足りない人材、その5~幼い期待~
「・・・ふむ」
トン、トン、トン。規則的に刻まれるその音に、ルナティカは興味を引かれて音のする方に自然と足を向けた。音はどうやら厨房の方からしているようだ。
ルナティカは自然と、気配を消して音の出どころを探した。別に悪いことをしているとは思っていないが、この音の原因がわかるまでは絶えてほしくなかったからだ。
ルナティカがたどり着いたのは厨房である。中では調理人のラックが一人、軽快に食材に包丁を走らせていた。ルナティカは音の源を確認して拍子抜けした瞬間、次の驚きにとらわれていた。そこには、ルナティカが今まで想像したこともない刃物の使い方が存在していた。
ラックの刃物は食材の事を考え、最低の刃物の通し方で食材を調理するように動かされている。殺すのではなく、食材を生かすために動かされる刃物。人を殺すためにしか刃物を握ったことがないルナティカにとって、ラックの刃物の使い方は衝撃的だった。ルナティカは時間が経つのも忘れ、しばしその手元を食い入るように見つめていた。
まな板の上にあった食材を切り終わる頃、ラックがふとルナティカの方を向いた。ラックもまた集中していたのだろう、ルナティカが厨房の入り口に立っているのを見て、ぎくりとしたように身を固くした。ルナティカもまた、ラックが自分に気が付いたのを感じて我に返る。
しばし交差する2人の目線。ほどなくしてラックが口を開く。
「あの・・・何か用ですか?」
「いや、用はない」
そのまましばしの沈黙が続く。気まずくなったラックの目線が泳ぐ。
「えっと・・・なぜここに? ルナティカ、さん」
「ルナでいい、親しい者はそう呼ぶ」
「え、でも初めて話すし・・・」
「今から親しくなる。問題ない」
その言葉を聞いて、次に何を言うべきかわからないラックは口をぱくぱくさせていた。ルナティカは不思議そうに首をかしげる。
「ふむ、友達を作るというのは難しい。これではだめ?」
「いや、あの・・・よくわかりません」
「私もわからない。だが知りたいことはある。お前の包丁の使い方。非常に興味深い」
「え、と。料理の仕方ですか?」
「違う。だが似たようなもの。もっと良く見せてはくれないか」
そのままルナティカは厨房に上がり込むと、椅子に腰かけてラックの方をじっくりと見始めた。まるで幼い子供のように純粋な瞳が、ラックを見つめていた。
ラックは困惑しながらも、ルナティカに見られながら調理を再開するのだった。
***
「遅くなってしまった」
レイヤーは足早に自分の部屋に向かう。既に陽は完全に沈んでしまった。日が沈むころには部屋に帰り、軽く腹に何かを詰めた後、ルナティカと共に夕闇に紛れて特訓に向かうのが日課となっている。いつも通りなら、既にルナティカは部屋の中で待っているはずだ。
レイヤーは自分の部屋に滑り込むようにして入ると、既に暗くなった室内で準備を整えようとした。部屋は暗くても、全ての物がどこにあるのか覚えているしわかる。そうなるようにルナティカに訓練された。だが、レイヤーは準備を始める前に、テーブルの上に置手紙がある事に気が付いた。さすがに文字までは見えないので、ランプに明かりを灯して読んでみると、ルナティカの文字で「今日の訓練はない。次の戦争の依頼に同行するよう」とだけ書き残されていた。
レイヤーはその置手紙を読むと、背筋がぞくりとするのを感じた。その理由は果たして楽しみだからなのか、ただ恐れているのか。レイヤーは気を取り直すと、夕食を取るために部屋を出た。その直後、ゲイルと出会う。
「よう、レイヤー」
「ゲイル、なんだか嬉しそうだ」
「わかるか?」
ゲイルはにやにやしながら、レイヤーの上から覆いかぶさるように肩を組む。既に2人の体格差は随分と違っていた。
「俺な、今度の依頼に同行していいって言われたんだ。ついに俺も戦場に出陣だぜ!」
「そうなのか。ゲイルは傭兵になりたいのか?」
「そうだよ! これで俺も自分の食い扶持を自分の手で稼げるようになる。胸を張って生きていけるぜ」
「そうかな・・・」
ゲイルがあまりに上機嫌なのでレイヤーは言葉にはしなかったが、人の命を奪う仕事が胸を張って生きることには決してつながらないだろうと、レイヤーには既に確信があった。
そんなレイヤーの事を気にもかけず、ゲイルは戦いの場にかける期待をぺらぺらと話し始めた。レイヤーは適当に笑顔で調子を合わせていたが、そこにエルシアがやってきてむっとした表情で話しかけてくる。
「あんたたち、何してるの」
「おう、エルシア! 聞けよ、俺今度の戦いについてこいって言われたんだ。俺もついに傭兵だぜ!」
「ふーん、そう。せいぜい死なないように頑張りなさい。レイヤーは?」
「僕も行くことになった」
「え?」
意外そうにゲイルがレイヤーの顔を見る。まさかレイヤーも戦場に呼ばれたとは、ゲイルは全く考えてなかったのだ。エルシアはなんとなくそうではないかと疑っていたが、やはり表情は驚いていた。
だが2人が何かを言う前に、レイヤーが素早く言葉を発した。
「後方支援みたいだけど、今回は突然だったから人手が足らないって。それにそれなりの報酬も出るみたいだから、アルネリアで荷物運びをするよりは良い稼ぎになるみたいだ」
「だ、だよなぁ・・・レイヤーに剣なんて、似合わねぇよ」
「そうね、あなたみたいな大人しい人間に、剣なんて似合わないわよ。でも2人とも戦場に行っちゃうんだ」
エルシアが少しさみしそうな、困った顔をした。そしてすぐに、
「決めた、私も行くわ」
「はぁ? お前、無茶言うなよ」
「無茶じゃないわ、ロゼッタにも来ていいって言われたもの。私だけおいてけぼりなんて、ごめんだわ」
「そんなこと言ってもよお・・・」
ゲイルは返事に困ったようだが、昔からエルシアは言い出したら聞かない女の子だった。いつもゲイルとレイヤーは彼女の我儘に振り回されてきた。ゲイルはちらりとレイヤーの方を見たが、レイヤーは昔のようにちょっとだけ微笑むと、エルシアに穏やかに話しかけた。
「ロゼッタさんが来てもいいと言ったのなら、僕達が何を言うべきでもないさ。ただ、誰の命令を聞くことになってもちゃんということを聞くんだ。それならきっと3人でここに帰れるさ」
「そんなことレイヤーに言われなくてもわかってるわよ! 私だって、死にたくはないわ。これから花の乙女になるんですからね!」
「何か言ってら。いいけどさ」
ゲイルが呆れたような顔をしたが、レイヤーは気苦労の種が増えただけだと、心の中で呟いていた。頼むから、自分の手を煩わせるような危険な目に遭ってくれるなと、切に願うのであった。
続く
次回投稿は、1/30(水)21:00です。