明した。
ドライアンはカザスを私室に呼ぶと、二人で酒を飲みながら語った。ドライアンはいずれゴーラの領域まで己の拳を高めてみたいと思っていた時期もあったこと。だが大地を抉る爪あとの如きグランバレーの地形を見た時、個人の強さなるものの虚しさに限界を感じたこと。何をどうやっても、届かぬ領域の存在があることを、若きドライアンは知ってしまったのだ。そしてそれは若かりし頃のゴーラも同じ思いだったこと。ドライアンは獣人を強くし、心を鍛えることがひいては国を豊にし、強くすることだと考えるようになった。また本当の強さとは、力ではないのだと。戦士とは、何かを考えるようになったと語ってくれた。また、その功績をもって5賢者と呼ばれるようになったこと。
多くの者はドライアンのそのような内心を知らない。ドライアンは獣人にとって憧れであり獣人の象徴であり、それは彼自身が知っている。その彼が肉体的強さに興味がないと知れ渡れば、多くの者がその真意を問いただすのではなく、ただ絶望するだけであろうことも、ドライアンはわかっているのだ。
だからこそ、自分は強く理想的な王であらねばならぬとドライアンは語る。その一方で、完璧な王であることで弊害もたくさんあると彼は語った。
「息子がな・・・俺のような男になるのは無理だと言う。父上は目標として遠すぎるのだと。俺などたいしたことはないと思うのだがな。
俺としては目標とされるのは正直なんだ、その・・・おもはゆいわけだが、俺と息子とは別人だ。別に俺のような男である必要はないと考える。それよりもむしろ俺とは別――そうだな、それこそお前のような学者でもいいと思っている。
だからなのか息子は俺とは似ず、謙虚な性格だ。むしろ謙虚過ぎて、獣人としては舐められていると言ってもいい。確かに力が全てではないが、獣人の社会では力がないと誰も言うことを聞いてくれないのも事実だ。一定の力を得るまでは鍛錬してほしいと思うが、何か良いきっかけはないものかな」
そう言われてもカザスに思い当たる方法はない。カザスはそもそもドライアンの息子を知らないし、また息子もドライアンの近くにいないようだった。どうやらドライアンの方針で、一部の者以外は誰がドライアンの息子かを知らないらしい。
ドライアンの息子であることでもちろん敬意は払われるだろうが、獣人たちの評価基準は『強さ』の一点に絞られる。強くなければ、たとえドライアンの息子だろうと尊敬されることはない。ゆえにドライアンの息子が誰だろうが、グルーザルドの国民にとっては関係がない。
ただし、誰がドライアンの息子であるかどうかは、他国にとっては重要だ。場合によっては、最強の闘士の唯一の弱点かもしれないのだ。そういう意味ではドライアンが息子のことを内密にしたのは賢明だった。周りも誰がドライアンの息子か知らないのでは、手の打ちようがない。
カザスは面白半分にドライアンの息子を見つけてようとも考えたが、まるで見当がつかなかった。手がかりが一つもなければ、カザスといえど推理のしようがないのだった。
カザスは植物の種を植えながら、思索の一つのネタを失った気分になっていた。
「カザス! 良い肉が手に入ったんだが、そっちの芋と交換しねぇか!?」
「いいですよ。ジグさんの手のひらサイズの肉と、私の芋5つでどうですか?」
「乗った!」
そんなやり取りがカザスの思考を中断する。最初はため息をついたカザスだが、中々に最近ではこのようなやり取りも楽しいと感じている。ただ獣人の珍しい風習を学ぶといった学者的な一面でなく、ただただ人との関わりをカザスは楽しいと感じるのであった。
またカザス周辺の変化は他にもあった。大陸に名だたる5賢者の一人、ゴーラと知り合いになったことである。
ゴーラの知識はカザスにとっても貴重であった。生きた歴史の証人から書物に表されていない時代の事が直に聞ける。それは学者でなくとも興奮を禁じえない出来事であったろうが、カザスがただ興味本位で聞いているだけであればゴーラも適当にあしらったであろう。
カザスが歴史を知りたいのには理由があった。ゴーラはもちろんオーランゼブルと面識があり、かつ生きている数少ない人物の一人である。彼ならばオーランゼブルの目的について、何か心当たりがあるかと思っていたのだ。
だがその当のゴーラの返事は素っ気ないものであった。
「ワシらは5賢者などと呼ばれたが、それは周りの者が囃し立てただけじゃよ。グウェンドルフから聞いておらんかね? ワシらは自分たちのやりたいようにやっていただけじゃ。
古巨人のブロンセルはとんでもない暴れん坊じゃった。古竜のダレンロキア様が征伐し、巨人族に知恵をもたらしたのじゃ。また翼人イェラシャは世捨て人のようなやる気のない男じゃった。それがまさか一族全員を連れて、新天地を求めて旅立つとはのう。ワシなどは自らを鍛えることにしか頭がいかなんだ。ワシ一人が彼らより種族として劣っていたと思い込んでいたからかもしれんのぅ」
「劣っていた?」
「ワシの体を見てみぃ。獣人で戦闘に向いているのは、およそトラやクマなどの好戦的で大柄な生き物。それに引き替えワシはどう考えても戦いに向いておらんタヌキ爺じゃぞ? 二足歩行の生物では最も大きい古巨人、優美さで一番の翼人、神々しい真竜、そして最も賢き者ハイエルフと比べ、卑屈にもなろうというものよ」
「ですが貴方もまた賢者と呼ばれた」
「然り」
ゴーラは酒を煽りながら語る。いつもカザスがうまい酒を持っていかないと、ゴーラは語ってはくれないのだ。
「まあいつも共にいたからじゃろうな。それにワシは奴らに負けぬため、人を多少なりとも救って徳を積みたいなどという下らん考えに取りつかれておった。別に人を助けたいわけでも、本当に他人を助けるとはどういうことかも理解せずにな。
じゃが偽善も積み重ねれば善となるのか。ワシは徐々に『救う』ということの意義を考えるようになった。その時じゃ、ワシの拳が本当の意味で成長を始めたのは。今では当時考えられなかった境地まで来ておる。そしておそらく、ワシはまだ成長できるじゃろう」
「あくなき向上心というやつですか。おみそれします」
「向上心とは少し違うな、これは確信じゃ。ワシはまだ強くなるとな。じゃが拳を握り込んだままでは、手を合わせることはできても手を取り合うことはできん。わかるかの?」
「まあ、比喩としては」
「手はつなぎあうものじゃ。ワシはこの歳になってようやくそれがわかった。人生の大半をワシは無為に過ごしたも同然よのぅ」
「ですが、誰とでも手を取りあえるものではないはずです。例えば、快楽殺人者。敵にいるドゥームやアノーマリーなどと手を取り合うのは、不可能と考えますが?」
カザスの意見に、ゴーラはだがしかし首を振った。
続く
次回投稿は、11/21(木)21:00です。