足らない人材、その35~夜襲⑭~
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「ドゥーム、いいのかしら?」
「何が?」
ドゥームがオシリアに向けるにしては気のない返事だった。クライアとヴィーゼルが夜の森を舞台に戦い続ける中、その上空でドゥームとオシリアは様子を見守っていた。ここにはドゥームもある命令を受けて赴いている。それはヘカトンケイルの一団を貸すので、戦場を混乱させろということであった。だがドゥームはヘカトンケイルの指揮権をグンツに与えると、自分はさも興味をないふりをしてグンツの好きにさせた。
もちろん仕事を投げだしたわけではなく、その方が色々な事が試せると思ったからだ。事実、改造されたグンツは予想以上によくやっている。指揮能力は高いとは思わないが、単純な命令しか通らないヘカトンケイルならば彼の指示程度が丁度あっている。用途に応じてグンツが自分で集めた兵隊とヘカトンケイルを使い分けることで、かなりの戦果が期待できそうであった。
それにドゥームはこの戦場には自ら赴きたくなかった。カラミティが来ていることも嫌だったし、アノーマリーが投入したあの男もどのように動くか予想がつかなかった。確かに前哨戦として、それに実験としてもおあつらえ向きの場所だが、全員熱を入れ過ぎだろうと思う。この場に来ていないのはティタニアとブラディマリアくらいのはずだった。
それにもう一つ。ドゥームが半ば冗談で試してみたあの方法が、思わぬ形を結んでいるのだ。
「さすがにまずいよなぁ・・・」
ドゥームとしては、どうやって自分の失態を取り戻すかを必死で考えており、今はオシリアの言葉すらろくろく耳に入らない状況だった。一日あれば効果は消える。だが一日もあれば、この一帯が灰になりかねない。もう既にドゥームがやらかしてから2刻が経過したが、その間まだ何も起きていないことが不思議であった。
「オシリア、あいつの動きは追えているのかい?」
「ええ、一応ね。でも無意味だわ。あの男が全力で走れば、国の一つや二つはすぐにまたいでしまう。途中に森があろうが、山があろうが突っ切るでしょうね」
「だよねぇ・・・」
ティタニアがいればなんとかなるか、いや、それこそ惨状の引き金になりかねないとドゥームは思った。
「で、今は何をしているの。あのバカは」
「じっとしているわ。とても静かね」
「狂化の魔眼をかけたんだぜ? 狂って大人しくなるって、あいつの頭の中身はどうなってんだ?」
「それは知らないわ。狂いすぎてもはや行動がとれないほどになっているか、あるいは純粋に獣のような思考に戻っているか」
「獣に?」
「そう。純粋な獣、しかも獅子の類なら、自らが狩るに値する獲物でも見つけない限り動かないかも」
「それなり以上に実力者がいるはずだけど、誰もお眼鏡に適わないってことか。いっそそのままおとなしくしていてくれれば・・・」
ドゥームが淡い期待を抱きかけた時、森に遠吠えが響きわたった。狼ではない。獣では出せぬ、獣以上に殺意に満ちながらも、同時に悲哀に打ちひしがれた遠吠え。明らかに異質な遠吠えが、ドゥームの耳に入ってきた。
「今の・・・」
「アノーマリーの手札のようね。獲物を見つけたのか、動き始めたわ。それにあの獣も」
「どっちの方向に?」
「・・・アルフィリース達の方向ね」
オシリアが指先を向ける。
「げっ・・・そりゃまずいよ。このままじゃ協定が破れちまう」
「破れるとまずいの? 私はそれを望んでいるのだけど」
慌ててアルフィリース達の元に向かおうとするドゥームを、オシリアが止めた。だがドゥームは冷静な意見を出した。
「いいかい、オシリア。この場所はまだ僕らの目指す場所じゃない。時が満ちるのはまだ先だ。でもきっと満ちる。今この場所と時じゃ、アルフィリースすら殺せはしないだろうよ」
「これだけの駒がそろっていても?」
オシリアは不満そうに反論したが、ドゥームはしっかりと答えて見せた。
「ああ、やれないね。この程度じゃきっと無理だ。アルフィリースの事を一番知っているのは、今はきっとオーランゼブルと、僕と、そしてユグドラシルだろうね。なんとなくそのことが最近わかってきたんだよ」
「彼女は何者なの?」
「それはわからない。でも、想像は付き始めた。様々な遺物を集める過程で、それらしき答えを想像できるようになってきたよ。もし僕の想像通りなら、オーランゼブルはアルフィリースさえ手に入れば僕達は不要になるだろう。アルフィリース一人で全ての事が足りてしまうはずさ」
「?」
「その先はまだ秘密にしておくよ。僕にもまだ何の確信もないのだから。ただ一つ言えるのは、アルフィリースが何もかも捨てる気になれば、きっとその魔力はライフレスを上回るってことだけさ。ね? やれる気がしないでしょう?」
ドゥームはにこりと微笑むと、黒い靄へと姿を変えて空中を滑るようにアルフィリース達の元へと向かった。
***
「(よく粘るな・・・)」
同じ思いを抱いたのは、きっとその場にいた全員であったに違いない。ケルスーの腕はそろそろ疲れてきていた。間断なく大剣を振り回し続けたせいだ。確かに最初は遊んでいた。檻の中に閉じ込めたウサギのごとき脆弱な少女一人、何をどうしても仕留められるだろうと。
だが状況は徐々に違ってきていた。確かにケルスーの鞭状に変化する大剣はエルシアの皮を削ぎ取って行った。一振りするごとに確かに少女は傷つき、動きは鈍くなっていった。だが致命傷は一つも負っていない。体の周りを飛び回るツバメのごとき剣を、少女は怯えることなく地面を転がりまわり泥だらけになりながらも冷静にさばいていたのだ。
ケルスーは途中からほとんど遊んでいない。少しずつ、少しずつ遊びながら、腿の肉を削いで一つどんな顔をするか見てやろうと剣の軌道を変えたが、エルシアは器用によけた。武器はこれ見よがしに奪い、新しい物を渡して見せたのに、一振りもしていない。エルシアに渡した剣は実はひびがはいっており、もりケルスーの剣をまともに受けたら、そのまま剣を折られて真っ二つになりかねない代物だった。それはそれで面白かろうと思ってエルシアに渡したのだが、目論見通りにはいかなかった。エルシアが剣を見ている余裕はないはずだ。最初から、ケルスーを信用していないのか、あるいはケルスーの剣を受け止めれるとは思っていないのか。
ともあれ、展開はケルスーの考えたものとはまるで違っていた。泣いて許しを請ったあたりで、いつものように弟のボートに渡して壊れる様を楽しもうと思ったのだが。そのボートが指をくわえてケルスーを見ていた。
「兄ちゃん、まだ? 俺、飽きてきたよ」
「うるせえ、黙ってろ。テメェに渡すと、馬鹿力ですぐに壊しちまうだろ? たまにゃ俺にも遊ばせな」
「遊んでるのならいいけどさ」
ボートが空を見た。既に月は森の葉に隠れようとしている。ケルスーが決めた時間は迫っていた。ボートは愚鈍な性格だが、戦いに関してだけはそうではない。このエルシアという少女は、普通の人間とは明らかに違う。まだ何一つ戦う者として際立ったものを備えてはいないが、目だけは異常に発達しているとわかった。自らも知りえない、それは天性。ケルスーもまた同じことを感じていることはわかっていた。
「(こいつ・・・見えてやがるな。俺の剣の、それも一節一節が)」
エルシアの目がめまぐるしく動くことに気が付くと、彼女が何を目で追っているのかをケルスーは理解し始めた。ケルスー本人でさえ追うことができない、鞭状に伸びた大剣の一節一節をエルシアは追っているのだ。
ケルスーは焦った。このまま少女の一人ごとき仕留められなければ、自分は傭兵団の団長として信用を失うだろう。依頼主にも軽んじられかねない。賞金首でもある自分達兄弟は、実力で他を圧倒しているからこそ傭兵団としても活動できている。もし同業者に舐められれば、それはそのまま命とりだった。部下達にも自分の首を獲ってギルドに差し出す者もあらわれるかもしれない。
ケルスーが付かれた腕に力を込め、回転を上げるべくさらに振り回す。その一瞬できる隙をエルシアは見逃さなかった。
続く
次回投稿は、3/29(金)17:00です。