足らない人材、その84~戦略家29~
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ルナティカは2階分ほど外の壁をよじ登ると、明り取りの窓からそっと侵入した。防衛目的に作られた建物の窓は小さく、矢を射るために小さな窓こそもうけられているが、本来人が通るためのものではない。景観も全く重要視されていないせいで、中の様子は入ってみるまでほとんどわからない始末。さきほどはかろうじて敵の気配と、よく知っているレイヤーの気配があったせいでおおよその敵の位置関係をつかんだが、今度はそうもいかないことは明白であった。
「(閉じた部屋の中に・・・7人は生きている。死体は何体かあるだろう。だが外にいるはずの敵はまるでわからない。こういう時、リサがいればいいのに)」
ルナティカには珍しく弱気な発想であった。ルナティカは別段死を恐れているわけではない。だが任務が達成できない事は恐れている。そして今度の敵は、先ほどよりも明らかに格上である事が想像できた。ルナティカが気配すら察することができないのだ。下手をすると、真っ向からやりあっても自分より手練れである可能性が高かった。
ルナティカは慎重に進んだ。一歩にもならない、半歩進むかどうかの距離を、しずしずとまるで重い衣装を身に纏った貴族の娘のように、じりじりと進んでいった。
だがそんなルナティカをあざ笑うかのように、敵は堂々と、そして無造作に現れた。廊下の陰から姿を現したその男は、道化師の仮面をつけていた。その仮面の緊張感のなさとは別に、ルナティカの警戒は最大まで一気に上昇していた。なぜなら、目の前に姿を現したその段階になっても、敵の気配はまるで感じられなかったからだ。
ルナティカにしてみれば、危険を冒してまで入った甲斐はあった。自分を餌に、敵を釣り出すことに成功したからだ。敵が自分に食いつくのではないかという発想はあった。組織は裏切り者を許さない。よほどのことがない限り、標的が目の前にいて、かつ見逃すことなどありえなかった。敵がファイファーを殺しあぐねているのなら、自分の方を優先的に殺しに来ないかと、ふと考えたのだ。
だが敵の姿を見て、ルナティカはまずいと感じた。敵の正体をなんとなくルナティカは見た記憶がある。敵は、おそらくかつて自分の教官だった者だと、ルナティカは判断した。
「(確か・・・組織では4番とか呼ばれていたはずだ。私は訓練生だったころ、一度も勝ったことがない。あれから随分と時が経ち実力は上がったが、そもそも奴も手を抜いていたはずだ・・・厳しい)」
ルナティカには珍しく、予め武器を構えた。既に姿を現した者同士、奇襲は通用しない。4番としても、実力でも応酬に自信があるから姿を現したのだろう。ルナティカは左手に鎌を逆手に、右手に小剣を順手に構え、4番に対峙した。対する4番は、両手にコルセスカという三又の小剣を構えている。
合図はない。互いにどちらとなく接近を始めた瞬間に、間の距離は潰れる。それほど互いの踏込は速かった。そして互いの武器が交錯する前に、何をするかが勝負どころだった。ルナティカは口に含んでおいた目つぶしの粉を吹き付け、4番は逆に何もしなかった。4番の行動をおかしいと思ったルナティカは、信じられない事に気が付いた。4番の仮面は目の部分が開いていなかった。4番は常に盲目の状態で行動していたのだ。
だからどうしたと言われればそれまでだが、ルナティカの動揺を誘ったのは事実である。その隙を4番が見逃すはずがなかった。ルナティカの顔面に迫るコルセスカをルナティカは体を後ろに捻じりながら躱すが、追い打つように4番の蹴りがルナティカの胸を直撃した。ルナティカは自分の肋骨が折れる音を聞きながら、衝撃を活かして後ろに跳んで逃げた。
そしてさらに4番の追撃がルナティカを追い詰める。ルナティカは迎撃体勢を整えようとするが、構えた瞬間右の脇腹が痛み、右手に力が入らないのを感じた。
そして目の前に迫る4番のコルセスカをルナティカは避けられないと悟ると、右手のカタールを4番の肩口に投げつけてルナティカはその場を離脱した。わずかに軌道を変えられたことで4番のコルセスカはルナティカの脇腹をそれなりに抉る程度にとどまり、ルナティカは自分の体がようやく通る程度の窓からするりと飛び出て外に脱出した。そのまま建物の屋上に出ると、円錐状の屋根をしたてっぺんについている塔に、よりかかるようにして立った。
「(こんなことで追い詰められるとは、隙が大きすぎた。こんなことでは奴は仕留められない。それどころか任務も果たせない。どうすれば――)」
対処法を考えるルナティカだったが、そのルナティカの前に4番は再び現れた。どうやらルナティカを逃がすつもりはないらしい。ファイファーを殺すのはいつでもできるということか。あるいはファイファーを殺さずにいたのも、ルナティカを呼び寄せるためだったのかもしれない。
4番が刃物で首を落とす真似をする。もちろんルナティカに対する宣告だ。殺す相手に口をきかないのは暗黙の了解のようなものだが、それにしてもルナティカは4番の言葉をついぞ聞いたことがなかった。顔もいつも仮面をつけているため、見たことがない。組織の中で最も接触が多かった人物にも関わらず、である。
ただ一つわかったのは、4番はここでなんとしてもルナティカを仕留めるつもりなのだということだった。
ルナティカは悟った。この体では逃げ切る事は不可能だろう。また逃げるのは、そのまま任務の失敗を意味する。どのみちこの場でやるしかないのだ。
「(足場は不安定、さてどう有利に運ぶか。限定空間でやりあうよりはましだと思うが)」
ルナティカが右手でマチェットを抜くと、その場に予想外の援軍が現れる。
「やっと出てきたっすね。窓は全部小さくて体が入らないから、どうしようかと思ってたんすよ。いやー、これで加勢できる」
4番の背後にひょいと現れたのは、ブラックホークのレクサスであった。
続く
次回投稿は、6/23(日)8:00です。