足らない人材、その76~戦略家21~
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「何? 何が起こっているの?」
「空気が変わった・・・戦いの匂いだ」
天幕の外にいたレイヤーが呟いた。レイヤーの聞いた事のない鋭い声に、エルシアがはっとする。
「レイヤー・・・?」
「エルシアはゲイルを頼む。ユーティはすぐにでも退路を確認して。僕はアルフィリース団長を探す」
「ちょっと、何が起こっているの?」
「戦場が、向こうからやってきたんだよ」
レイヤーの言葉の意味が分からず、エルシアがぽかんとした隙にレイヤーは見たこともない速度で走り去った。後に残されたエルシアはしばしユーティと顔を見合わせたが、その間は響いてきた巨人の足音によって遮られた。驚いたエルシアとユーティが足音の方向を見あげると、建物の二階よりも高いところに頭がある巨大な化け物の顏が見えたのだった。その化け物は幸いにしてエルシアとユーティには気が付かず去っていったが、その巨大な化け物を目の前にして、エルシアとユーティは本能的に隠れていた。
「ユーティ、何よあれ」
「ワタシが聞きたいわよ。でもあの感じ・・・自然に発生した者じゃないと思う。だって、精霊がこんなに怯えてる」
「わかるの?」
「ワタシをなんだと思っているの? これでも自然から生まれた妖精なんだから、そのくらいのことわかって当然よ。魔術士でもしっかりと訓練した者ならわかると思うわ。アルフィリースとか、ラーナとか」
「ふぅん、私にはわからないな」
「当然でしょ、魔術の訓練なんかしていないんだから。素質は並程度にしか思えないけど」
「そういうの、わかるものなの?」
エルシアが起こると思っていたのだが、思わぬ反応にユーティがちょっと言葉に詰まった。ユーティはなんと言うべきか言葉に少々迷う。
「そう・・・ね、なんとなくだけどわかるわ。でも才能っていう意味での素質ではないの。今現在その子が精霊と交信するのに向いているかどうかって話で、そういうのは生まれや血筋だけじゃなくて、後天的にどのような人生を歩んだかでも左右されるから。魔女が自分達の属性に合わせた棲家を構えるのも、そういう理由からよ」
「じゃあ、努力次第でなんとでもなるってこと?」
「ある程度はね。でも人間の一生は短いし、努力で積み重ねられるものはたかが知れているかも。まあ魔術は練れば練るほど力が増すから、肉体的な強さよりは先が明るいかもね。
だけど特別な力を手にするには、それこそ精霊と契約するか、何か禁じ手を使うか――」
そこまで話してユーティはまずい、と思った。エルシアの目が鋭い光を帯びたのに気が付いてしまったからだ。
「ユーティ、あんた・・・」
「ちょ、ちょっと! まさかあんた、精霊騎士にでもなるつもりじゃないでしょうね!?」
「それで強くなるっていうのなら、そうするわ」
エルシアの言葉を聞いて、ユーティが首をぶるぶると横に振った。
「ダメよ、絶対ダメ!」
「なんでよぅ」
「精霊騎士ってのは、あんたの考えるような気軽なもんじゃないの! 精霊騎士の多くは不幸な顛末を辿るわ。確かに人にとっても精霊とっても、精霊騎士が増えるっていうのはありがたいことだけれども。でもその運命の恐ろしさをワタシ達はよく教えられている。だからだめ、不幸になるってわかっている道にエルシアを巻き込めない」
「ふーん、意外と優しいのね」
エルシアの思いがけない言葉に、ユーティは顔を赤くした。
「な、な、何をいってんにょよう!」
「動揺して噛んでるじゃない。まあでもそのことについては色々考えないとね、まだ私は知らない事が多すぎるわ。
さて、そろそろここを脱出することを考えないといけないけど、レイヤーはどこに行ったのかしら。でもゲイルも放っておけないし」
「冷静になったのね。すぐにでもレイヤーの後を追いかけるかと思ったけど」
ユーティの言葉に、エルシアはふいと横を向いた。
「自分に力がないのはわかったわ。闇雲に動いてもどうしようもないし、今は負傷者の事をなんとかするのが精一杯ね」
「うんうん、それでいいと思う。それにこっちにはフェンナがやってくるみたいよ。もうアルフィリース達が交戦を始めたみたいだし、ここも忙しくなるわ。ワタシも動けない人の手当てをしなきゃあね」
「治療の仕方、教わってもいいかな?」
「もちろんよ」
ユーティは笑顔で応え、エルシアは負傷者たちの誘導を始めた。まだそのくらいが、彼女にできる精一杯であることを、内心では悔しくは思っていたのだが。
***
その一連の戦いの様子を、高台から見守る者がいた。そこにいた見張りの兵士は既に死んでいる。そこに立つアノーマリーは誰に邪魔される事もなく柄にもない真剣な表情でその戦いを見守っていたが、そんな彼に話しかける存在がいた。
「(やあ、アノーマリー。ご機嫌いかがですか)」
「ウィスパーか。声だけで出現するの、やめてくれるかな。心臓に悪いんだよ」
「(ふふ、心臓なんてないくせに)」
ウィスパーがくすくすと笑う。アノーマリーはその彼の笑いを流して話を続けた。
「用がないなら帰ってくれるか。こう見えても今回、僕は真剣でね。少し長くかかった実験の成果が出るかどうかを見極めないといけないからね」
「(実験、とは?)」
「教えると思うかい? 君は確かに人間にしては図抜けて腕の立つ存在だが、所詮人間の範囲を出ない。便利だとは思うし互いに利用価値もあるから持ちつ持たれつの関係を続けてはいるが、あまり調子には乗らない事だ。君の能力は僕達の多くには通じないし、君に僕は殺せないのだから」
「(確かに、私にあなたは殺せないかもしれませんね。ですがアノーマリー、私にはあなた達の狙いも、あなたの狙いもなんとなく見当がついているのですよ)」
思わせぶりなその言葉に、アノーマリーの興味がそそられた。
「見当? 面白いね、言ってごらん」
「(・・・生命の書)」
「!」
ウィスパーの言葉に、アノーマリーの顔つきが変わった。その表情は、黒の魔術士達の誰もが見たことのない程、険しい物だった。アノーマリーが睨み殺さんばかりの目をしたが、その目線をどこに向けるべきかは彼にもわかっていなかった。
「ウィスパー、君は・・・」
「(だから人間を侮らない方がいいと、最初にも申しました。そもそもただの人間に、貴方と直接接触を持てるわけがないでしょう? 我々はずっと長い間、人間世界の闇で動いてきました。アルネリアですら知らない歴史を、我々は知っているのです)」
「何を君は望んでいるんだい?」
アノーマリーが少し声の調子を落ち着けて問いかけた。だが内心では全く違うことを、互いに知っていた。応え方次第では、この場で激しい戦闘になるだろうと。
続く
次回投稿は、6/8(土)10:00です。