足りない人材、その135~縁32~
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敵の指揮官である女傭兵は、誰にも悟られぬようしたり顔で一人、ほくそえんでいた。あまりにも上手くいきすぎる。まずヴィーゼルに雇われるかクライアに雇われるかで悩んだが、決めたのはたんなる気まぐれでしかない。だが双方の情報を集め、戦況を最後に決めるのはこのカンダートからの援軍だと考え、この砦での雇用と決めた。結局援軍が出る前に戦争は終わりそうだったが、最後の最後に風向きがこちらに巡ってきた。何せ、戦争終結のため正規軍の将軍たちがほとんどこの砦からいなくなったからである。
将軍達は論功抗争をするため、我先にとこのカンダートからいなくなった。彼らは既に戦争を終わったものと考え、本来なら国の要衝であるはずのこの砦の指揮を、その場の勢いで自分に渡して去って行ったのだ。確かにこの砦に採用されてからいくらかの案や作戦を具申していたが、まさか傭兵である自分に指揮権を渡すとは考えていなかった。浅はか、本当に浅はかだが自分にとってはこの上ない好機だった。
この女傭兵はこの大役に委縮するどころか歓喜した。彼女は元より、傭兵で終わるつもりは毛頭なかった。傭兵は足がかり。武家とはいえ継承権のない彼女がのし上がるためには、実績が必要だった。泰平の世の中では、正規軍で堅実に出世するよりも、傭兵として実績を上げた方が出世の可能性がある。例えば傭兵でA級ともなれば、それなりの待遇で諸国に仕官することもできるはずだと彼女は考えた。実家にて父母が自分の政略結婚を考えていた時に、気持ちは爆発した。ほとんど家を飛び出す形で出奔した彼女である。家を出てから3年、ついに身を立てる好機を得た。
そして自分のためかと思うほど、降って湧いたように現れた敵。しかも斥候に確認させたところ、敵の指揮官は自分に大恥をかかせたあの女だというではないか。全ての運は自分に向いてきている。この戦争自体、自分のために都合されたものではないかという気さえしてくるのだった。
女傭兵は手ぐすねを引いて待ち構えていた。既に援軍の要請は周辺砦に飛ばしてある。また踵を返して去って行った将軍たちにも連絡をしている。伝達は魔術士の使い魔を介して行っているため、通常の連絡よりはるかに早い。最も近くの砦からは、明日にも援軍が到着するだろう。
つまり、この一晩を耐え抜けば敵を挟み撃ちにできる。しかもこちらの手勢は相手よりも多く、城壁は堅牢だ。これほど楽な戦闘もないだろうと、女傭兵は笑いをこらえるのに必死だった。あと少し、あと少しで自分の大望への大きな一歩が踏み出される。彼女は腹の底からこぼれる笑いをこらえられなかったのだ。ここまで綿密に様々な立案を申し立てた甲斐もあろうと、彼女は自分の行いが報われることを信じて疑わなかった。
だが彼女は忘れていたのだ。彼女のその真面目な性格、あるいは功名を求める性格こそが弱点であると指摘されたことに。身の丈に合わないとは言わないが、人を指揮することはそれほど簡単ではないのだとかつて言われたことを彼女は記憶から消し去ろうとしていた。その忠告は事実、喉に刺さった骨のように彼女の心に痛みをもたらしていたのだが、彼女はその骨が刺さった理由を探してそっと取り除くのではなく、骨が刺さった事実を無視しようとしたのだ。やがてその骨が内臓を突き破り、致命的となる事すら忘れようとして。骨が刺さった体など、自分の物ではないと思い込もうとした。そうさせたのは、彼女の高すぎる望みと誇り。
そんな女傭兵の名前は、ミルネーといった。
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「なるほど、最近増築された跡があるわね。予めこの形に持ち込むために改修したとしか思えないわ」
「この砦の構造から、こんな戦術を想像したんだろうな。大胆だが、理に適っている。はまれば確かに必勝の策になる、が」
「気になる点が?」
「アルフィもわかってんだろ? こんな戦い方は誰も納得しない」
「ええ、そうね。私ならいくら勝てるとわかっても、絶対にやらないわ。この作戦を立てた人物、心当たりがあるかも」
「そうなのか?」
「おそらくね。答えはもうすぐわかるわ」
アルフィリースはやや足早に砦の方に向かう。内側にそびえ立つ砦の前に来ると、アルフィリースはその威容を観察した。砦の上縁には「返し」がついており、ミレイユのように駆け上がるのも難しく、またロープをひっかけても腕力のみでよじ登る必要があった。だが城壁の途中には至る所に弓矢用の細い穴が開いており、ロープで登れば格好の的になることはうけあいだった。
城壁自体も外周よりも高く、また堀は水で満たされているものの、おそらくはただの水ではあるまい。これらの水は生活用水にもなるため、食料用の魚が放されていることもあるのだが、先ほどから魚が一匹も跳ねない。また水鳥も一羽も止まっておらぬ。おそらくは、中に魔獣の類でも放ってあるのだろうとアルフィリースは推測した。
なるほど、堅固な城だとアルフィリースは思う。だが本当の意味で堅固というのは、ただ建物を整えればよいというわけではないと、アルフィリースは考えていた。城壁とは、建築物だけでなく、その場所を護人も合わせて城壁なのだと。
城壁の上では物見の兵士たちがこちらを見ている。まだアルフィリースたちも兵を前に出していないため、向こうもこちらを攻撃する様子はない。何事かとこちらの様子を見ているだけだ。アルフィリースは良く通る声で彼らに語りかけた。
「私はクライアに雇われた傭兵隊隊長のアルフィリース、この遠征軍の指揮官の一人だ! そちらの守備隊長と話をしたい!」
アルフィリースの声に敵兵がざわついた。その喧騒は女が隊長だということに驚いたのもあるが、女性が出すにしては非常に凛々しい声であり、また必要以上に居丈高でもなかった。野卑にも聞こえぬその声は、傭兵らしからぬ堂々たる威厳を持っていたのだ。
しばらくして、一人の女性が城壁の上から姿を現す。
「私がここの守備隊長だ。久しぶりだな、アルフィリース!」
「あ。あいつは」
「やはりミルネーね」
アルフィリースはなんとなく想像した相手が出てきたので、安堵したような残念なような不思議な感慨を覚えた。だがその内心を表情に出すことは決してない。今は戦闘中なのだ。
だがミルネーの方は違った。彼女は元来端正な顔立ちを歪ませ、歓喜ともひきつっているともとれる表情でアルフィリースの方を見下ろした。
続く
次回更新は、9/24(火)13:00です。