足らない人材、その115~縁⑫~
「その気配、覚えているよ。姿を隠す必要もない、出てこい」
「ふふ、やはり鋭い子供だ」
壁から声がして、ぐにゅりと壁が変形する。そこから姿を現したのは、サイレンスだった。サイレンスは美しい微笑みを残したまま、レイヤーの事をいとおしい者でも見るかのようにじっくりとなめまわすように見た。だがその眼には、レイヤーですらぞっとするほどに、常軌を逸した光が宿っている。
「何の用だ」
「それはつれないお言葉ですね、私は約束を守る人間です。以前の言葉を覚えていませんか?」
「さあ、なんだっけな」
「最も残酷な方法で殺すと約束しました」
サイレンスがすらりと剣を抜く。スラスムンドと違い、今度の彼には油断がない。レイヤーにもぴりぴりと彼の殺気が伝わってくる。
だがレイヤーは感じていた。サイレンスの殺気は、別に自分だけに向けられたものではないと。サイレンスの殺気は、いうなれば全方向に向けられている。彼はレイヤーだけでなく、周囲の全てが憎くて憎くてしょうがないのだと、他人の感情の疎いレイヤーにも感じられた。美しい外見とは裏腹に、この反転した世界こそが彼の内面を正しく表現しているのだろう。
結界の中の世界は使用者の心情や状況を反映することがあると魔術の心得のある者なら知っていたが、魔術の心得のないレイヤーでも察することができるほどに、この反転した世界はむき出しの感情を表現していた。
「なぜ今?」
「好機だからですよ。アルフィリースの庇護の下にいるあなたが、単独行動をしている。そしてそのことを知っているのは、ごく限られた人間だけ。今なら殺しても何の影響もない。この機会を得るために、ずっとあなたの事を監視していました。私は執念深いのです」
「オーランゼブルの約定とやらには抵触しないのか?」
「あんなもの、律儀に守る必要もない」
「!?」
レイヤーは剣に手をかけた。この敵はどうもおかしい。何がおかしいとは言えないが、得体のしれなさではレイヤーが見たことのあるどの敵、魔物よりも異質だった。レイヤーが吠える。
「何者だ、お前!」
「改めまして名乗りましょう、サイレンスと申します。ただのしがない人形遣いですよ。ただし、操る人形の数は千ではききませんが。この砦にはざっと五千体の人形を配置してあります」
「ご・・・」
五千、それだけの人形を操っているというのかと言いかけてレイヤーはやめた。その証拠は先ほどまで自分が見ていたではないかと、レイヤーは口をつぐんだ。
サイレンスは調子よく続ける。
「人形を配置する時のコツはね、少しずつ通常の人間と入れ替えるのですよ。そうでないと気付かれますからね。意外と人間は愚かなものでして、隣の住人がどこの誰で、何をしているのかなど、気にもかけないことが多い。それは大都市ほどその傾向が強い。このカンダートのように、兵士の入れ替えがしょっちゅう行われる砦はうってつけですね。人間を引き上げさせ、人形を送り込めばいいのですから」
「さすがに気付かれるだろ?」
「指示を出している人間も人形なら?」
サイレンスが笑顔で応え、レイヤーの顔が青ざめた。
「まさか・・・軍だけじゃなく、国の指導者に近い連中も人形なのか?」
「さて、どうでしょうね?」
「ふざけるな!」
レイヤーは地面を蹴っていた。一瞬で肉迫し、サイレンスに斬りかかる。サイレンスはその剣を受けながら、にこやかに答えた。
「焦らずとも、この結界は城に限りなく近いものです。時間の流れも多少外とは異なりますし、ゆっくりと楽しむことができますよ。気が向けばあなたの質問にも答えてあげましょう」
「ふー・・・そんな時間は必要ない!」
レイヤーは大きく息を吐き、集中し直すと一度距離をとった。相手の言葉に真実がどれほどあるかわからない。外では味方が自分の行動を待っているのだし、時間をかけるほど不利になる。そう感じて、サイレンスとの戦いを開始したのであった。
***
アルフィリースはじっと耐えていた。もう既にやることは終わっている。今ここで無理にあの城壁をよじ登り突破しようとするより、呼んでおいた増援を待った方が得策だと踏んだのだ。エアリアルなら、早々死ぬことはないだろうとアルフィリースは信じていた。
そして、アルフィリースの期待は見事に当たる事となる。
「よ~し、一番乗り~」
戦場で間の抜けた声がアルフィリースの背後から聞こえた。周囲が振り返ると、そこには兎族の女性が立っていたのだ。これまた戦場とはかけ離れた、とても戦うとは思えないほどの軽装で。彼女はまるで寝起きで戦場にそのままかけつけたようであった。事実眠そうに、欠伸をしていたのだから。
そのミレイユが、のほほんとした口調で戦闘の意志を示す。
「さ~て、いっちょやりますかぁ」
「ぜい、ぜい・・・まてよミレイユ。早すぎだ・・・」
後ろから追いついてきたのは、ブラックホーク4番隊の面々。ラッシャを先頭に、全員が息を切らしていた。どう見ても、ミレイユの後について全力疾走してきたのだろう。中にはその場で膝をついてしまうものもいるくらいで、とてもこれから戦う余裕があるようには見えなかった。
ラッシャが一つ大きく息を吐いて呼吸を整えると、アルフィリースに挨拶した。
「まさかあんたに雇われるとはな」
「ご迷惑だったかしら?」
「いや、依頼とあれば受けるさ。傭兵が傭兵に雇われるとは珍しいが、嫌な雇い主ってわけじゃない。それにこの連中も暴れ足りないだろうしよ」
「その割には息切れしているみたいだけど?」
アルフィリースがラッシャの後ろを心配そうにのぞいたが、ラッシャは彼らを蹴飛ばして無理矢理立たせた。
「整列しねぇか、根性なし共! 雇い主の前でだらしねぇ所を見せるんじゃねぇ!」
「お、おう!」
「すみませんね、礼儀知らずばっかりで。だけど戦いとなりゃあそんな心配はいらないんで。こいつらは戦いに飢えた連中ですから、一度おっぱじまれば嬉々として戦いまさぁ」
「いーじゃんラッシャ、休ませときなよ。そんなに息が上がってたら、いくらそいつらでも今すぐ戦えないって。それよりどうもあの城は空気がおかしいよ。いますぐにでもつっかけた方がよさそうだね。あの城、何かあるよ」
そう言ったミレイユは事実少し真剣な顔をして、既に前に出ていた。そして通り過ぎざま、アルフィリースの肩をミレイユは叩いた。
「あんた、人間なのにいい勘してるよ。この城、ワタシ達がいないと一筋縄じゃいかなかったろうね」
「空気が変だとは感じていたわ。それに時間もかけたくなかったし。あまりややこしいことを考えたわけじゃないの」
「そうそう、それでいいんだよ。やっぱし先頭に立つ奴が馬鹿だったり間抜けだと、一緒に戦う奴も迷惑だもん。ワタシの知る限り、満足のいく奴は二人かなぁ」
「ちなみに誰?」
「ヴァルサスとドライアン」
「ドライアン? それってグルーザルドの国王じゃ――」
だがアルフィリースの問いに答える前に、ミレイユは単騎で駆け出していた。同時に、空から一騎の飛竜が飛んでくる。二人で突っ込んでいく様子に、リサが驚きの声を上げた。
「二人で城攻めをやるのですか?」
「いや、実質ミレイユ一人だ」
「いかに腕に自信があろうと、それはあまりに無謀では?」
「いやー、まあ実際なんとかしちまうだろうな。あいつはなんせ、強すぎて獣将になりそこねたような奴だ。誰かを率いるより、単独で突っ込んだ方が性に合っているのさ。あれの動きについていけるのは、うちではアマリナくらいだ。それも協力っていうよりは、背中合わせで勝手に戦っているって印象だけどな」
ラッシャの言葉通り、飛竜にのったアマリナが一瞬だけミレイユに近づく。
続く
次回投稿は、8/18(日)16:00です。