足らない人材、その48~獣の宴⑪~
「嘘。北で取れる最高の鉄鉱石を、魔術で補強したハンマーが折れるなんて?」
「騒ぐなターシャ。武器など所詮は消耗品、私の体こそが最高の武器なのだから」
ヴェルフラはその言葉のまま、素手でドラグレオの顔面を今度は殴り続けた。飛び散る血が容赦なさを物語るが、ドラグレオが流す血の量は徐々に減っているようにも見えた。別段、ヴェルフラの攻め手が緩んでいるようには見えないのにもかかわらず。
「(こいつ、徐々に私の攻撃に慣れてきている? いや、耐性ができているとでも言えばいいのか)」
ヴェルフラが考えた一瞬の隙を突き、ドラグレオが手の戒めを解く。掌に打ち込まれた杭の物体を、力ずくで引きはがしたのだ。当然ドラグレオの両手はずたずたになるが、千切れたはずのその手すらヴェルフラの目の前で瞬間的に再生する。
「ち、それも治るか」
「危ない!」
ギガノトサウルスすら一撃で砕くドラグレオの拳が、ヴェルフラに向けて振り下ろされる。ヴェルフラは直感で防御を無理と悟り、相打ち覚悟で迎撃に出た。その時ラインが飛び込んでドラグレオの左足の腱を切り、バランスを崩したドラグレオはヴェルフラの拳をまともに受ける羽目となった。
「ぶぉう!」
「勝機か。マンイーター、隙を作れ」
マンイーターは基本ドゥームの命令でしか動かぬが、この状況、そしてインソムニアと融合したことでさらに自由度の高い思考が可能になっていた。このままドラグレオを放置することはまずいと、彼女にも判断できたのだ。それにドゥームを吹き飛ばした張本人でもある。
マンイーターはその姿を融合した魔獣に戻す。アイラーヴァタ。竜の間ほどの古い世代でももはや伝説に等しい、山をも越える巨大な魔獣。極端に長い活動周期を持ち、数十年とも言われる眠りについた時にそのまま氷漬けとなった古の生物。マンイーターはその巨獣にまだ体が変身し終わらぬうち、大木すらもその言葉がかすむほどの太い足で、思い切りその足でドラグレオのいるであろう周辺を踏みつぶした。ドォン、と地響きが発生した衝撃で全員の体が浮き上がる。彼らは突然の巨大な魔獣の出現と、その足踏みの衝撃に一様にあたふたとうろたえていた。
「な、な、な」
「デカいにもほどがあるでしょう!?」
「ちっ、とんでもねぇ魔物がいやがったな。これならさすがに――」
「いや、だめだ」
ラインの言葉をヴェルフラが制した。と同時に、マンイーターの足元がぴくりと動く。
「手を合わせて分かった。あの男はそもそも根底から我らと違う。人間、ではあるはずなのだがな」
「根底?」
「そう。耐久力が高いとか、再生が早いとかそういった次元の話ではない。あれは人の皮を被った、命そのものなのだ」
「命そのものだと。どういうことだ?」
疑問の言葉と共に、マンイーターの足がずず、と持ちあがり始める。全員が気のせいだと言わんばかりに目をこすった。
「あの男は通常では相当力を抑制している。だが相手に応じて、また受けた傷の程度の応じてその力を放出する。だから傷を受けてもすぐに治るし、力においても際限がない。敵が強ければ強い程に、あの男も強くなるだろう」
「際限がないわけはないだろう。無限の力を持つ者などいるわけがない」
「もちろんそうだ。だが、無限に等しい力を持つことは可能だろうな。そこのセンサーに聞いてみるといいだろう。あれはどのくらいの生命力の塊だと思うのか」
ヴェルフラがリサの方を指さした。リサはおそるおそる答える。そして今や間違いなく、マンイーターの足は徐々にではあるが持ち上げられようとしていた。
「・・・リサは対人、対物の感知に特化しているセンサーです。あまりオーラとか魔術とか、そういった目に見えない物に対する感度はあまり高くはありませんが・・・そうですね。例えるならば、あそこにはミーシアよりも多くの人がいるように感じられます。あの男という器の中に、大都市級の人口が詰まっているとでも言いましょうか」
「ミーシア、ってどのくらいの人口だっけ?」
「ざっと80万だな」
アルフィリースの疑問にゼルドスが答えた。ミーシアで酒場の主をしていた彼なら、当然ミーシアの事には詳しかった。マンイーターはドラグレオを踏みつぶそうと足の血管が浮き出るほどに力を込めたが、脚はもはや浮き上がる一方であった。
その前で、ミレイユが驚きの声を上げていた。
「ちょっと、出てくるつもりだよ!」
「一つだけ聞こう、センサーの娘よ。戦いが始まってから、あの男の生命力は減っているか?」
ライフレスが問いかけ、リサはためらいながらも頷いた。
「・・・一応は。ただ本当に氷山の一角が崩れるがごとき、微々たる量です。あの男の生命力は、むしろ輝きを増しています」
「ち、俺の魔術も大して効き目なしか。ここまでコケにされたのは久しぶりだ。だが仕方あるまい」
ライフレスが外套を脱ぎ捨てた。と同時に、掌を正面で合わせて祈るような姿勢を取る。合わせた掌からは何か黒い液体が染み出てきたように見えたが、その液体は文字の塊だった。文字は液体のように垂れると、誰もが見たことのないような複雑かつ巨大な魔方陣を宙に描いた。
だがその魔方陣も一瞬描かれただけ。すぐにその魔方陣は消えると、辺りが一度すっと静かになったような印象を誰しもが抱いた。あるべきものが欠けた。そう例えればいいのだろうか。妙な居心地の悪さを覚える空間へと、周囲の空気が変貌したのだ。
「これは・・・」
「信じられない・・・精霊を強制的に鎮めた?」
ラーナはライフレスの行ったことを感じ取った。ライフレスは一帯の精霊を強制的に操作したのだ。自らが唱える魔術に都合の良い精霊だけを残すため、その他の精霊を完全に追い払っていた。精霊を完全に従えるともなると、よほど精霊との交信に精通してなければならない。それだけの格をライフレスは備えているということだった。ラーナの見立てでは、導師ですらそのような事ができる者がいるとは聞いたことがない。
「なんていう・・・これはもはや魔法にも等しいです」
「間違いではない。今から俺は魔法を使う」
ライフレスが魔力をその手に収束し始める。するとライフレスの周囲には熱風が吹き荒れ始めたのだった。ライフレスの周りだけ、突如として砂漠が出現したかのように熱い。いや、事実ライフレスの周囲の草はあまりの熱気に水分を一瞬で蒸発させられ、まるで彼に項垂れるかのようにその姿をしおれさせていた。
全員があまりの熱気にライフレスの周囲から後退し始めたが、ライフレスはそれを咎めた。
「馬鹿どもが、誰かあのドラグレオの足止めをしろ。もはやあいつを殺すのには俺の魔法しか手段があるまい。俺の詠唱の時間を稼げなくては、全てが失敗するぞ」
「どれだけわがままなのですか。誰があの怪物の足止めができると?」
「だが今はそれしかないのだろう。本意ではないが、乗ってやる」
真っ先に提案に乗ったのはヴァルサス。大剣をずらりと引き抜くと、今やアイラーヴァタの足を完全の頭上に持ち上げたドラグレオに向けた。すると仕方ないとばかりにミレイユやゼルドスも付き合おうとしたが、ヴァルサスは彼らを制した。
「やめておけ、お前らでは荷が重い」
「ええ? 今さらそんなこと言うの隊長。それはないよ~、だいたいさぁ」
「・・・やめとけ、ミレイユ」
ゼルドスはミレイユの肩を掴んで止めた。ミレイユが振り返ると、ゼルドスは真剣な顔で首を横に振っていた。
「ヴァルサスはマジだ。今のヴァルサスに逆らうな」
「・・・わかったよう」
ミレイユもヴァルサスの背中から発せられるただ事ならない空気を悟ったのか、大人しく引いた。合わせるように他の者達も引いていく。そしてまたドラグレオもヴァルサスに呼応するかのようにマンイーターの体を弾き飛ばし、おもむろに銀色のブレスをマンイーターに向けて放出した。闇夜を天空まで突き抜けた銀の一閃は、マンイータの半身を吹き飛ばして消えて行った。銀の残滓がきらきらと舞う中、マンイーターはバランスを崩して地響きと共に倒れ、ドラグレオは悠然とヴァルサスと対峙した。完全に正気をなくしたはずのドラグレオが、戦いの歓喜を思い出したかのようにニヤリと笑ったのだ。
ヴァルサスもまた呼応するように笑っていた。
「どうやら同じ人種のようだ、俺達は。戦うべき敵を見つけると、その他の事はどうでもよくなる。これは業だな。なあ、そう思わないか?」
「ウオオォオオオオオオ!」
ドラグレオとヴァルサスは互いを求めるかのように、地面を同時に蹴り合わせた。
続く
次回投稿は、4/24(水)15:00です。