足らない人材、その37~夜襲⑯~
同時に、エルシアとゲイルを囲んでいた一角に血の花が咲く。
「なんだ!?」
「世話が焼けるんだから」
ケルスーとボートは自分の目を疑った。気が付けばいつの間にか、目の前の子どもが三人に増えていたからだ。視界は確かにある程度暗闇でぼやけてはいるが、油断したつもりはない。それにボートの目は全く正常だった。愚鈍なボートだが、目は人よりもかなり良い。目の前で起きたことを、見逃すはずがなかった。
だが確かに瞬きの間に、人が一人増えていたのだ。年のころは13、14歳だろうか。少年をまだ脱け出しかけたくらいの年ごろの男の子が、剣を腰に佩いて立っていた。同時に、闇猿の男達が5人ほど、血を噴き出しながらどうと倒れた。
「(今、何をしやがった? まさか俺達が瞬きをする間に、5人を斬り倒してガキ2人に当身をかましたってのか?)」
「兄ちゃん、こいつ・・・」
「だから忠告したのに。訓練を真面目にしていないエルシアには、前線に立つような実力なんてないんだよ。でもそう言ったら余計ムキになるんだろうね、君なら。
今の僕にはやりたいこともあるし、正直君達をいつまでも気にかけるわけにはいかないんだ。だからただ降参するくらいの足手まといなら見捨てようかとも思ったけど、エルシアもゲイルも思ったより頑張ったね。今回だけ、特別だよ」
レイヤーはボートとケルスーを無視し、そっと二人を横たえながら静かに語りかける。表情こそいつも通りだが、少しレイヤーも感情が昂っているようだ。饒舌な事実がそのまま彼の興奮を表していた。
レイヤーは正直嬉しかった。自分と共に育った者が戦う手段と意志を持っていることが。これなら自分も少し安心だと、レイヤーはほっとしたのだ。まだ、この二人を見捨てなくて済む、と。
そんなレイヤーの横の地面を、ケルスーの剣が奔る。
「おい、ガキ。何をした?」
「答える義理はないよ。それよりさっきの言葉を返す」
レイヤーは剣の柄に手をかけた。だが体からは一見殺気は感じられない。踏み込む様子もなく、自然体のままだった。
「僕がここに来たのは完全に独断なんだ。誰にも許可を取っていない。だから、僕がここにいてこんなことをしているのを仲間達に知られるわけにはいかないんだ。それで一つお願いがあるんだよ」
「なんだ」
「全員いますぐ自決してくれないか」
レイヤーの突拍子もない提案に、周囲の闇猿から笑いが起こった。だが、ケルスーとボートだけは笑っていなかった。レイヤーはまるで嘘を言っていないことが分かっていたからである。一見何の殺気も放っていない少年。だが、その実針のような殺気がケルスーとボートだけに向けられていたのだ。剣先を目の前に置かれているような錯覚に、2人は陥っていた。他の者はおそらく、数にすら入れられていないのだろう。
レイヤーは淡々と続けた。
「冗談じゃないんだよ、どっちにしても結果は同じだから。でもさすがに数が多いし、全員同時に逃げられると一苦労になるんだ。それに万一がないってわけでもない。ただ逃げられると確実に苦しませる殺し方になる。だから結果が同じなら、選択肢をあげる方がせめて――なんて言うんだっけ。ああ、そうだ。ジヒがある、って言うんだっけ? 僕には無縁の言葉過ぎて意味がよくわからないんだけども」
「・・・ざけろ」
ケルスーが動いた。目の前の少年が普通でない事はもう察していたが、それでも長年傭兵としてやってきた矜持が傷ついた。怒りに任せ、大剣を振るう。
「ふざけやがれ、このガキィ!」
大剣が目にも止まらぬ大蛇のように唸りを上げて襲い掛からんとするところ、その刃は一つたりともレイヤーに届くことはなかった。連接大剣の刃をつなぐ鋼線部分が、全て断ち切られていたからである。そして勢い余った刃は周囲の闇猿達の何人かを巻き込み、そこらじゅうに飛び散った。
「な・・・」
ケルスーが驚くより前に、既にボートはレイヤーにつかみかかっていた。ケルスーの剣は相手を仕留めなくとも、高い確率で動きを止める。その隙に怪力無双のボートが襲い掛かり、仕留めるのが彼らの必勝法だった。その連携で、今まで何人もの強敵を葬ってきたのだ。かつてのロゼッタさえ敗北させた。
ボートは自分の怪力を知っていた。筋力が異常に強いのは体格だけでなく、病気のせいだと。医者にも寿命が短いかもしれないと言われたことがある。事実、彼らの父親は力自慢の樵として名を馳せていたが、40にもならぬ間に早逝した。
だからボートは誤って好いていた女の子に抱き着いた際に力を込めすぎて殺した時、大人しく捕まるのではなく捕り手を殺して逃げることにした。兄を巻きこんだのは非常に申し訳なく思っている。だが、死ぬまで牢屋の中など、耐えられそうもなかった。ボートは別に罪に服すのが嫌だったのではない。自然と共に暮らせない事が、たまらなく嫌だったのである。
ボートとケルスーは逃げた。追っ手は日々手強くなったが、同時に食い詰め者達も彼らの元に集まってきた。そして彼らは自分達の身を守るために傭兵団を結成した。ボートはその辺りになって自分の怪力の異常さを正しく知った。巨人族の傭兵と腕力比べをしたことがあるが、あまり遜色はなかった。自分より強いであろう傭兵を見たことはあるが、少なくとも自分より力がある者は見たことがない。
そう、この瞬間までは。
「・・・あれ?」
ボートはレイヤーの腕をねじりにいったはずである。だがレイヤーの右腕はびくともせず、左腕はレイヤーにねじり上げられていた。
レイヤーはさも当然そうに語る。
「割と力があるね。これなら多少力を込めても壊れないか」
レイヤーは捻じり上げた左手の手首を思い切り握り込んだ。すると嫌な音がして、ボートの左手にゴムのようにめり込んだのである。ボートは声にならない悲鳴を上げ、レイヤーはがっかりした顔をした。
「なんだ、やっぱり脆いな」
「兄ちゃん。こ、こいつ俺と同じ病気――」
病気だと言おうとして、ボートの視界は潰された。レイヤーの目つぶしがボートの目を直撃し、そしてのけぞった瞬間にレイヤーはボートの巨体を唐竹割に片手剣で真っ二つにしたのだ。
一瞬の出来事に、ケルスーはボートを失った怒りよりも、逆に冷静になった。傭兵としての経験、戦士としての誇りが感情に身を任せることを許さなかった。レイヤーは返り血を冷静に拭いながら周りを警戒する。
「ふう、やっぱり雑だな。ルナティカのように返り血も浴びずに殺すにはどうしたらいいんだろう」
「小僧、お前は何者だ?」
レイヤーが振り向いた。
「さあ、何者だろうね。ただやはり同じ病気、というのは言い得て妙だなと思う。僕はその気になれば人間を素手で引き裂くこともできるし、体のつくりそのものが人とは違うみたいだ。医者が診たわけじゃないけど、これはやはり病気の一つなんだろうね。今殺した彼も同じ病気みたいだけど、彼よりも重症だろう。
でももっと深刻なのは、僕がこうやって人を引き裂いても何一つ感じないってことさ。昔からそうなんだ。相手がどんな悲痛な悲鳴を上げても、女子供が泣いても僕の心には何も響いてこない。どうやら僕は人として大切な何かが欠けているらしい。最近少しは人らしくなったかと思ったけど、どうやら勘違いだったかな」
ケルスーはそういいながらゆっくりと近づいてくる少年を見て、久しぶりに忘れていた感情を思い出した。手に力が入らない、足がすくむ、息が詰まる。そう、これは恐怖だ。壊れた剣の代わりを抜かなければならないのに、手は既に凍り付いたように動かなかった。戦士として優秀であるがゆえにケルスーは悟ってしまった。全ての抵抗が、この少年の前では無駄だと。
「全くよ、まともな死に方はしねえと思ってたが、これが俺の死に場所か。とんだ人生だったな、ボート」
もし弟がひょんなことで人を殺していなかったら、どういった人生だったろうか。樵として土地を開墾し、時に魔物と戦ってきた自分達家族は、それなりに人の尊敬を集める一家だった。隣人と笑顔を交わし、心穏やかに、時に熱く戦い、そんな平穏な人生だったろうかと想像した。
それがケルスーの考えた、最後の光景であった。月明かりに血の噴水ができると、周囲の闇猿達はじりじりと下がり、一人が走り始めたのをきっかけに四散した。全員がばらばらに逃げるのを見て、レイヤーはため息をついた。
「やれやれ、面倒だな。もう追撃の仕方はルナティカに習ったから、どうせ逃げきれるはずがないのに。少し本気を出そう」
レイヤーが地面を強くけると、まるで巨大な獣が足を踏み切ったかのように地面が抉れた。一つの踏込で人の五倍も進むと、レイヤーはあっという間に一つの逃げる集団に追いつき、一息で6人を背後から斬り殺した。同様に10、20人と、あっという間に切り捨てる。
「あとは反対か」
レイヤーが念のため一度エルシアとゲイルの元に戻り、なんの異常もないのを確認すると、レイヤーは再び反対側に逃げた連中を追いかけようとした。後30人もいないはずだ。半刻もかかるまいとレイヤーが地面を蹴ろうとしたとき、ぴたりとその動きが止まった。
続く
次回投稿は、4/2(火)16:00です。