足らない人材、その87~戦略家32~
「招待するならちゃんと書面で通知してよね、失礼しちゃう」
「冗談を言う余裕はあるのね。今回は予定外の事態だわ、そちらにとっては二度目の顔合わせね」
そこにいたのは、予想通り以前見たアルフィリースと同じ顔をした女性。ただし、その表情は邪悪そのもの。不敵に笑んだ口元は、耳まで吊り上りかねんばかりの勢いだった。アルフィリースがリサに教えてもらって邪悪な表情の練習を繰り返しても、きっと同じ表情は出来ないだろうと、そんなつまらないことを考えた。
「何の用? 戦いの最中だし、さっさと帰りたいんだけど」
「時間は取らせないわよ。ここは私達の精神世界――いわゆる意識の中だもの。時間の経過など無意味よ」
「ふーん、随分便利ね。ならここで修行しよっかな。目が覚めたら突如として強くなれるかも」
「あるいはそういう事も可能かもしれないわね、精神が肉体的・魔術的な強さに直接影響するなら、のことだけど。まあこの空間を維持するだけで疲れちゃって、それどころじゃないと思いますけどね。
だけど今回の本題はそうじゃないのよ。私達は互いに要件があるわ、あなた自身も私を必要としたからここに来たのよ。そうでなければ、この空間は私には作れない。それほど私に自由があるわけではないのすからね」
「私、別にあなたに用なんてないわ」
アルフィリースがそっぽを向いたが、もう一人のアルフィリースは構わず続けた。
「いつの間にかひねくれた性格になったわね、処女のくせに」
「せめて乙女と言いなさい、破廉恥だわ。だいたい誰のせいだと?」
「リサじゃない?」
アルフィリース自分そっくりな影の存在が冗談らしき言葉を発したことに驚いた。そして同時に確信した。この影は、自分の一部ではない。一つの人格を持った個体なのだと。
「・・・あなた、何者なの?」
「その論議は話せば長いわ。いつまでもこの空間を保てるわけじゃないのよ、本題に入りましょう。あなた、少しの間私と交代なさい?」
影の大胆な提案に、アルフィリースは珍しくカッとなった。
「ふざけないで! 私がそんな事を許すと思っているの!?」
「思っているわ。だって、そうしなければどうしようもないもの。力は私の方がうまく使える、遠慮がない分ね。あなただって本能では悟っているはずだわ。あの敵はただ呪印を解放するだけでは倒せないと」
「・・・だからってあなたが倒せるとは限らない」
「そうかしら? 私はここにいながらあの敵の事がよくわかるわ。あれの命の貯蓄は11個。ルイが単独で力を使い果たすまで戦って、7つ削るのがやっとね。フォスティナは倒せるでしょうけど、その前に敵が空に逃げる。あのマックスとかいう男とその取り巻き、アマリナという竜騎士がその気になれば倒せるけど、犠牲を伴うでしょう。実は他にもこの場にはあれを倒せそうな逸材がいるけど、出てくる気はないでしょうね。
そう、遠くからこちらを見守っているアルネリアの尖兵、とかね」
くすりと笑った影に、アルフィリースはぞっとした。この影は少なくとも自分の中にいるはずなのだ。ならば自分の目を通してしか、物事を見ることができないのではないか。どうして自分の知りえない事をこの影は知っているのか。改めて影の得体のしれなさにアルフィリースは慄いた。
そんなアルフィリースの感情には気が付かないのか、影は続けて話している。
「あのアルネリアの連中、とんだ曲者だわ。まだこんな隠し玉を温存しているなんてね。ライフレスとか何人かの者達は気が付いていたようだけど、私の忠告は心に留め置くことね。アルネリアは必ず貴女を裏切るわ。ミリアザールの本質を、あなたはまだ知らない」
「そんなことは今、どうでもいいわ。それよりもここからどうするかなのよ。私はあなたに体を貸したくはない。でも――」
「でも?」
「そうする必要性はわからないでもない。正直、私があれを止めるのには、二つ目の呪印を使うしかないと思う。どんなことになるのかは正直知らないけど、それは確信に近い事実」
「そうね、その予感は正しいわ。でもやめておきなさい。二つ目の呪印を解放すれば、私はかなり自由になる。それこそ、私の意志で人格を乗っ取れるくらいに。そんなことは望んでいないでしょう?」
にたりと笑った影を、アルフィリースは訝しんだ。
「嫌に親切ね。何を企んでいるの?」
「まずはあの化け物の殲滅。肉体が死ねば、私とてどうしようもないもの。こんなところであんな醜悪な化け物に殺されるなんて、互いにまっぴらでしょう? その点で意見は一致している。間違いないかしら」
「ええ、それはね」
「さらに正直に言えば、二つ目の呪印を解放する負荷にまだあなたの体は耐えられない可能性がある。何でもそうだけど、物事には下準備と段階が必要なのよ。まだその時ではないわ。
それに一つでも呪印を解放すれば、私が外に出やすくなるのも事実。よって、この案はどちらにとっても悪くはないのよ」
「そうね、そう聞こえるわ――だけど一つだけ確認よ。この戦いが終わった後、あなたは大人しく意識の主導権を返してくれるのかしら?」
アルフィリースの言葉に、影がくっくと笑う。
「安心なさい。私にもまだ主導権を完全に握るだけの力はないわ。正直、この空間を作ってこちらに貴方を連れ込むので精一杯。あの化け物を仕留めるのを手伝うので限界でしょうよ。放っておいても意識はあなたに帰るわ」
「本当かしら。いまいち信用できないわ」
「信用なんてしてくれなくて結構よ。あなたに必要なのは、賭ける勇気と決断力。さあ、私に賭けてこれからも勝ち続けるか、はたまた諦めて大人しく引き下がるか。だけどここで引き下がることは、もうすでに取り返しのつかない事態になることをあなたは予感しているはずよ」
「・・・そこまでわかっているなら、結局選択肢は一つしかないのね」
「そういうこと」
影の声が調子よく跳ねた気がした。まるでアルフィリースが身動きできないこの状況を楽しんでいるかのようである。影が滑るようにアルフィリースに近づいてくるのをアルフィリースはぐっとこらえて待ち、そして影が自分を通過していくのを感じた。その時、アルフィリースは何とも言えぬ底なし沼のような感情の中を覚え、その深い深い闇の中に、一点の光を見た気がしたが、すぐに意識は薄れてしまった。
***
「・・・うあっ!」
レイヤーは苦戦していた。敵が筋肉ダルマのような体格であり、異常なまでの力を発揮するからではない。力は確かにグランディ兄弟の弟ボートよりもあるのだが、まだレイヤーにとってなんとかなる程度の力であった。
動きも速い。巨体ながら、さながら軽業師を思わせるような動きはなめらかの一言に尽きる。関節も非常に柔らかく、可動範囲の広い武器と相まって死角が見当たらなかった。
だがそんなことは一端である。肝心の敵、6番の真の手強さは、戦っているレイヤーにしかわからなかった。その6番の強さとは――
続く
次回投稿は、6/28(金)22:00です。