足らない人材、その122~縁⑲~
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「(どこだ・・・どこだレイヤー?)」
ルナティカは一心不乱にカンダートの砦を駆けていた。視界に入る者は味方以外全て切り捨てた。人形か生きている兵士かなどはお構いなしだった。行く手を塞ぐ者は全てルナティカに斬り倒された。
ルナティカにとってレイヤーは、初めての自分が責任もって預かった命だった。大事なのはもちろんリサ、その次のリサの護りたいものであることには変わりがない。だがレイヤーもまた、ルナティカが自発的に鍛え上げようとした存在である。
レイヤーを死なせない。複雑に考えたわけではなく、ほとんど無意識に近い行動であった。
だがルナティカにはレイヤーがどこにいるのかわからなかった。追手がいれば、後方の山二つ超えても直感が働くルナティカの察知能力を持ってしても、戦場の多数の気配と殺気に紛れたのか、レイヤーの居場所がわからないのだ。
ルナティカは一度民家の屋根の上で立ち止まり、戦場全体を見渡した。
「焦るな、考える。レイヤーはそう簡単には死なない。だけど混乱した戦場で、レイヤーの居場所がつかみにくいのも事実。私がレイヤーならどこに行く?」
ルナティカが戦場を見渡すと、まだ城内に傭兵団が流れ込んできていないことに気付く。目を凝らして正門の方を見れば、城壁ではロゼッタらしき人物が剣を振るっているが、仲間が妙に少なかった。
「まだ城壁をよじ登っているということは、正門が開いてない? 何か障害があったとすれば、レイヤーはまだ城壁の中か。そうなれば私が姿を晒すのは得策ではない・・・うん?」
ルナティカは正門の異常と同時に、城内の異常にも気が付いた。先ほど切り捨てた人形たちは、この城の兵士の恰好をしていた。すなわち、彼らはこの城内の守備兵の役割をしているはず。それなのにまるで正門周辺に集合する様子がない。
それどころか、この城内の市街地にもほとんどその姿が見えない。門を捨てて市街戦に引き込むのであれば、高所である住居の屋根は陣取るはず。だが、そのような兵士の姿が一切見られなかった。
「これはさすがにおかしい・・・はっ!?」
ルナティカはすぐ背後に視線を感じて振り返ると、その姿ははるか後方に見えた。
ルナティカが見たのは、全身が炎に包まれた女剣士。髪は紅蓮に燃え盛り、二刀を携えた女は剣で串刺しにした兵士を放り捨てるところだった。兵士は炎に包まれ、もがき苦しんでいるように見える。だが女剣士の方はその炎に苦しむこともなく、無表情のままふいと建物の屋根から姿を消した。
その瞬間、ルナティカの体からすとんと力が抜け、その場にルナティカは腰を抜かすように崩れ落ちた。どうしてそうなかったか、ルナティカ自身がよくわかっている。
「なんだ、アレは・・・あんな、あんな――」
その先は言葉にならなかった。なぜなら、女剣士はルナティカが今まで見た中で、最も恐ろしく、美しく、そして悲しかったから。
殺し方で一つでその人間の人となりや、時には半生すらもわかることがある。その女がどれほど殺せばあのような佇まいになるのか、想像もできない。ルナティカには、彼女を表現するだけの言葉が咄嗟に見つからなかった。
冷静に戻ったルナティカが、女剣士のいた場所に慎重に近寄ってみると、その場には山のように切り捨てられた人形達の残骸が転がっていた。人形たち、あるいは兵たちが正門の守備に来なかった理由がこれだ。全て、あの女剣士に阻まれたのだ。その数、千を下るまい。
ルナティカは戦慄した。自分に戦っている気配すら感じさせず、いかに愚鈍な人形とはいえこれほどまで完璧に殺し尽くすことができるのだろうかと。ルナティカはしばしレイヤーのことも忘れ、炎に包まれた残骸の中に佇んでいた。
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「ふう、予想以上に時間がかかりますね。さすがに長距離転移は骨が折れる。あなたも待ちくたびれたでしょう?」
サイレンスの軽口にレイヤーは反応しなかった。ただひたすら隙をうかがい、サイレンスを睨みつけている。わずかな隙すら見逃すものかと、レイヤーの目が告げている。だがサイレンスは薄く笑ってその笑みを返す。その表情には余裕すらあり、完全にレイヤーを小馬鹿にしていた。
いや、あるいはそうではないのか。ここまでサイレンスには一瞬たりとも隙はなかった。その事実が、レイヤーを内心では警戒していることを示していた。だからこそ、サイレンスはここまで詠唱を慎重に行い、時間をたっぷりかけている。
レイヤーは待った。サイレンスが一瞬油断してくれなければ、正面から対抗するだけの力量がはない。一瞬の隙に賭け、レイヤーは無駄な抵抗をすることなくじっと力を溜めていた。
そんなやりとりをしているからか、剣を合わせるわけでもなく二人に間には異様な緊張感が漂っていた。事実捕縛されたレイヤーとはいえ、それは縛鎖につながれた猛獣を身近に置いているようなものであり、何らかの拍子で鎖が切れた瞬間、自らを引きちぎりに来るだけの緊張感をサイレンスに与えていた。
サイレンスには油断はなかった。サイレンスはレイヤーのことを過小評価はしていない。また彼は目的を達成するために手段は選ばず、同時に全力を尽くす男だった。サイレンスはレイヤーを苦しめるため、また自分の欲望を満足させるためにあらゆる手段を講じていたはずだった。
だが、サイレンスは考えていなかった。転移魔術を使用する時は、結界の中にいても外部とつながってしまっていることに。魔術協会の連中がいないことは確認していたから、多少なりとも魔術の気配を感知されようと、結界を破られることはないと、心のどこかで思い込んでいた。
だから結界が突如として破られ、剣が自分の眼前に飛んできた時サイレンスは心底驚き、自らにあるまじき声を出してしまった。
「ぎゃひっ!?」
「む、何かに当たったようだな」
「団長、中の様子もわからないうちに剣を突っ込むのはやめてください。誰かいたらどうするのですか? アリの巣をつつく子供じゃあないんですよ?」
「敵以外の誰かがいたら、そいつは余程運が悪いのだろう」
無慈悲な言葉と共に、剣で斬り開くようにして結界に押し入ってきたのはヴァルサスだった。続いてグロースフェルド。彼らは結界の中に降り立つと、くるりと中を見渡して状況を把握した。怪しく醜い肉の壁の蠢きに、グロースフェルドが嫌悪感を露わにした。
続く
次回投稿は、8/31(土)15:00です。