足らない人材、その18~防衛線⑦~
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夜が白み始める頃、アルフィリースはいち早く城門の高台に立っていた。そこから何が見えるというわけではないが、アルドリュースに教わった兵法を思い出していたのである。
「戦場ではどんな優れたセンサーや魔術士よりも、自然の方がより敏感である」
と。ゆえにアルフィリースはいつもの寝坊助な自分を戒め、誰よりも早く城門前の様子を眺めていた。もし敵が動くなら、何らかの兆候が森に現れると思ったからだ。実際にそのおかげで助かったことも、過去に何度か経験している。アルドリュースの言葉に役に立たないものはないと、アルフィリースは信じていた。
城門の前はなだらかな坂になっており、サラモの砦は丘の上に作られたことになる。坂は当然人の出入りも考えある程度拓けているのだが、その幅はせいぜい荷馬車数台分である。大軍が展開しにくいように森が周囲には残されていた。
まだ何も際立った変化はアルフィリースの目に映らない。ただ、静かな森と、鳥たちが朝の活動を始めた声が聞こえてくる。その光景を見つめるアルフィリースに、見回りの兵士の一人が声をかけた。
「何か見えるかい?」
「何も」
男は中年のくたびれた兵士だった。この激戦を生き残ったのだろう、体には生傷が絶えない。左手はまだ折れているのか、肩口から吊り下げられていた。ただし彼の腕を吊り下げる物は清潔な布ではなく、血にまみれた彼自身の衣服であった。
男はうろんげな目でアルフィリースに話しかける。
「こんな死地によく女の身空で来たものだ」
「人を物好き扱い? 私がいないと困るのはあなたたちだわ」
「その通りだが、そうとんがるな。女には女の役割ってものがある。戦いは男に任せて、女は家で男を慰めてくれりゃいい」
男の言葉に、アルフィリースは不快感をあらわにした。
「この国の男はどうも女を低く見る傾向にあるわね。この国に来てから不快な思いをすることが多いわ」
「仕方ないだろう。この国の成り立ちがそうだからな」
「成り立ち?」
「この国は元々盗賊が作った国だってのは知ってるな? 建国した盗賊は、基本的に奪い浪費する連中だった。その土地に住んでいた農民のことなんざ、気にもかけちゃくれない。
俺は職業軍人じゃない。任期が終われば田舎に戻って田畑を耕す。だが土地の細いこの国じゃ、何をどうやっても定期的に土地はダメになる。俺達は国に頼らず、自力で土地を切り開かなきゃならん。そのためには人手が必要だ。
女は子供を産める年齢になると、早々に婚姻を促される。子供をより多く産むのが、この国じゃ女の仕事だ。丈夫な子供を多く産めるのが、この国じゃ良い女だ。だから外で働く女は好意の目で見られない。それだけの話さ。逆に家の中じゃ女が優先される。食事でも、病気の時もな」
男の話にアルフィリースは妙な気持になった。国や土地によって価値観は変わるのが当然だが、この国の女性はどんな気落ちで生活しているのだろうと、ふとアルフィリースは思ったのだ。そして内心では、自分はこの国の生まれでなくてよかったと思うのだ。
何も話さないアルフィリースを見て男は気まずくなったのか、ポリポリと頭をかいた。
「ま、気分が悪くなったのなら許してくれ。俺はこの戦いがなかったら、今頃任期が切れて田舎に帰っている頃だった。それに俺達みたいな人間にとっては、どっちが勝って領主になっても構わないのさ。それよりも早く戦いが終わってくれってな。
お前さんたちは逆だろう? 戦いがなけりゃ、飯のタネにありつけないんだから」
「失礼ね、戦いだけが傭兵の仕事じゃないわ。別に田畑の開墾を仕事として受け付けても構わないのよ、私達は」
「そりゃ面白い発想だがね、そんな金のある農民がこの国にいるかよ。自分達の飯すら減らして税を納める有様でよ」
「そこまで面倒見れないわよ。だいたい私だって――」
元は農家の生まれなのだから事情はわかるけど、と言おうとしてアルフィリースは視界の端で鳥がまとめて飛び立ったのに気が付いた。城壁から身を乗り出してその方向を確認すると、アルフィリースは指笛を吹く。するとすかさず、城壁の階段をドロシーが走りあがってくる。
「どうしたべさ、団長!」
「ドロシー、リサを起こしてきて頂戴。おそらく敵襲だわ。リサをこちらに寄越したら、全員戦闘態勢で城壁に集合よ。昨晩用意させた武器を忘れずにね」
「了解だべさ!」
ドロシーは小気味の良い返事と共に、朝一番にもかかわらず勢いよく走りだした。この快活さがドロシーの最大の長所かもしれない。
アルフィリースはそのまま城壁にとどまると、登り始めた太陽を眩しそうに見つめるのだった。
***
リサが城壁に来て敵の襲来を感知する頃には、既に傭兵達は準備を整えて城壁に整列していた。本来ならこの城の指揮官はグランツであるが、彼は何を思ったのか先ほど到着したばかりなのだった。グランツの部隊は大きな荷物を輸送してきており、その輸送に手間取ったようでもあった。そして到着するとオズドバから状況を多少聞くと、荷物を城の一画に運び込むためにさっさとその現場指揮に行ってしまった。まるでこちらの様子などどうでもよいといいたげに。
そして敵襲が告げられた今も、その姿は見えなかった。不安になったオズドバがグランツの元へと走っていき、残されたエブデンはどうするべきかと困惑する。結局のところ兵士達はエブデンの指示を求めたが、エブデンとて立場上、指揮を執ることには慣れていないのだ。サラモの兵士達はあからさまに右往左往していた。
その様子をロゼッタがやや呆れたように眺めている。
「アタイらがいなかったら、この城って一刻後には落ちてんじゃねえか?」
「だからこそ相手も余裕だったのでしょう。ルナティカの報告では、酒盛りしている連中すらいるような始末だったらしいので」
「完全に舐められてんな。だが今日、目にもの見るのは奴らだぜ、なぁ?」
ロゼッタがにやりとし、傭兵達は自信を持ってその笑みに応えた。ただリサとフェンナは厳しい表情で森の方向を見ていた。
「リサ、敵の事はわかりますか?」
「いえ、やはり戦地というのは特殊ですね。互いに敵のセンサーを防ぐためにそこらじゅうにセンサー疎外の魔術が張り巡らされると聞きますが、その通りのようです。大雑把なことはわかるのですが、細かいことまではとても。やはりフェンナに結界を仕掛けておいてもらってよかったのです」
「私の結界も場所を選びますけどね。この土地は森と土の属性が強いので、結界も張りやすかったです。今だけなら、リサのセンサーよりも感度がよいかもしれませんね」
「で、敵の様子は?」
ラインが油断なく語りかける。
「敵の数はおよそ千。それに何か大きなものを引いているのではないかと思います」
「数は?」
「十と少々。敵の構成は主に歩兵」
「そんだけわかりゃ十分だ。予定通りだな、アルフィ」
「ええ」
アルフィリースは余裕を持って頷いた。後は昨晩ルナティカから受けた報告が上手くいけば、より戦いは有利に運ぶ。そして森の木々が揺れるのが肉眼でわかるようになると、徐々に緊張感が高まってきた。誰もが張り詰めた表情と、高まる緊張に武者震いする者もいた。既にロゼッタも笑ってはいない。
そして敵兵士の姿が、徐々に森から出てくる。
「来たな」
「だがやっこさん、驚いてやがるぜ」
グラフェスの言う通り、森から出てきた敵には動揺が隠せなかった。それはそうであろう。サラモの砦は昨日まで自分達が攻めたて、半壊させていたはずなのだ。その砦が一夜にして復活すれば、誰であろう驚くはずだった。
その動揺する敵を、城壁にまで聞こえる声で一喝する者がいる。
続く
次回投稿は、2/25(月)19:00です。