獣人の国で、その12~家族①~
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――木の葉が舞っていた。
正確には木の葉が舞っているのを感じていた。ニアの修業は手合わせから、瞑想を中心としたものへと移っていた。
妹であるヤオと挨拶を交わしてまだ10日。ヤオの訓練の仕方、強さを見てニアは悟った。自分とヤオでは、持っている才能が違いすぎると。ネコ族として、もって生まれた天稟が違いすぎると、ニアは気が付いてしまったのだ。
比較するなら、自分が1年かかる修行を、ヤオは10日で終えるだろう。軍での立場上同じ百人長ではあるが、その実力は大きく異なっていた。そして現段階で既に負けているのならばここから先、ニアが成長期であるヤオに追いつくことはないだろうことは誰でも想像できることだった。
だがゴーラの出した課題は、ヤオを勝負で負かすこと。ニアはヤオとは違う、別の道を模索する必要があったのだ。
「(速さでは決して勝てない。あの動き、傍から見ていても残像を残すほどの速度で動くのは私には無理だ。それに器用さや目の良さでも勝てる気がしない。体格は勝る分、力では有利でも、それも微々たるもの。そもそもネコ族は腕力自体、獣人の中で劣っている。大した差はあるまい。
では何で勝つべきか。私がヤオより勝るものとは一体・・・)」
ニアはセンサーのように周囲に気を張り巡らせながら、思案に暮れていた。ゴーラとの早朝の組手は続けているが、アムールの軍務補佐を午前で終えると、即座にニアは自分の瞑想に入っていた。
ニアが座っている場所は吹き抜けであるため、風が強い。湿度の高いこの時期でも、強い風は木の葉を舞わせている。ニアはいつの間にかすれ違う木の葉の枚数を気配で数えるようになっていた。
「(13・・・14、15。さて、当たっているか)」
ニアは自分の後ろに仕掛けた風呂敷に、木の葉が何枚引っかかっているかを数えた。だが枚数は18枚。ニアはがっかりして風呂敷を払って木の葉を落とした。
「リサのようには上手くいかないか・・・せめて自分が感じ取れる領域がはっきりとわかればな」
ニアはじっとりと汗をかいた自分の体を感じ取り、これ以上この訓練をすることの意味を見いだせないでいた。体力的にはきつくないが、精神的にひどく疲れる。いつの間にか日も暮れてきたので、ニアは訓練を切り上げた。
ニアは地上の、しかも高台にある自分の訓練場所からあっという間に谷の底にある自分の家まで駆けおりる。人間ならばそれだけで2刻は使いそうな道を、ニアは10分もかけずに飛び降りるように駆けて行った。
そしてニアが自宅に戻ると、そこには父、義理の母、ヤオ、そしてカザスが夕餉の準備をして待っていたのだ。
「お帰りなさい、ニア」
「・・・ただいま」
ニアはいまだに義理の母であるアビーが苦手である。ニアは自分の死んだ母を敬愛していたし、その後妻に収まったアビーが、ニアと仲のよかった近所のお姉さんというのもまた気に入らなった。ニアにとって歳の離れた姉のようであったアビーが、突如として母となり、しかも腹は既に大きくなりつつあった。多感な年ごろのニアにとって、受け入れがたいのは、自然なことだった。
またおりしも、軍に入隊をするかどうかを決める時期でもあった。結果、ニアは新しく母となったアビーとも、父ロアとも満足に話し合うことなく軍に入隊した。その後生まれたのがヤオというわけである。
だがニアもいつまでも逃げ回るわけにもいかない。獣人は元来同族、家族の意識が強い。グルーザルドにいながら家族を無視するような態度をとるようでは、周りから白い眼で見かねられない。それはニアにとっても家族にとっても望ましいことではない。ニアとしても、そろそろ何らかの歩み寄りをする必要はあると感じていた。
ニアは不器用なりに何とかしようともがいていたが、中々家族との距離は縮まらなかった。そんな中、さっさと家族の中に溶け込んだのはカザスであった。
「アビーさん、帰り道にドライアン国王から果物と肉、それに酒を下賜されたのですが、いかがしましょうか?」
「果物は切ってしまいましょう。肉はもう今から調理するのはなんだから、塩漬けにしておいて。酒の種類は?」
「赤の果実酒ですね。ドライアン国王は今年の赤の果実酒は甘すぎて口に合わないそうで」
「ならちょうどいいわ、今日の夕餉は辛口だから。普段はロアも甘い酒はあまり飲まないけど、合うかもしれない」
「じゃあこれはテーブルに出すとしましょう。塩は台所の下でしたか?」
「貯蔵庫の中よ、よく覚えているわね」
「既に我が家も同然ですからね、ここは」
カザスは悪びれもせずそんな台詞を言いながら、肉を塩にひたしていった。やがてカザスの気配を察したか、ヤオが二階から降りてくる。勉強家でもあるヤオは、軍務から解放されると主に机に向かって勉強をして過ごす。これは獣人には非常に珍しい習慣であり、カザスが時々勉強の面倒を見ているほどであったが、呑み込みも中々よいとのことだった。将来は間違いなく、優秀な軍人になるだろう。
そうこうするうちに、書斎から父親のロアが杖をつきながら現れた。軍務で足を悪くしたロアは、いまだに杖を使って歩いている。若くして退役したロアが暇を持て余し、本を山のように読む習慣があるせいで、ヤオもこのような性格になったのだろう。全くもって父親似だなと、ニアもどこか納得していた。
「飯か」
「ええ、準備ができたわ」
「ふむ。ならばいただくとするか」
ニアの家では全員がテーブルを囲んで夕食を食べることになっている。そんな習慣はロアが忙しかったせいで昔はなかったし、ニアは主に亡くなった母と父親の帰りを待っていたものだ。だがニアが眠ってしまう前に、父親が帰ってくるかどうかの賭けは、およそ負け越している状態であった。
だからニアにとって、今の家庭は生まれ育った家庭とは全く違うものなのだった。部屋も家も変わっていないのだが、父親の姿から何から全てが違う。全く懐かしむ気持ちになれないのも、致し方ないことだった。現に、この場でカザスよりも浮いてしまうのはニアなのであるから。
「ロアさん、酒瓶を開けましょうか?」
「いらんよ、自分でやる」
ロアは爪を出すと酒瓶の口をすぱっと飛ばし、酒をそれぞれのグラスに注いだ。そして果物も、アビーがその場で爪を使ってすぱすぱと切っている。カザスはいつみても鮮やかなその光景を飽きもせず見つめていたが、普通のグルーザルドの家庭では椅子に座ってテーブルを囲む習慣もないし、そもそも肉を香辛料で調理したり、酒をグラスの注ぐ習慣もない。
労働者階級などになると、肉は焼くか生かのどちらかで、酒は直に飲むのが当たり前であった。食器などは、代用となる植物の葉を使うことが多く、このように人間じみた食事の出し方をするニアの一家はかなり風変りだと言わざるを得なかった。もちろん来客であるカザスに気を使っているのもあるが、それにしてもロアの読書と余暇の賜物であることは否定できなかった。
続く
次回投稿は。11/8(金)22:00です。