足らない人材、その17~防衛線⑥~
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その夜。ルナティカは一人相手の陣地に潜入していた。戦場においては敵のセンサーを防ぐため、あちこちにセンサーの感知を妨害したり、ソナーを潰すための魔術が施される。また魔術士によっては、センサーがソナーを放つだけで逆探知するような魔術も仕掛けられる。
そのため、戦場では結局のところ斥候という存在が欠かせない。ここにターシャが来ていたら昼間の内に上空から斥候をしてくれたのだろうが、いかんせん飛竜と天馬では移動速度が違う。順当だとしても、ターシャがサラモ砦付近に到着するまでにあと2日はかかりそうであった。
そのためルナティカが今夜は偵察を行っている。幸いにして今夜は月夜。明かりには事欠かない。真の暗闇では偵察も難しいが、月夜ならばルナティカにとっては昼間とさして変わらない明るさだった。偵察は昼間に行っても見つかりはしないだろうが、ルナティカは万全を期して夜に偵察することにした。軽く敵陣を昼間に探った印象では、サラモ砦に攻めてくる気配はなかったからだ。
「(こちらの援軍を待っていた? 理由はわからないが、そういう可能性はある)」
ルナティカは城攻め屋と呼ばれる一団らしきものを見つけると、その様子を覗った。人数は五百から千というところか。ルナティカが目を付けたのは、投石機を多数彼らは所有しているというところか。投石機は通常よりもかなり大きく、人力ではなく多数の石を錘として投石するように作られていた。形から想像するに、この分なら大人数名分の石を錘として利用することが可能だろう。となると、当然投擲できる物の重量も重くなる。
確かにそう城壁が高くないサラモの砦くらいなら、いかに丘の上にある砦であろうと関係なく、この投石機は上空から様々なものを投げ込んでくるであろう。
「(サラモの砦が作られたのは随分と昔だろう。今の戦いには不向きな砦。これは難しい戦い)」
ルナティカがそのようなことを考えていると、ふと彼女の背後から近づく気配がある。ルナティカが振り向くと、そこにはレイヤーが立っていた。
「遅れた、ごめん」
「いや、予想より早い。上出来」
ひそひそ声で話される会話。今回の偵察はレイヤーの実地訓練も兼ねていた。もちろんルナティカ以外は誰も知らないことである。
ここ何か月かレイヤーを鍛えていたルナティカ。思いのほか吸収が早いレイヤーを前に、ルナティカは実地訓練を行ってみることにした。それは出発点と終着点だけを決めて、どのくらいの速度差で到着できるかということ。そしてレイヤーはルナティカの期待以上の動きを見せた。
まずは第一の目的となる場所で合流したことで、ルナティカの課題も今回は終了した。
「よし、いいだろう。これからは具体的に偵察で何をすべきかを教える」
「わかった」
「お前ならこの陣地に来て、何を考える?」
レイヤーは周囲を見渡して、少し考えた。
「そうだな・・・敵はかなり気を良くしていると思う。見張りもあまりいないし、気迫そのものが感じられない。油断しているみたいだ」
「同じ意見。見回りも少ないし、これなら奇襲ができる。では奇襲ができるとアルフィリースに伝えるか?」
「いや、伝えない。偵察は見たままを伝えるのが仕事だ。何をどうするかは、指揮官が考えればいい」
レイヤーの答えに、ルナティカは頷いた。
「その通り。斥候や偵察は見たままを伝えるのが仕事。主観は邪魔」
「そうだね。だけど、こちらの利になることなら自分の判断でしてもいいだろう?」
「?」
レイヤーの言葉の意味がわからず、ルナティカは返事ができなかった。レイヤーはその場にある投石機にぽんと手を当て、何がしたいのかを指し示した。
「・・・なるほど。それはいいかもしれない」
「そう、特にアルフィリース達の邪魔にはならないだろう?」
「わかった、アルフィリースには私から報告しよう。すぐに取り掛かる」
ルナティカとレイヤーは闇に乗じて何かしら投石機の周りでしばし蠢くと、引き続き敵陣内の探索を続けた。ルナティカは陣中の明かりだけでなく、何かしら他にも警戒していることがありそうだった。レイヤーがその理由を聞くと、魔術士が仕掛けた罠や、センサーの見回りを回避しているとのことだった。どうやってその存在を知ることができるのかとレイヤーが問うと、
「慣れてくると、見える」
とだけ言われたのだった。さすがに大雑把な答えすぎてレイヤーも困ったが、自分もゲイルやエルシアなどの気配を知った者なら、家一軒程度なら隔てていても存在を感じることはできた。それと同じようなものかと、レイヤーは納得することにした。いずれは自分もその領域に達するかもしれない。
それから一刻ほども偵察を続けただろうか。敵の陣を一通り見回り、既に正規軍の陣すらも見て後方の陣まで偵察に行こうとした時である。多少深く潜りすぎかとレイヤーも思っていたが、ルナティカと一緒ならば何も危険はないと思っていた。だが、そのルナティカの足が突如として止まったのである。思わずレイヤーが、前を走るルナティカにぶつかってしまった。
「ルナティカ・・・?」
「変」
ルナティカはそれだけつぶやくと、注意深く周囲を警戒した。周囲には光源ひとつなく、遠くに敵陣のものであろうぼんやりとした篝火のほのかな明るさを感じるのみだ。おそらくは月明かりがなければ、レイヤーには走ることは不可能なくらいの闇である。
ルナティカは周囲を見回すと、空を仰いで月を見た。白い月は彼女達を照らしているが、うっすらと雲がかかり始めている。大きな雲がもうすぐすっぽりと月を隠すだろう。ルナティカは雲の動きを確認すると、くるりと足を反対に向けた。
「戻る」
「え? なぜ?」
「この先はまずい。何かわからないが、非常にまずい。特に月が隠れると、私はともかくお前は動けなくなるだろう。今のうちに撤退」
「勘?」
「勘」
それだけ言うとルナティカは走り出した。レイヤーもそれに続くが、レイヤーには何らかの危険を感じることは全くできなかった。果たしてその先には何があったのだろうと、気にならないわけではなかったのだ。
だが彼らが踏み入ろうとしたその先に、確かに彼らを待ち受ける者がいたことを彼らは知らない。待ち受けていた者は腰の剣から手を放すと、そっと姿を闇に溶かして完全に消えた。
続く
次回投稿は、2/23(土)19:00です。