足らない人材、その72~戦略家⑰~
「何か用ですか、私に」
「雑な計画ですね、ドルン。これでは大老は喜ばれない」
「? あなたは?」
小姓の口から出た言葉にドルンは身構えた。その名を知っている者がただの小姓のはずがなかったのだ。
「何者です、あなたは?」
「私が何者かなど、どうでもいいことです。それよりもお前は、大老のお心を正しく理解しておらぬようだ。大老はこんな陳腐で不完全な計画を望まれてはおらぬのですよ」
小姓は手を広げながら語る。
「いいですか? 大老は完全に調律のとれた戦争をお望みです。混沌もいいでしょう。だがしかしそれらは私達が望み、計画した混沌でなければならない。我々こそが支配者なのです、アルネリアでも魔術教会でも、ましてや諸国の王でもない。我々こそが支配者でなくてはならないのです!
そのためには、この戦争も我々が統制を取らねばならない。あの異形共を解き放っただけでは不十分です。外にいるのはあの氷刃のルイだ。ただの異形が十数体では、彼女になんなく始末されてしまうでしょう。もうひと工夫が必要です」
「もうひと工夫?」
「そう、もうひと工夫です」
その瞬間小姓の姿が一瞬で揺らいだ。ドルンははっと身構えたが、小姓の動きの方がよほど速かった。彼は注射器のようなものをドルンの腹に刺していたのだ。そして小姓がドルンにそっと囁きかける。
「そのまま、動かないで」
ドルンの表情が驚きに代わり、そして体が動かないことに気が付いた。抵抗しようにも、指先一つが動かない。ドルンは思いだした。自分達の組織に属する、最高の暗殺者の噂を。どんな暗殺でも必ず成功させ、痕跡一つ残さない。そして囁きひとつで人を殺す。その異名は確か――
「ウィ、スパー」
「ご存知でしたか、あなたも幹部候補ですものね。その通り、私はそのような名前で呼ばれていますね。ああ、ちなみにこの体と顔は借り物です。間違いなく、この体はファイファーに仕える小姓のものですよ。薬と暗示を使ってちょっと複雑な支持を与えているので、かなり私の意図通りに動きますし、動きそのものも常人よりははるかに優れていますが。
そしてここから先は私が仕切らせていただきます。確かに今回の作戦においては予想外の勢力が動いたせいで、あなたの手に余るものになってしまいました。多少同情はしますが、途中で計画の修正を放り出したのはいただけない。貴方は幹部はおろか、もはや用済みです。ここで消えてもらいます、といいたいところですが、最後の仕事をあげましょう」
ウィスパーが薬液をドルンの腹に注入する。その瞬間、ドルンの体に耐え難い痛みと熱と、そして快感が走った。
「お・・・え”え”えええええぇ」
「貴方には異形共を率いてヴィーゼルに進行してもらいましょう。自分で立てた計画は最後まで実行してもらわないといけませんからね」
ウィスパーが注射器を抜きドルンから離れると、ドルンは戒めを解かれたようにその場に崩れ落ち、そして吐瀉物をまき散らせながらその場で転げ回り始めた。そしてその場で背骨を折らんばかりの勢いでのけぞり、その体が変形し始める。
「うげぎゅげぐ・・・なに・・・ぶおっ」
「貴方が受け取ったのとは違う、完成度の高い液体を貴方に注入しました。これは時間をかけず、かつさらに上級の個体を作ることができます。まあこんな事態を想定して、あなたにはわざと完成まで時間のかかる薬液を渡したわけですが・・・幹部昇格試験が簡単ではつまらないですからね。
もっとも、数分後には私の言葉も覚えていないでしょうが。その代わり、貴方は絶大な力を得ることができます。それこそ一つの国すら滅ぼすことができる、ね」
だがウィスパーの言葉が聞こえていないように、ドルンの体は既に異形へと変化を始めていた。体の中から肥大した筋肉が顔を出し、体を崩壊させながら再生していた。おそらくは耐え難いであろう苦痛を強制的にもたらされ、ドルンはいかような心境であったか。
ウィスパーはその姿を目の当たりにしながら、闇に話しかける。
「4番、6番」
「ここに」
闇と天井から返事が返ってくる。さも当然のように、ウィスパーは命令した。
「ドルンの事は誰にも知られてはならない。もちろんあのフェニクス商会にもです。ファイファーとのその一党は全員始末しましょう」
「外の傭兵達は?」
「彼らを始末する必要はありません。ですが、裏切り者は隙あらば始末なさい。私は会わねばならない人物がいます」
「御意」
4番、6番はそれ以外何も聞かず、姿を消した。そして小姓の姿をしたウィスパーは、わざとその体を変形しているドルンの前で正座した。
「私は、ここを一刻は動かない」
そして自分に言い聞かせるようにその場に固まったのであった。だがドルンが変形し、小姓の体を押しつぶすまで一刻かからないことは明白であった。
続く
次回投稿は、5/31(金)11:00です。