足らない人材、その70~戦略家⑮~
「(まあ、上手くいかなければその時はその時よ。俺には大して惜しむようなものもありはしない。ただクライアのために突撃するのみ)」
ファイファーは王族に連なる者とはいえど、決して恵まれた育ちはしていない。彼は痩せた土地で育ち、ほとんど平民と変わらない暮らしを強いられていた。その彼は、何度耕しても、水を掘り当てても、すぐに枯れてしまうクライアの土地の弱脆弱さを知っていた。
緑に覆われた大地が欲しい。少なくとも、力をかけた分だけ労ってくれる大地が欲しいとファイファーは幼い頃からそう思っていた。もちろんクライアという国も、同じ考えを持たなかったわけではない。現在戦いの舞台となっているサラモの砦周辺も、長年かけてクライアが森林を育てた一つの成果である。実をつける木は少ないが、木々はしっかりと根を張り、クライアの大地の中ではもっとも緑豊かな土地であった。
自給できない国は他国との国交に頼るしかない。だが、元が狩猟民族であるクライアでは他国との交渉が上手くいかない事も、十分にファイファーは予想していた。クルムスが惰弱だったころはまだ何とかなったが、レイファンという新たな王女はどうやら幼いながらも名君の資質を備えているらしい。既に関税などで不利な条件の輸出は打ち切られ、クルムスはクライアとの貿易を制限し、逆に獣人の国々との新たな交易路を開拓しつつあった。クライアは徐々に不利な立場に立たされていることを、中央も理解している。
そのために、多少強引な手段を用いても肥沃な土地が欲しい。そのような思想が中央にはあったが、実行に移すだけの大義名分をクライアはもたない。ならば誰かが犠牲になっても。ファイファーはそんな自己犠牲にも等しい覚悟でこの戦いに臨んでいた。おそらくは勝利しようとも、国内からの批判は免れない。だがそれでもいいと、ファイファーは本気で思っていた。
「例の者を、ここへ」
ファイファーが命じると、グランツが別室の戸をあけて一人の男を招き入れた。男は鼠色のローブを深くかぶり、まるで魔術士のような恰好だったが、ローブの頭巾を外すと、その中からは道化師のような仮面が除いたのだった。
「このたびはお買い上げいただき、ありがとうございます」
「決まり文句はいい。それよりもドルンとか申したか、今回の商品の仕上がり具合はどうなのか。使い物になるのであろうな?」
「そうですな、完成度合いで言えば8割、というところでありましょう」
「あれほどの手間暇をかけて、まだ八割と申すか?」
ファイファーは怒りの表情になった。もちろん自制が効かないわけではない。だがこの商人あと少し、あと少しと言いながらずるずるとここまで実験を引き延ばした。その際、強引の証拠隠滅を図ったのは一度や二度ではない。事がいつ露見しないかと、ファイファーも冷や汗をかいていたのだ。
ドルンは続ける。
「ですがファイファー殿、我々としてもここまで大きな商品を育てるのは初めてなのでございますよ。なにせ買い手が一国の指揮官ともなれば、大口の買い手として我々も期待しましょう。何より、貴方様の買い物は今までの中でも最大級だ。我々としても全力で支援いたしているつもりですよ」
「だが、事ここに至っても、まだ成果は出ておらぬ。そうこうする間にも、戦争は終わりそうではないか。貴様達、どこであれを使うつもりだ」
「ですから我々が戦争を長引かせているではありませんか。そもそも最初から我々が介入して子供に必要以上の怪我を負わせ、あるいはわざとヴィーゼルに負け、そしてこちらが有利な時は相手に傭兵を送り込みました」
「だがカラツェル騎兵隊はやりすぎだった」
「確かに。少々やつらは出来すぎましたな。それにブラックホークの介入も余計でした。誤算があったのは否定しません」
「それに事が大きくなり過ぎた。もうすぐアルネリアが介入してくるだろう。そうなれば戦闘は強制的に終了させられる。どうするつもりだ?」
「アルネリア、ね。あの者達はおそらく介入してきませんよ。もう一つ大きな動きがあるまではね」
「?」
ファイファーの心配をよそに、ドルンが仮面の下で不吉な笑みを浮かべた気がした。グランツも嫌な気配を察したのか、表情がこわばっている。だがファイファーが何かを言う前に、部屋の入り口をノックする音が聞こえたのだ。
「失礼いたします!」
「急ぎの用か?」
「はい、この砦に襲撃者があり。との報告がありました。詳細は追って連絡が来ると思います」
「この時にか。詳細が分かり次第伝えよ」
「申し上げます!」
だがファイファーの言葉とほぼ同時に戸の外からは別の声がした。どうやら他の兵士が来たようだ。矢継ぎ早に伝令が来るのは良い兆候ではない。ファイファーの声も自然、苛立つ。
「何事か!」
「はっ、敵の正体はおそらく前回我々の砦を襲撃し、指揮官級をことごとく殺した男に相違ない模様です。その正体は、ブラックホークの2番隊かと!」
「悪名高い死神か! となると、狙いは俺の首だろうな」
ファイファーはまずい、と思った。別に殺されることを恐れているわけではない。だが、相手が悪名高い死神なら、間違いなくここには来るだろう。そうなれば、今進めている計画が全て水の泡となる。
ファイファーは悩んだ。そして意を決したようにドルンに言い放った。
「アレを今動かせるか?」
「よいのですか? 今動かせば、まともにいう事を聞く保証はないですよ?」
「構わん、今の状態でも簡単な命令だかなら聞くだろう。目標地点だけを刷り込ませろ。敵がここに乗りこんでくる前に、敵陣に向けてあれを解き放ってくれる!」
「わかりました。それが雇い主のご意志とあれば」
ドルンは再びフードをかぶると、すっと部屋から出て行った。その後で小姓が部屋に入ってくる。
「ファイファー様、お水をお持ちしましたが・・・あれ」
「客人は帰った、それも必要ない。それよりも戦装束を持て、戦いになるぞ」
「は、承知いたしました」
小姓は命令を受けると慌ててその場を去った。グランツも兵を動かすために一礼し、その場を後にする。ファイファーはその場で地図を開き、敵の本陣たる砦の場所を確認するのだった。
続く
次回投稿は、5/27(月)18:00です。次回投稿は連日に致します。