足らない人材、その94~戦略家39~
闇の蛇はドルンを締め上げ、噛みつき、容赦なくその体を破壊した。ドルンが再生しようがまるで構わず、再生するその端から徹底的に破壊しつくそうとした。ドルンの命が次々と消耗するさまが、知識のない一般兵士達にもわかったのだ。
ドルンは闇の蛇からは逃げられないと悟ったのか、抵抗を止めると代わりにその口から何かを空に向けて吐き出した。
それは一見白いおたまじゃくしのような、ぬるりとした生き物。勢いよく吐き出されたそれは、宙に飛び出すと羽をはやし、空に逃げ去ろうとした。だが、そのはるか上空からその状況を見ていた者がいた。フォスティナである。アマリナの飛竜にいつの間にか騎乗していたフォスティナは、一連の様子をずっと見ていたのだ。
「空にいてよかった、やはり逃げようとしたか。だがそうはいかん!」
フォスティナはアマリナの飛竜を蹴ると、宙に身を躍らせた。そのまま吐き出された生き物にとびかかると、降下のすれ違いざまに、生き物を一刀両断した。
「成敗」
その最後の生き物にドルンの意識があったかどうかは定かではない。だが化け物は伸ばした手を空に向けながら落下していった。そして丁度突き出た瓦礫に半身共にぶつかり、その身を粉々にしたのだった。
それでも半身は元に戻って再生しようと蠢いたが、片方が瓦礫に突き刺さっていたせいで、元に戻る前に絶命することとなった。
フォスティナは落下の途中でアマリナに回収され、事なきを得た。
「すまないな」
「そう思うのなら二度とするな。私の竜は今日大量の人間を乗せてただでさえ不機嫌だ。これ以上負担をかけたくない」
「肝に銘じておこう。だがそれにしても乗り手も竜も見事だ。さぞかし名を馳せた騎士だったのか?」
「・・・」
「余計な質問だったな、忘れてくれ」
フォスティナは非礼をアマリナに詫びると、屋根の近くでそのまま飛び降りた。彼女には生き残った兵士から喝采が浴びせられたが、ただ一人、アーシュハントラだけが油断なく状況を観察していた。その目は、蛇に絞殺された巨人の残骸の方に向いている。
「さて、私の観測が正しければ何らかの変化が訪れるはずだが・・・」
アーシュハントラが独り言をつぶやいた時、抜け殻となったはずの巨体が、びくりと動いた。だがその事象は、アーシュハントラ自身にとっても意外だったのだ。
「馬鹿な、そう来るのか? それはいくらなんでも――早すぎる!」
アーシュハントラは思わず立ち上がっていた。その表情は、動揺を隠しきれていなかった。
***
「出現したぞ! どうする?」
「慌てるな、ここは離れている。砦の戦いの影響はこちらにはこないだろう。我々は監視を続けるだけだ」
サラモの砦から離れた場所で、数名の人物がサラモの砦の様子を監視していた。彼らは並々ならぬ任務を帯びてサラモの砦、ひいてはこの一連の戦いをずっと監視しているのだ。
指示があるまで、何があっても不介入。もちろん命令は絶対だが、彼らも人の子である。目の前で次々と散っていく命を悼まないわかではない。だがそれでも、今後の事を考えればこの戦いの帰結と、出現を予測された存在がどう出るかを知る必要があるのは、重々に承知していた。
「アレの出現を予測していたというのか、馬鹿な」
「予測以上ではあるかもしれないが、いずれは現れたであろう存在だ。形はともあれ、何かああいった存在が顕現するであろうことは、はるか以前から指摘されていたのだ。もちろん、我々以外は本気で対応策を考えていはいないだろうが」
「だが、それにしては同じような事を考えている連中が他にもいるな」
監視者の一人は、そのように仲間に告げた。もちろん、問いかけれらた者もとうにその事には気が付いている。
「ふん、少し情報網があれば誰でも気が付くことだ。だがそちらに目がいっても、なお既得権益で争うことを止められない愚か者ばかりだ。例えば、浄儀白楽のような」
「奴は俗物か?」
「そうだろうよ。東の大陸での惨劇の事を聞いたか? 奴はじきにこちらに攻めてくるぞ。そんなことをしている暇はないというのにな」
「そうなると、我々の使命の重大さが余計身に染みるな」
「そういうことだ。引き続き監視するぞ、我々こそが善き人の導き手たるのだから」
「ああ、きっちりと見届けるさ。この大陸の、末の末のためにな」
そう言って、監視者たちは正義を心に己が任務に没頭するのだった。隠れるために纏ったローブの下に、いつも以上の信仰を胸に秘めて。
だが、彼らとて不安のあまり、その他の可能性について考えることを放棄していることに気がついてはいなかったのだ。
そういった意味で、この戦いや一連の大陸の出来事に、確たる視点と方策を持って臨んでいる者などまだほとんどこの段階ではいないことに、誰もが気が付いていなかった。
***
「そんな、馬鹿な・・・」
驚いていたのはアルフィリースの影だった。彼女の策では、完全にこれで仕留めたはずだった。ルイの加勢が必要なかったのはむしろ嬉しい誤算なくらいで、さしもの影もこれで敵を退けたと思い込んでいた。
だが、巨人はむくりとその巨体をまた起こしていたのだ。膝立ちになったその巨体からは、先ほどのような覇気や邪悪さは感じられない。ただ、威圧感と不気味さとだけが同居していた。
「ありえない、ありえないわ。もうとっくにこいつは死んでいるはず。命の貯蓄は既に使い切っているはずですもの。リサ! 間違いないわよね?」
「え、ええ・・・確かにリサのセンサーにも生命反応は感じられません。このデカブツが初めて出会う生物でも、先ほどまでとは明らかに生活反応が変わっているのです。これはもはや別の生き物か、あるいは死体が動いているとしか」
「不死化・・・とは少し違うようね。そんな魔術要素は感じられなかったし、そもそも場の属性が――」
そこまで影は何事かを言いかけて、はっと気が付いた。場の属性は魔術を唱えるうえで必要となるため、魔術士であればだれでも感じ取ることができる。だが、今感じる場の気配は何もない。本当に、何もないのだ。
これは異常事態だった。通常、一定範囲の精霊・魔素は比率が存在する。場所の特性――たとえば水場なら水の精霊――といったような偏りは存在するが、まったく精霊が存在しない、なんてことはありえない。
試しに影は魔術を唱えようとしてみたが、魔術が発動する様子は全くなかった。つまり、この場所は突如として魔術が使えなくなったということだった。影に初めて焦りが生じた。
「(なんだこれは! こんなことが・・・いや、まて。確かそんな土地をこの娘達は通ったな・・・ユートレティヒトとか言ったか。あの街では上手く魔術が使えなかった。もしかすると、あのような土地は偶発的に『発生』しているのか? だとするとこの変化は・・・)」
「何を考え込んでいるのですか? 逃げますよ!」
リサが影の手を引いた。見れば、既に起き上ったドルンであった巨人は前進を始めていた。その行動に殺気はなく、眼下に見下ろす人間や建物にも興味はないようだ。事実、建物に躓き姿勢を崩したりしている。だがその歩みは一定で、止まる気配も見せなかった。
そして何人かが気が付いた。巨人の踏みしめた大地が、しおれるように崩れるのを。傍目にも、土が腐っているのが見て取れた。
「あれは・・・なんだ?」
「アルフィリースの偽物、あれが何かわかりますか?」
「いや、わからん・・・だが」
だが、まるで土を殺しているようではないか、とふと影は思った。もしそうなら、あの巨人の変容と、魔術を使えなくなった理由は説明がつく。だが仮説だらけで、あまりに説得力に欠ける。全ては状況が示すだけであった。影は、非常に冷静かつ合理的な思考をする性格であったのだ。
「(どのみち結論は出ない。だが、これからどうするかは簡単だ。仮説が正しかろうが間違っていようが、魔術が使えないのは事実。ならば私がここにこだわる必要もなかろうよ。既に敵もこちらを狙ってはいないようだ。
ならばここは引くのが吉だな。・・・くくっ、これはいいではないか。余計な力を使わずに済んだ。それなら私がしばしこの体の主導権を握ったままにできる。そうなると他にやりたいことが――)」
「(させませんよ)」
「(あ?)」
影が頭の中で悪態をついた。突然影の思考に割って入った、謎の声。その存在に気が付き、影は顔をしかめた。
続く
次回投稿は、7/11(木)20:00です。