足らない人材、その61~戦略家⑥~
「そんなわけないだろ。ルナティカだよ」
「ルナティカがあの敵を一掃したの?」
「どの敵だよ。ルナティカは君達を探しに出て、比較的近くで気絶していたエルシア達を見つけたんだってさ。少なくとも、彼女はそう言っていた。
後でちゃんとお礼を言いなよ? ルナティカだって休みの無い任務でかなり限界が近いはずなんだ。それでも誰に言われるでもなく、君達を探しに行こうとしたんだから」
「・・・そう」
エルシアはなんとなく納得できない風であったが、再び何かを口にする前にレイヤーはその場を後にした。入れ替わりにユーティが天幕に入って行った。ユーティが申し訳なさそうな顔をするのが非常に珍しいが、焚きつけたことを詫びるつもりなのだろうか。
レイヤーが出たその先にはルナティカが立っていた。ルナティカはレイヤーを促すと、人気のない場所に連れ出す。
「ばれなかったか」
「なんとか」
「ばれていたら、お前かエルシアのどちらかが死んでいた」
「知ってる」
レイヤーは表情を変えずに答えた。ルナティカがふうとため息をつく。
「殺し過ぎ。どれだけ水浴びをしようと剣を変えようと、血の匂いに敏感な者にはわかる。私や、あるいは何人かの者に。人の血の匂い、そう簡単には取れない。今度から人を殺す時は返り血にも気を付けること。あと、得物は持って帰るな。できればその場限りの使い捨てにしろ」
「やむをえなかった。でも人を殺した気配すら残らない殺し方、あるんだろう?」
「私もまだその境地に達してない」
ルナティカは首をゆっくりと左右に振ったので、レイヤーは残念そうにした。
「そっか。僕がその境地に行くまで、どのくらいかかるかな」
「並みの人間なら、夜を徹して殺し続ければ数十年。だが、普通の人間なら先に心が死ぬだろう」
「元々心が死んでたら」
「感情が死んでいても、そこまでには達しないだろう」
「難しいね」
「難しくなくては困る」
ルナティカの言葉にレイヤーは内心で気を引き締めると同時に、安心もしていた。もし自分が既に殺しの境地に達していたら、きっと全てがつまらなすぎて、世の中のありとあらゆるものを壊してしまいたくなると、レイヤーは考えていたからだ。
だがレイヤーは本能で察していた。きっと遠からず、自分はそう考えるようになるのだろうと。ルナティカは普通の人間なら数十年かかると言った。だが人を殺すことにおける自分の才能が普通でない事は、レイヤーも既にわかっている。おそらくは数年。自分はその境地に辿り着いてしまうだろうと悟っていた。
ルナティカはレイヤーが戦場に出ることに一抹の不安のようなものを感じているようだが、はたして彼女は何を恐れているのかレイヤーにはわかっていた。自分を脅かすと同時に、自らが育てた者が壊れていくのを恐れているのではないかと。それはおよそルナティカらしくない感情だったが、自分と同様の存在にあまり意味がないと考える彼女の、唯一ともいっていいかもしれない執心だったのかもしれない。だが、レイヤーは戦場に出続けなければ、逆に穏やかな日常の中で壊れることをはっきりと悟ったのであった。
***
「エルシア、ごめんね」
「なんであんたが謝るのよ」
ユーティが申し訳なさそうにエルシアの頭の上で正座をするのだが、その行為が既に失礼じゃないかとエルシアは苛立っていた。さすがにそのくらいでエルシアも普段苛立ちはしないのだが、戦場で何の役にも立たず、しかも殺されかけ、気がつけば治療されているというていたらくに心の余裕は既になくなっていたのだった。
エルシアの思考内容は初の戦場で功を成すと考えられるほど幼稚ではなかったが、戦場を知らない子供の発想の域は出ていなかった。エルシアの予想では、自分達は仲間の陰に隠れながらなんとか突撃し、仲間が討ち漏らした敵兵と斬りあい、苦戦しながらようやく倒す。そんな妄想を勝手に抱いていた。
戦場に行く前は仲間の話を多く聞いた。初陣を切る者は、必ず一所に集められ戦場の説明を受ける。戦場とは頭で理解できるものではないが、何もしないよりましだとラインが言ったからだ。だが戦場では興奮のあまり頭が真っ白になり仲間の声も聞こえなくなることとか、恐怖のあまり剣が抜けないまま死ぬこともあるとか、あるいは殺した相手の目が忘れられない事とか。エルシアは興味がないふりをしつつもそれらの言葉を記憶にとどめておいたが、そのどれもがエルシア本人には当てはまらなかった。
エルシアは戦場では頭が真っ白になるどころか、ますます頭が冴えた。椅子に座って講義を受ける時の何十倍も頭が回る。つい、自分が天才になったのではないかと勘違いするほどだ。
エルシアは恐怖で剣がぬけないどころか、躊躇いなく剣を抜いた。目の前に迫る敵は全く倒すべきだとためらいなく考えることができたし、その相手に家族がいるだろうとか、余計な事は頭の中から完全に締め出されていた。エルシアにとって、自分に敵意を抱く者は全て剣を突き立てる対象にすぎなかった。自分には優しさなどという感情がないかと、自分の良心を疑うほどだった。
エルシアは倒した相手の顔が忘れられないかは、まだわからない。だが自分を負かして笑った男の顔は一生忘れないだろうことは理解できた。その男を自分の手で殺し損ねた。それだけがエルシアの心残りである。
続く
次回投稿は、5/12(日)12:00です。