魔術総会、その12~裏切り者~
ヤーレンセンがこれはただ事ではないと察したのか、正直に話した。そして名前を聞いて、テトラスティンの表情がみるみる変わる。同じように表情が変わったのが、暗黒魔術派閥のフーミルネとイングヴィルだった。
「サイレンス、だと・・・」
「会長、何か?」
「ヤーレンセン。貴様、迂闊にもほどがあるな」
テトラスティンはリシーに目くばせをすると、リシーが腰から刀を抜くところだった。右手の刀はヤーレンセンの首筋にぴたりとあてられる。
「会長、何を!?」
「痴れ者が。貴様が交渉していたのは黒の魔術士だ。貴様はそれと知らず、せっせと奴らに情報を提供していたのだよ。命くらいは残してもよいかと思っていたが、もはやそれもならん」
「馬鹿な! 私は彼には何も漏らしていない!」
「やり取りがあった、そのこと自体が問題なのだよ。もしアルネリアに何かあれば、我々が人の最後の砦かもしれんのだ。我々の教会に、あれらと関連のある者、また関連の可能性がある者すら入れることはできん。明言こそしていないが、魔術の禁を破ることと同等に許せない出来事だ。
残念だよ、ヤーレンセン。貴様はいずれ、この教会を牽引していけるだけの逸材だと思っていた。だがとんだ勘違いだったようだ。自らのことだけで頭が一杯だったとはな・・・貴様はここで終わりだ、死ね」
テトラスティンの言葉が終わると同時に、リシーがヤーレンセン首を落とすつもりであった。だが、周囲にいた人間達から、不意に飛び出す影があったのだ。
影は礫のような物をリシーに投げつけながら、陽炎のように突進し、そのままリシーに覆いかぶさるように体当たりした。リシーは突然の出来事ながらも冷静に左手で短刀を握り、礫を全てはたき落とし、突進してきた者の心臓に右の刃を突き立てた。
この時点でリシーは3つ失敗をした。一つは自分に突進してきた者の正体を確認する前に、相手の心臓を刺した事。一つはヤーレンセンに当てていた刃を、一瞬とはいえ離した事。そして一つは、自分に向けられた礫に気を取られて、ヤーレンセンに投げられた何かにまでは気が回らなかったこと。
リシーは相手の心の臓を突いたことを確認し、敵を壁まで突き飛ばすと同時に懐から多数の刃物を取り出し、四肢を貫いて壁に相手を完全に固定した。ここまでの動作がまさに一瞬。魔術士達は動体視力は並程度の者が多いので、ほとんどの者はリシーの早業に何が起きたかわかっていなかった。壁に固定された者を見て、多くの者は初めて状況が分かったのである。
「そいつは・・・」
「なぜ? なぜだ?」
周囲も驚いだが、最も疑問の声を上げたのはカラバルだった。そう、その男はカラバル自身が腹心として用いており、さきほどアララカルを呼びにやった男だったのだから。男は、まだ理派閥が派閥としての形を成していない頃からの所属であったのだ。
一人驚いていないのはアララカル。彼は喧騒など自分に関係ないとでもいわんばかりに、平静であった。それを見咎めたのは、イングヴィル。
「冷静だな、お客人。まるで、彼が裏切り者であることを知っていたようだ」
「いえ、裏切りとは露ほども。ですが、変わった者を理派閥は用いるのだとは思っていました」
「何?」
「人ではない者を重用するとは、変わっているなと。我々ならばやりませんが」
「貴様、それを知っていて――」
「待てイングヴィル!」
テトラスティンは、アララカルを問い詰めようとしたイングヴィルを止めた。リシーが押さえていたヤーレンセンの様子がおかしいからだ。気が付けば、ヤーレンセンの腕には先ほど男が投げた注射器のようなものが突き刺さっていた。中には緑の薬液が入っており、注射器はまるで意思を持っているかのように、その内容物を遠慮なくヤーレンセンに注ぎ込んでいた。
液体が入り込むと、ヤーレンセンはびくんと体を大きく一つのけぞらす。リシーが気づき、飛びのいて距離を取った。エスメラルダが男に叫ぶ。
「貴様、ヤーレンセンに何をした!?」
だが男は既に息絶えていた。どうやら自ら舌を噛んだらしい。放っておいても死ぬであろうに、念の入れ方が徹底していた。
だが男の正体を追求する暇もないまま、ヤーレンセンの様子はおかしくなっている。最初は泡を吹いて苦しんでいたので蒼の派閥の者が彼を助けに行こうとしたのだが、テトラスティンがそれを制した。
「よせ、様子がおかしい」
「ですが、会長」
「カラバル、あの薬が何かわかるか?」
「いえ、さっぱり・・・奴も、我々がこの派閥を立ち上げた頃からの古参のメンバーです。奴がこんな行動をするなんて、何がなんだか。それより父は――」
「・・・状況は最悪だ。見ろ」
テトラスティンが指し示すのは、変化を始めたヤーレンセンであった。既に意識はないのか、その瞳は混濁しているが、大量の吐物をまき散らしながら体は変化を起こしていた。
皮膚が裂け、肉が盛り上がり、破壊と再生を繰り返しながら形状が変わっていく。体は上半身だけが巨躯へと変化し、皮膚の色は漁港の水際に溜まるヘドロのような汚泥の色となる。重くなった上半身に耐えられず姿勢を崩したが、肥大化した腕を支えとしてヤーレンセンは体を固定させた。
不格好な姿であるが、これがヤーレンセンの変化の行きつくところであるらしかった。肘の部分からは突起状の目が2つ、さらに細い腕が2本飛出し、腕の先端は口のようになっていた。そしてうつろなままのヤーレンセンの瞳が、くわっと見開かられる。
「う・・・ここはどこだ?」
「父上! 私が分かりますか?」
カラバルが心配のあまり、駆け寄った。周囲は目くばせをし合いながら、じりじりと変化したヤーレンセンから距離を取り始めている。既に外に出て、何が起こったかを知らせにいった者もいた。
「・・・おお、お前はカラバルだな? おかしなことを聞くものだ。私の子供の顏だ、もちろんわかるぞ。おや、カラバルよ。背が縮んだのか・・・?」
「いえ、父上が大きく・・・それよりも、お加減はいかがですか? 体は――」
「体か。体が――重い。思うように動かん。だが力は満ちておる。今なら何でもできる気がするぞ――そうだ」
ヤーレンセンの瞳に、徐々に生気が戻り始めた。
「カラバルよ、私についてこい。今から私は復讐を遂げに行く」
「父上・・・? 復讐とは――」
「私を弱者扱いした者達を見返すのだ。体に満ち溢れるこの魔力と、私が長年研鑽した魔術理論があれば負けることはありえない。お前には苦労をかけたからな、特等席で父の活躍を見せてやるぞ」
「ちち――」
「そこまでだ、ヤーレンセン」
テトラスティンが会話に割って入った。既に周囲は応戦の準備は整っている。ここに集っている者は愚鈍ではない。どのような状況か、何をすべきかそれぞれが分かっていた。建物の下で選挙の成り行きを見守っている者達に知られぬように、既にこの階は閉鎖。戦闘態勢は整っていた。先陣を切るのはテトラスティン。この場でもっとも戦闘向きの力を有しているのがテトラスティンだと、誰もが知っている。
テトラスティンは高らかに宣言した。
続く
次回投稿は、1/4(金)12:00です。