足らない人材、その116~縁⑬~
「ミレイユ、どうするの? 手を貸しましょうか?」
「うーん、あのくらいなら登れるっしょ? っていうわけで、いつものようにやろっか?」
「私はどっちでもいいわ」
「じゃあ、多く倒した方が相手に一つ命令できるってことで」
「どうせあなたの場合、酒でしょうに」
「あはっ、まあいいじゃん」
そんな他愛ない会話と共に、城壁に接近する二人。城壁の上にいる兵士たちが矢を射かけようとするのが見えると、アマリナは高度を上げ、ミレイユは一気に加速する。ミレイユの加速は凄まじく、戦場にいた者は一瞬ミレイユの姿を見失うほどだった。
ミレイユは一瞬で最高速に達し、そのままの速さで城壁のわずかなでっぱりに足を駆けると、推進力を垂直に向けて一気に城壁を駆け上がった。下を覗き込もうとした兵士の頭を蹴り上げ、吹き飛んだ兵士が城内に無様に墜落すると同時に、ミレイユは城壁の上にふわりと優雅に降り立ったのである。
ミレイユは驚嘆する兵士たちに向けて、自己紹介とでも言わんばかりに得意げかつ高らかに告げた。
「ミレイユ、一番乗り!」
「なっ」
ミレイユは一瞬勝ち誇ったように腕組みをしたが、兵士たちが攻撃を仕掛ける前に、ミレイユは次の行動に移る。駆けあがった勢いそのままに、城壁の上の兵士たちの掃討を始めたのだ。旋風のようなミレイユの攻撃に、城壁の上が阿鼻叫喚の渦となり、ミレイユに突き飛ばされ弾かれた兵士たちが何人も城壁から墜落死した。
そして門を挟んで城壁の反対側では、アマリナが城壁の上にいる兵士たちを叩き落としているところだった。ヴィーゼルの兵士は竜騎士を見たことのある者がほとんどいなかった。ゆえに彼らは知らない。天馬と違い、竜は弓矢で簡単に射落とせるものではないということに。
正確に言うと、竜の羽を射抜くことはできるのだが、竜の羽に痛覚はなく、余程の数の矢を叩き込まない限りその飛翔を妨げることはできない。また一撃で竜の飛翔を止めるには羽の付け根を射る必要があるが、人間の手のひらほどの大きさほどしかないその急所を射抜くのは、もはや神業と言っても差支えなかった。
加えて、アマリナの騎上技術は見事で、竜は天馬を上回る高速で動き回る。事実上、ヴィーゼルの兵士にアマリナの竜を落とすことは不可能だった。ローマンズランドと直接交戦した経験のある国ならともかく、ヴィーゼルはローマンズランドから遠すぎた。
それでも2人の戦士に乱されるのは恥だと、指揮官らしき男が叫ぶ。
「何をしている、乗り手を狙え!」
「そう言われても、これだけ早く動き回られたんじゃ!」
一撃離脱を繰り返すアマリナ相手には、めくら滅法に矢を射かけるくらいしかできないが、早々乗り手にも当たるものではない。そしてとどめの一撃がアマリナから放たれる。
「やりなさい、グレイブ」
「ゴアアア!」
アマリナの竜から炎の吐息が放たれた。城壁の上は混乱の極みにいたり、炎から逃げようと仲間を突き落とし、あるいは炎に包まれて自ら飛び降りる者もいた。
総崩れになった城壁の護りを見て、ロゼッタが自らの部下を城壁の下まで誘導する。
「よし、始めろ!」
ロゼッタの部下はロープの先に鉤爪をつけ、城壁の上に引っ掛けるようにした。あるいは城の城壁の隙間に刃を差し込み、足場代わりによじ登って行く。混乱の極致にある城壁の上からの反撃はほとんどなく、彼らは素早く城壁の上に到達し、制圧を始めることに成功した。
「手の空いた者はあの鉄柵を上げる方法を探せ! 急げ!」
ロゼッタが命令を下す頃には、ミレイユが既に先んじていた。ミレイユも馬鹿ではない。いかに自分が強かろうと、単騎で数千の兵が相手にできるとは思っていない。援護がなければ、いずれ不覚を取ってもおかしくはない。
ミレイユは鉄柵を取り除く方法を探すため、城壁の中を探していた。その途中、妙な空間を発見したのだ。
「あそこ・・・なにかな?」
ミレイユが発見したのは、ただの行き止まり。絵が一つ飾ってあり、小さな置き机に花瓶が飾ってあるだけの、ただの空間。明り取りの窓があり、床には石膏でも使ったのか、白い線がちぐはぐに引いてあった。その光景を見て、ミレイユは背中がぞわぞわするのが止まらなかった。これはミレイユにとって、危険を察知する徴候である。
「・・・何アレ、ヤバいよ」
「どうした、ミレイユ」
「ひゃっ!」
ミレイユは集中していたところに不意に話しかけられて、飛び上がりそうになってしまった。後ろから声をかけたのはカナート。ミレイユが信用する、数少ない仲間だ。ブラックホークが抱えるセンサーでもあるカナートは、ミレイユの居場所を感知し、追いかけてきたのだ。そのカナートも同じ違和感を感じたようである。
「あの空間、変だな。あんな所に場違いな花瓶と絵。およそ戦場らしくない」
「しかも裸婦画だよ。あんなもの戦場においたら兵士の規律が乱れる。戦場じゃ、女を連想させるものは厳禁だからね」
「ああ、そうだな。で、どうする?」
「・・・あんまり聞きたくないけど、グロースフェルドを呼んだ方がいいね。何があるかわからないから」
「変態神父にゃ頼りたくないけどな、これもしょうがない。ちっと後陣に行って呼んでくる」
「ワタシは別の場所を探索するよ。この砦はさっさと制圧した方がいい、ヴァルサスにもそう言っておいて」
「おう」
そう言うと、カナートは素早く消えた。その後でもう一度ミレイユは振り返って呟いたのだ。
「結界なんだろうね、きっと。何の目的でこんなとこに仕掛けたのかしらないけど、この中にいる奴はきっとろくな奴じゃない。少なくともワタシは関わり合いになりたくないね。
戦いは芯から熱くなれる相手がいい。間違えても背筋が凍る奴とはやりたくないけど、結界は発動しているし、誰がこの中に引きこまれたんだろう・・・まあいっか、ワタシには関係ないし!」
そう言い残すと、ミレイユはその場を一目散に離れた。これ以上この場にとどまっても自分に良いことは一つもないと悟ったのだ。
そうなるとミレイユの動きは早い。ものの30を数えない間に別の場所で戦闘を開始していた。
ミレイユが見逃した場所には何もない。彼女が指摘しなければ、本当に何もないようにしか見えなかったが――その場所では確かに人知れず、激しい戦いが繰り広げられているのであった。
続く
次回投稿は、8/19(月)16:00です。連日投稿になります。