初心者の迷宮(ダンジョン)にて、その9~封印解けて~
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一方こちらは逃げ出したと思われたライン。アルフィリースは反射的に逃げたと思ったが、出口を塞がれたこの地下に逃げ場など存在しない。アルフィリースがそのことを失念したわけでなかったが、仕事で何回かラインと同行していても、彼がまともに戦っているのを一度も見たことが無いのだ。いつも戦闘が始まると姿を消し、終わったころにひょっこりと現れる。時には大将首など、おいしいとこだけ持っていったりする。そのためアルフィリースは彼を臆病で卑怯な男と思っていたが、実際にはそういうわけでもなかった。
彼はいついかなる時も冷静沈着で、幾多の戦場をくぐったミランダでさえ遠く及ばないほど計算高かった。そして今現在の最優先事項は、「いかに生き延びるか」ということ。だがそれは自分の命に対する執着はではなく、他人が目の前で死ぬのはどうにも苦手だということ。彼はなんとかして一人でも多くを合理的に救うため、少数の犠牲を出してもやむを得ないと考える人間だった。命を数で勘定するわけではないが、救えるなら一人でも多いほうがよい。長年戦場にいる者としての、ラインの一つの決論だった。だがそれが正しいとはいまだに確信できるほど彼も歳を経てはおらず、特に最近その信念が揺れる。
その原因はアルフィリースだった。ラインにとって女など別に一時の気まぐれ程度、自分の欲求不満を晴らす程度の存在でしかないので、面倒くさいから深入りはしないことにしている。昔一人だけ本気で惚れた女がいたが、あの時の出来事は今でも自分の心に影を落としている。いまだに忘れられないあの女の涙を流す顔。アルフィリースが似ているとも思わないが、妙に引っかかるのだ。
「(性格も違えば、容姿も似てねぇ。だいたいアルフィみたいなドジじゃねぇしな。だがなぜだ? なぜアルフィが気になる? まさか惚れてるとでもいうかよ! あんなションベンくせえガキによ)」
そんなことを戦場でラインが考えるのは珍しい。その考えと共に今彼が向かっているのは、先ほどあの少年たちが向かった扉の向こう。出口がもしかしたらあるかもしれないという希望と、失踪した傭兵たちの手掛かりを何としても探し出すため。それにあの魔物だけなら今戦っている面子でなんとかできるかもしれないが、あの少年のうちどちらか片方でも戻ってきたら確実に全滅することがわかっていた。どちらかが戻ってきそうだったら、自分が何としても足止めをするつもりだったのだ。そういった意味ではここが一番重要な戦局なのかもしれないことを、いち早くラインだけが気付いていた。そして道が拓けて部屋に出そうなのを感じると足音を殺し、そっと中の様子を窺う。
「(気配がしない・・・?)」
ライフレスとやらはともかく、ドゥームと名乗った少年は気配を消しそうな性格ではなかった。思い切って中を覗くと、そこには剣が一本刺さっているだけである。
「あいつら、どこにいった?」
キョロキョロと中を見渡すが、中には隠れるような空間はない。それ以上に隠れる必要もないだろう。
「で、なんだこの黒い剣は? こんなしけったところに置いていたせいか、錆びてやがる。それより出口はねぇのかよ、ちくしょう。しゃあねぇ、戻って手助けするか」
不満を漏らしながら足でゴンと剣を蹴り、引き返そうとするライン。
「おい……」
「いや、もう少ししてから戻るか? アルネリアの巡礼っぽいシスターもいたし、悪霊ごときに早々引けは取らんだろ。それなら恩を着せるか、あるい戦うだけ無駄だな」
「おい……」
「あー、でも出口が確保できていないんだよな。どうするのが一番いいのか……あの巨体を誘導して壊すのが一番だろうが、そう上手くいくかぁ?」
「おい! 多少人の話を聞け!」
剣から声がした。まだ頭がおかしくなるには早いと思うのだが、とラインは耳をほじった。
「まさか疲れているのか? 空耳が聞こえやがる」
「空耳ではない……待たないか」
だがスタスタと戻ろうとするライン。まさかの無視に、剣は腹を立てた。
「そこの短小包茎男、待て!」
「誰が早漏だぁ!」
ラインが怒声と共に駆け戻って来て、剣に蹴りをくれた。慌てたのは剣である。
「誰も早漏などと言っておらん!」
「聞く耳もたん!」
「いや、そこは聞け!」
「問答無用!」
剣に蹴飛ばし続けるライン。その内、剣が地面から抜けてしまった。
「馬鹿な⁉ 蹴りで我の封印を破るとは!」
「早漏を撤回しやがれ!」
「言ってない! それよりそこを蹴るな、我の顔だぞ!」
「剣に顔なんぞあるかぁ!」
剣と人間が真剣に喧嘩をしている。この場面にリサがいれば、いったいどれほど痛烈に彼らを言葉で引き裂くのか。そしてややあって、
「飽きた」
「貴様! 散々我を足蹴にしておいて言う台詞がそれか? 昔は我を巡って数多の人間が戦争まで起こして奪い合ったというのに」
「いや、どーでもいいからそんなお前の過去話は。一人でやってくれ、今度こそ帰る」
「そなた、『空気が読めない男』だと、よく女にフられるだろう?」
「うぐっ⁉」
「やはり図星か」
剣のため息を吐きたかったが、そもそも剣は息を吐けなかった。
「ところで貴様、名は何と言う?」
「ラインだ、むしろ様をつけろ。剣の分際で偉そうにするんじゃねぇ」
「ぐっ、だが名乗られたからには名乗り返さなければなるまい。私の名は―――」
「いや、別に聞きたくないから言うな」
「名乗るくらい自由にさせろ!」
「じゃあ俺が帰った後、一人で永遠にやってくれ。はっ」
ラインが悪態をついたが、こんな場所に封印されているくらいだから相当によくない剣だということは想像にやすい。下手をすれば剣に取り込まれかねないことも想定しているので、自然と態度は悪くなる。だが剣も負けてはいなかった。
「そこまで言うなら勝手にするがよい。だがこのままでは外の傭兵たちは全滅だな。ここ数日で遺跡に来た連中と同じに」
「なんだと⁉」
ラインの顔つきが変わる。
「前にここに来た傭兵たちがどうなったか知っているのか?」
「我自身がセンサーみたいなものだからな。たとえこの封印された部屋からでも、上で何が起こってたかは知っている」
「で、何があった?」
「タダで教えると思うか?」
剣がやや意地がわるそうな声を発する。ラインは内心で舌打ちしながらも問いかけた。
「……条件は?」
「話が早い奴は好きだよ。私をここから出してくれ。さすがにこの暗い部屋はもう飽きてな」
「……そのくらいならいいだろう。話せ」
「約束だぞ?」
剣は念を押した上で話し始めた。
「この前に集団で来た連中は既に全員ここにはいない。適当に十数人を遊ぶように殺して、残った連中を転移魔術で連れていった。目的までは知らぬ。探し人でもいたか?」
「そうだ……だが、どちらにしろもうだめだな」
「ほう」
剣は少しこの男に興味をそそられた。人間と言うのはとかく正義感を振りかざしたり、善人ぶるのが上手い種族だとこの剣は思っている。そういった連中が極限状態では自分勝手に豹変したり、守っていた者にいともたやすく刃を向ける場面をこの剣は何人も見てきた。だが逆に自分の限界を正確に見極め、己にできることだけをする人間は好印象だった。そういった人間の方が信頼できる。
「まだ生きている可能性のある者を助けない、と?」
「できればそうしてやるさ。だがやつらの本拠地もわからないし、対抗できそうな戦力もない。ここにもういないのなら、それこそ手がかりもないしどうしようもない。それに――」
「それに?」
「奴らはヤバい、本格的にヤバい。あいつらは人間の恰好をしてはいるが、人間を同格の生物とみなしていない。そう、俺達が普段歩くときに足元の蟻を踏み潰しても気にかけないように、奴らにとって俺たちはその程度の存在さ。いや、もっとひどいか。奴らは足元にいるアリの数を計算して、最も効率よく踏み潰しに来るタイプだ。数々の戦場を巡ったが、あんな得体の知れない連中を見たのは初めてだ。俺は今後一切関わりたくないね。俺は穏やかに、ひっそりとそこそこの依頼を受けながら傭兵ができれば、それで満足なんだからよ」
「そうだな、あいつらの相手をするとなれば、まさに人生を百回やり直してもきかぬほどの鍛錬が必要だろう。よし、これで我の知っている情報は話した。約束通り我を連れていってもらおうか?」
「ん? ああ、断る」
なんの躊躇も無しに断ったライン。剣もその可能性を考慮してなかったわけではないが、あまりにも即答ではっきり言われたので面喰った。いや、剣に顔は無いのだが。
「貴様、たった今約束したではないか!」
「ああそうだな。だが、俺は約束を破らないなどとは一言も言ってないがな?」
「そんな詐欺師の様な弁論を」
「こんなところに封じ込められているお前は碌なもんじゃないんだろう? さっき自分で言ってたもんな。このままここに封印されてた方が、間違いなく世の中のためだ。あばよ」
「ま、待て。待たんか! 待ってくれ!」
助けを求める剣を背にし、足早に部屋を立ち去るライン。彼の頭の中にはもはやこの情報をギルドに知らせるために、いかにこの場所を脱出するかしかなかった。そして出来る限り多くを助けるにはどうするべきなのか。
自分の命はもちろんのこと、できれば自分より年若い連中や、あの女剣士の連れは何とかしてやりたかった。自分では軽薄なつもりでも、なんのかんので情に厚いことを自覚してはいなかったが、これからの作戦を立てながら足早にアルフィリースたちのところに戻るラインである。
続く
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