足らない人材、その103~戦略家48~
次回投稿は、7/26(金)19:00です。
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「既に脱出する道はなかろうな・・・だが我が身よりも証拠の隠滅が優先か」
グランツはサラモ砦に巨人達が出現し、彼らが劣勢になった時急いで砦の中の彼らに関する資料の始末にかかった。もはや計画は上手くいかない事がわかったし、それならば証拠の隠滅が優先事項だと考えたからだ。最初は人を使って始末しようとしたが、手分けするうち彼らも各所で戦闘に巻き込まれ、ほとんど生き残っていないようであった。グランツは資料が完全に始末できたかどうか不安になり、肝心なものは自分で始末に回る内に、ついに混乱に紛れて脱出することがかなわなくなった。
グランツはやむなくわずかに残った部下と共に資料を始末すると、その残った部下も手にかけた。グランツはファイファーがどうやら囚われたらしいと知ったところで、資料の始末が間に合ったことに安堵した。これでファイファーが国際的に非難されようと、決定的な証拠は残らない。巨人達は死ぬと土に還ったし、彼らをファイファーが使おうとしたという証拠はもはやない。最も恐ろしい、各国合同の異端審議会でファイファーが糾弾されることもないだろう。
だがその一方でグランツは悔しい思いも抱えていた。もしあの巨人を自在に使用することができるのなら、死罪人などを使用して強力な軍隊を作ることができる。日が経てば土に還る彼らは最高の消耗品であり、戦争に勝つことだけを考えるなら、ファイファーの軍隊は当代最強の軍隊になるだろう。
そうなればファイファーがやがてクライアの王となり、クライアは他国に向かって進撃を開始するだろう。グランツはそれが正しいことだとは微塵も思っていなかったが、ファイファーが王となるのは常々夢見ていた。自分が若い頃に出会った、この剣呑としたかりそめの平和を打ち破らんとする猛き領主。時代に似つかわしくない野心に燃えた領主を見て、心躍った自分は今もここにいる。人になんと非難されようと、男として生まれたからには一度天下を夢見てみたいと、グランツは本気で思ってしまった。少なくとも、このファイファーとなら実現できるかもしれないと。
だがやはりわけのわからぬ邪道を用いたのが間違いだったのか、少なくとも今はファイファーにとっては向かい風となっている。いや、邪道を用いたからこそ、この一見安穏とした平和は、なんとも言えず愚かしく醜い泥濘をその足元に有していると知ってしまった。この汚泥は、自分達ごときでは何ともならぬと悟ったのだ。ならばせめて自分が泥をかぶる事で、ファイファーの可能性を活かして見たかった。
「(領内に設けた士官登用制度のおかげで、優秀な若い人材が育ちつつある。彼らが徐々に世に出るようになれば、きっとファイファー様の役に立つようになるだろう。もうすぐ私がいなくとも、ファイファー様は・・・)」
グランツはファイファーという人物に心から忠誠を誓っていた。だからこそ、何かあれば自分が全ての責を負い、ファイファーの代わりに首を刎ねられることも厭わないつもりだった。だが同時に、ファイファーが王となる姿を見てみたくもある。
グランツは最後までこの砦を脱出し、どんな惨めな形でも命を永らえてみようという希望も捨ててはいなかった。
「脱出するなら、一度国境を超えてから南下すべきか? 亡命するよりは、一度身分を隠して隠遁した方が良いだろうが、この剣はどうしたものか・・・さて」
グランツが考えをまとめながら歩いていたせいか、周囲に対する注意が少し薄れていた。丁度その時、曲がり角で人とぶつかってしまった。左胸にぶつかられ、よろめくグランツ。
普段なら相手を叱責するところだが、今のような状況ではそうもいかない。それどころか、相手によっては自分の姿を見られない方がよいのだ。
グランツは誰とぶつかったのだろうと相手の顔を見ようとしたが、その横顔がちらりと見えただけだった。だが確かにその横顔、後姿には見覚えがある。あの男だ。互いに顔見知りであろうはずなのに、なぜか男はこちらを無視した。不審に思い、グランツは男に思わず声をかけてしまった。
「待て、エ――」
そこまで言いかけて、グランツは床の色が変わっている事に気が付いた。床は敷物すらしかれていない、簡素な石畳の冷たい灰色をしている。なのに、今床の色は鮮やかな赤であった。このように鮮やかな赤は、王城で高位の貴族に謁見する時の応接室の絨毯くらいにしかないのではないだろうか。
どうしてこんなものが突然出現したのかと考えようとして、その赤の元が自分の左胸から流れ出ていることにグランツが気が付いた。赤の元は、自分の胸から流れ出る血だった。
「・・・なんだと?」
グランツの左胸には、円筒上の針が刺さっていた。一応胸当てはつけていたはずなのだが、針は胸当てをきれいに貫通していた。針の孔を通して、大量の血が地面にぶちまけられているのだ。
グランツはその針を引き抜こうとして、はっと思いとどまる。針を抜けば余計に出血するだろう。だが針を抜かなくても出血する。グランツはどうしてよいのかわからないままその場でおろおろとうろたえ、何かを口走ろうとして声が出ない事に気が付いた。喉もいつの間にか斬られていた。こちらからは血が全く出ておらず、初めてグランツは恐怖をここで覚えた。
それだけではない。気が付けば左手も落ち、そして右腕も腱を切られて使えなくなっている。さらに両足も切られていたことに、今気がついた。
グランツは悲鳴も上げることが出来ず、その場で口をぱくぱくとさせ相手を見た。相手は背を見せたまま何事もなかったかのように悠然と去ろうとしている。まるで本当に何もしてないかのように、あまりに自然な振る舞いであった。
だが確かにグランツは見た。相手はちらりとこちらを振り返り、たしかに微笑んだのだ。そしてグランツに別れを告げるように、手を振るとそのまま歩いて去って行った。相手が曲がり角で姿が見えなくなると、グランツは膝から崩れ落ち、自らが作った血の海へと倒れ込んだ。倒れ込んだ血の海でグランツが何を考えたか、彼には伝える手段すら残されていなかったのである。彼の忠誠は、汚泥ではなく血の海へと沈むこととなってしまった。
続く