足らない人材、その121~縁⑱~
「いるんだろう? 出てくるといい」
「お気づきでしたか」
建物の陰から一つの陰が姿を現した。その姿はクライアの兵士のそれだったが、顔だけは陰に隠れたまま、はっきりとは見えなかった。だがその影を見て、アーシュハントラは薄く微笑えみ語りかけた。久しぶりに出会った旧友にでも話しかけるように、穏やかな話し方だったのだ。
「久しぶりだね、ウィスパー。10年ぶりくらいかな」
「それくらい経ったかもしれませんね。貴方はちっとも衰えないし、性格も昔と変わらず風のようだ。いつになったら私に殺されてくれるのやら」
「君に殺されることに吝かではないのだが、それはまだ当分先のことだろうね」
ひょうひょうとしたアーシュハントラの態度に、ウィスパーが舌打ちをする。
「当分、ね。そのせいであなたに潰された傘下の商会がいくつあると?」
「私が潰さずとも、いずれギルドかアルネリアの目についていたさ。私の活動範囲で目立ったのが悪い。まぁ人生は長い、我々は特に。気を長くして待つといいさ」
「そうやっていつものらりくらりと躱す。本当に、夕凪のような人だ。いつか殺そうとした時もそうだった。私が仕留め損ねたのは、あなたが二人目ですよ」
「私も困ったよ。君の攻撃は殺意がなさ過ぎて、受け流すにも苦労した。息をするように致命打を繰り出されたらたまらないよ」
「それを全部受け流す相手に褒められても、素直に喜べませんね」
ウィスパーはむっすりとしながらも、アーシュハントラとの会話を心から楽しんでいるようだった。
そのウィスパーに、アーシュハントラはこれまた興味深げに話しかけていた。
「ところでウィスパー、君が目的もなくここに姿を現すとは思えない。何か気がかりなことがあったのかな?」
「あのルナティカを見ておきたくて。彼女がどうなったのか、これからどう成長するかが非常に楽しみなのですよ。まさか私の番号付きが殺されるとは思いませんでしたし」
「ほう、ではやはりあの子が切り札なのかい?」
「ええ、お察しの通りです」
影が風で揺れた。わずかに、だが、アーシュハントラには確かにウィスパーの苛立ちが垣間見えたような気がしたのだ。
「ルナティカは忌々しい存在です。ですが同時に最高に妬ましくもある。彼女を育てていたのは利用価値と、興味と嫉妬という複雑な感情からでしたが、どうやら彼女は私の元から離れていく運命の様だ」
「そうだね、彼女の本能を縛る事はオーランゼブルでもできまいよ。彼女を育てられたのは、色々な偶然が重なったがゆえに過ぎない。だからこそ、君は彼女の本質に触れることができた。それは幸運でもあり、光明でもあり、そして絶望だったかい?」
「ええ、どれほど追い求めてもついに私はあの力を手に入れられないと知りました。所詮私は人造の殺し屋だ。だから何としても彼女の力が欲しかった。ですが、どうやらそれは適いませんか」
またウィスパーの感情が揺れたのがわかる。アーシュハントラもまたウィスパーの心情を察することができたので、黙ってその場に佇んでいた。
「あの子をどうするつもりだい?」
「少なくとも、今はどうこうするつもりはありませんよ。私の想像した状況とは随分と異なりますが、もう少し見ていたくもあるのです。あれほど殺しに特化した生命が、人としてどのような生を歩めるのか。まるで親のような気持ちというのでしょうかね」
「事実親のようなものだろう? だが何が目的なのかと言われれば、やはり」
「ええ、あの『太陽姫』を倒すための駒ですよ。オーランゼブルなどより、私にとってはこちらの方が深刻だ。今でこそ活動を停止していますが、なんの拍子で動き出すのかわかったものじゃない。旧世代の存在が去ったこの大陸で、彼女の存在だけが異質だ。全ての盤上の駒が、彼女の気まぐれ一つで全てひっくり返る。そんな存在を見過ごせるものですか」
「それが調和のとれた闘争ということかね? 変わらないね、大老と君は」
憐れむようにも聞こえたその声に、ウィスパーが黙る。
「ふん、少しは変わりましたよ。自ら戦わない者は、本当に欲しい物を掴みとる事はできないとわかりましたから。だからこうして現場にも直接赴いている」
「だから今度は全員を主役にするために、人々を操作して無理矢理戦場にしようと? やれやれ、強引なことだ。結局やっていることにあまり変わりがないようだが?」
「ここまで大規模にしようとは思ってもいませんでしたよ。私が意図する以上に、余計な戦いを引き起こしている者がいます。それを見定めるために私は動いている。そう言うあなたこそ、一体何を目的にしているのやら。本当に風のように流離っているわけではないのでしょう?」
ウィスパーに声には問いただす鋭さがあったが、アーシュハントラは少し悩んで、いつものようにするりかわした。
「・・・私は本当に、この大陸の行く末を案じているだけさ。ただ、あまりに抱える問題が大きすぎて、私にはどうすることもできないし、その能力もない。そういう意味ではオーランゼブルが羨ましい。彼はあらゆるものを犠牲にしてでも、行動に移すことを決めたのだから」
「アーシュハントラ、あなたはひょっとして・・・いえ、よしましょう。野暮というものですね、私は私の目的を遂げられればそれでいいのだから。その時あなたが立ちはだかるようなら、遠慮なく戦いますよ」
「宣戦布告とはらしくないな、君も。だが私もどうするべきか、そろそろ決めねばなるまい。いつまでも傍観者ではいられないだろう」
「残念ながらもう傍観者ではありませんよ、サイレンスの手駒に関わったのですから。彼は異常だ。オーランゼブルの意図とは別に、何かに取り憑かれたように戦争を引き起こすために動いている。私の調査では、余計な仕事はほとんど全て彼のせいだ。オーランゼブルの手駒の中では、せいぜい悪霊のドゥームと彼くらいしか、余計な動きをしていない」
その言葉に、アーシュハントラが顔をしかめた。
「ウィスパー、君はまさか、黒の魔術士の行動にも関わっているのか?」
「さて、それこそ企業秘密です」
「ふん、その辺は商会の長だけはあるか。サイレンスか。彼も謎の多い人物だね。あれほどの魔術の使い手が、どこに潜んでいたのやら。いや、むしろずっと人間世界の裏に潜んでいたのかな。だが彼は周りが余程見えていないようだね。なぜ魔術協会がこの戦いに裏側ですら干渉してこないのか、もっと考えるべきだった。魔術協会はサイレンスが尻尾を出すのをずっと待っているんだ。今の会長テトラスティンは甘くない」
「・・・なるほど、そういうことですか。だから人形が『これだけしか』いなかったのですね」
「そういうことだね。人形の始末は人形が行うのさ。もっとも彼女を人形と呼ぶには、あまりに敢然たる意志と妄執を持ち過ぎだとは思うけどもね」
「そのあたりに詳しいとは、さすが辺境で遺跡漁りばかりしているだけはある」
ウィスパーに皮肉にも微笑みで返すアーシュハントラに、ウィスパーはこれ以上の皮肉の無意味さを感じた。
「そろそろ私は自身のやるべきことに集中するとしましょう。もはやこの戦の大勢は私が手を下すまでもなく、決したようだ。結果的に、私が出向くまでもなかったかもしれない」
「ここまでは君の筋書き通りかい、ウィスパー? それとも、あの女傭兵は君の予想よりも優秀だったかい?」
アーシュハントラの問いかけに対する返事はなかった。ウィスパーの姿も気配も、いつの間にか消えていたのだ。ただ暗がりのなかに、ぬるい風だけが吹きつけ、猫が一匹気怠そうに鳴いて去っていった。
「ふう、私は本当に彼と話していたのかすら疑わしくなってくるね。さすが、『囁き』と呼ばれるだけある。おっと、私もこうしてはいられない」
アーシュハントラもまた風と共に姿を消した。後に残る人形達も、既に崩れてその身を土へと還しつつある。さながらその一角は無人街のように、表の戦いの熱気を余所に、閑散と生温い風だけが吹き抜けていた。
続く
次回投稿は、8/29(木)15:00です。