足らない人材、その63~戦略家⑧~
「何者だ。どうやってここに入った」
「私が、いえ、私達が誰かに関しては、あなたには想像がついているはずですよ、先輩。それにこんな穴だらけの警備の要塞に潜入することなんて、我々にとって朝飯前な事も承知のはずです。我々が10人もいれば、この要塞は大混乱に陥れることができるでしょう。
それはいいとして、私の隊長から伝言です。『そろそろ戻ってこい、お前の力が近く必要になる。我々にはお前を迎え入れる準備がある』だそうです」
「ハ、馬鹿な。そんなことができるものか。俺の罪は知っているだろう? 俺は――」
「その罪を、もしなかったことにできるなら。いかがです?」
「何?」
ラインは鋭い声を上げた。だが目の前にいるであろう者は、微動だにしない。
「どういう意味だ」
「聞くまでもないでしょう、その意味は常に一つです。では確かに伝えましたよ? ですが私からもう一つ伝言――いえ、これは忠告ですね。貴方はクライアが何を隠しているかご存知か?」
「いや、知らん。何か隠していることは気が付いているが」
「それじゃすみませんよ。クライアはとんでもないものを隠しています。耳を貸してください」
男はラインにそっと耳打ちした。ラインが思わず叫びそうになるのを、男が手で押さえた。
「・・・それは本当か?」
「嘘は言いません。私としても、貴方にこんなところで死んでほしくはありませんから。なにせ、未来の上官になるかもしれないのですから」
「おい、それは」
「頼みましたよ、元軍団長どの。貴方に会えて光栄でした」
男はそれだけ言うと、天幕の中から完全に消えた。出ていくときにどこを通ったのか、天幕は揺れもしなかったように思われる。一人残されたラインは抜いた短剣の下ろしどころがない事に気が付いて、自分の足元に突き刺した。
「ちっ、今さら俺に絡んでくるとはよ・・・何考えてやがるんだ、あの人は・・・」
ラインが一人呟く中、天幕に入ってくる別の人物がいた。
「邪魔するぞ」
「ロゼッタか、どうした」
ロゼッタはラインには返事をせずに、天幕の中をきょろきょろと見渡した。
「さっき誰かと話していなかったか?」
「気のせいだ。それより要件を言えよ、俺も疲れてんだ」
「いや、さして用もないんだが・・・そのな」
「死んだはずの友人が敵に乗っ取られていて、かつ目の前で死んだことにそれほど衝撃を受けたのか」
ラインのずけっとした物言いに、ロゼッタが不機嫌な顔をした。
「アタイが落ち込んじゃ悪いのか?」
「悪かねぇよ。だが今は本当にそれどころじゃねぇんだ。お前も歴戦の傭兵なら、その辺をわきまえろ」
「なんだよ、たまにアタイが落ち込みゃこれかよ・・・もういいよ」
ロゼッタは拗ねたようにして天幕を去ろうとする。ラインも敢えて優しい言葉をかけるのはやめたのだが、ロゼッタくらいには自分の手を煩わせないでほしいという希望があった。だいたいお前、俺よりも年上だろう、と。ラインもまた思わぬ来客に余裕をなくしていたのだった。彼には非常に珍しいことかもしれないが。
だが不幸は重なる。ラインは考える暇も落ち込む暇もなく、次の喧騒の気配を察した。
「・・・外が騒がしくないか?」
天幕を出ようとしたロゼッタも、その言葉にぴたりと足を止める。
「・・・よく聞こえたな。だが確かにそのようだ。敵か?」
「敵? 今さらヴィーゼルに動かせる軍があるのか? いや、あるかもしれないが、これ以上の戦闘に意味があるとは思えんが」
「確認すればいいことさ。ちょっと行ってこよう」
天幕を出ていくロゼッタの顔は、既に引き締まっていた。さすがに敵の前で悲壮感を漂わせることがどれだけ危険な事かを、ロゼッタは知っている。ラインはひとまず安心しつつも、グラフェスを呼んだ。
「副長、お呼びで」
「今戦える者はどのくらいいる?」
ラインの問いにグラフェスは渋い顔をする。
「今すぐと言われれば、おそらく200人程度は。しかし全員がかなり疲弊していますし、見返りも見込めない中、士気が上がらない事かなりおびただしいかと」
「まあそうだな。だがこの砦が襲われれば、身を守るために戦わないとだめだろうよ」
「敵襲があると?」
「あってもおかしくはないな、今ロゼッタが確認しているが。だが本質はもっと別のことだ。グラフェス、まだ元気な奴を集めて、戦えない奴を砦からこっそり逃がせ。今すぐだ」
「は? いや、しかし見張りがいるでしょうに」
「賄賂でもなんでも渡せ、金額をケチるな。そして本当に戦いが始まったらすぐに裏口から負傷者を退避させろ。誘導はターシャにやらせる」
「ですが伏兵がいたら――」
「伏兵はいない、帰ってからすぐに確認したからな。退路の確認は指揮官の基本だ、お前も覚えとけ。すぐにとりかかれ、時間がないぞ」
「は、はっ!」
グラフェスは言われたとおりにすぐに動いた。ラインはアルフィリースが眠りに入ってからまだ一刻と経っていない事を知っていたが、迷いなく起こしに行った。正門の方から兵士達の悲鳴が聞こえたのは、その直後である。
続く
次回投稿は、5/14(木)12:00です。