魔術総会、その1~静寂の神殿~
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そこは静かであった。静寂とはこういうものであるのかといわんばかりの、無音。通常、どんな空間にも生き物の息遣いというものは絶えない。たとえば気配とは、猫や犬などの畜生だったり、あるいはもっと小さな虫だったり。場合によってはさらに小さいコケやあるいは植物の胞子であったりするのかもしれない。
だがここにはそういった小さき者達の息遣いは一切聞こえなかった。生きとし生ける物が皆無の空間。異様なまでの静けさに、ただ一人そこに閉じ込められた者は気が狂いそうになっていた。
「(なんだここは・・・人はおろか、虫さえいないとは。これでは何もできぬ。脱出は不可能ということか)」
思考の主はノーティス。ユグドラシルによって水晶に閉じ込められた白銀の竜は、唯一思考のみを許可されてそこに固定されていた。体ごと水晶に閉じ込められれば当然呼吸もできず死ぬはずだが、どこをどうやったものか呼吸をせずともノーティスは生きていた。指先一つ、羽の一枚に至るまで動かせぬありさまだが、確かにノーティスは生きている。最後にかすかな抵抗をしたのが、功を奏したのかもしれない。
思考できることこそが生きている証明。あるいは既に死んでいるとしても、思考が可能なほどの霊体であれば、外界と何らかの接触を取る事も出来るはずだと彼は考えた。
だがどうやっても動けない。それに何も生きた者が視界に入らないとなると、徐々にここが既に死の国で、自分は永遠にこの獄鎖に囚われたままなのかと不安になってくる。ノーティスにとって生死はさほど重要ではない。ただこの世界の危うさに気が付きながら、何も行動できなかった己の不明を恥じるのみである。彼は自らを同世代の真竜達と比してなんとも不甲斐のない、意気地のない竜よと蔑んでいたが、やはり彼も真竜である事に違いはなかった。
「(ぬう・・・これでは何もできぬ。だが、逆にゆっくりと思考する時間はあるな。ここには酒もないし、久方ぶりにまともな考察ができそうだ)」
ノーティスは酒におぼれた日々をやや少し悔みながらも、旨い酒もあったななどと下らぬ事を思い出していた。そうして下らぬ事を時間がたっぷりある事を言い訳にして考える中、ふっと足音が響くのを感じた。
ノーティスの視線は固定されており、周りの様子はほとんどわからない。彼の視野に入っているのは、青光りする不思議な鉱石でできた廊下と壁。天井まで細工の施された、古代を思わせるような神殿とでもいうべき建物は、そういえばどこか懐かしいのではないかとノーティスは思うのだ。
だがそんな思考もつかの間、足音の主がゆっくりと影の向こうから現れた。だだっ広いこの神殿では、闇に紛れて壁の端さえも見えはしない。そしてノーティスが久方ぶりに見た生き物は、誰であろう彼を水晶に閉じ込めた人物である。その人物がノーティスの頭の中に直接話しかける。
「(起きているようだな)」
「(貴様は・・・俺を閉じ込めた奴か)」
「(ユグドラシルと呼ばれている。人につけられた名前だからな、好きに呼べばいい)」
ユグドラシルはノーティスの正面に座ると、そのまま瞑想に入った。自分をほとんど無視し何も語ろうとしない男に、ノーティスが苛立つ。
「(おい! 多少は説明をしてもらうか? 貴様は誰で、ここはどこで、何が目的だ?)」
「(・・・五月蠅い竜だ。やはり意識までしっかりと封印しておくべきだったか。意識まで封印させなかったのはさすが真竜と言いたいところだが、質問は一つずつにしろ)」
「(ではまず、貴様は何者だ?)」
ノーティスは目の前に座る少年に尋ねる。姿形こそ少年だが、そのたたずまいは明らかに少年の醸し出すものではない。このように幼生の姿をわざと取る者は、多くは強大な者と相場が決まっている。強者が力を抑える時に、力を抑えるイメージを作ると、たいていは幼い姿形となるからだ。事実、ユグドラシルを相手にして、ノーティスはほとんど抵抗らしい抵抗もできなかった。
ユグドラシルは坐したままノーティスの問いに答える。
「(その問いには答え難い。自分が何者かを定義づけられる者など、いるのか?)」
「(哲学的な問答を期待しているのではない、聞き方を変えよう。お前はオーランゼブルの仲間なのか?)」
「(仲間、という意味では少し違う。志の一部を同じくするが、奴と私の最終的な目的は異なっているだろう。奴の成したいことの延長線上に、私の目的があるという方が正確だな)」
「(志の一部を同じく・・・ならば、魔王を率いて人間を虐殺するのは良しとしているのか?)」
「(荒っぽい方法ではあるが、それが奴の能力で思いつく最上の策だったのだろう。肯定はせんがね)」
ユグドラシルの表情は変わらない。ノーティスもまあ同様ではあったが、瞳はわずかに納得の色となった。
「(最上の策・・・か。これは大きな鍵になりそうだな)」
「(それが理解できる頭脳で何よりだ。低能な者と語らうのは苦痛だからな)」
「(傲慢な物言いだな。何様のつもりだ?)」
「(少なくとも、私は誰よりもこの大地においての考察を積み重ねているよ。その程度の者だ)」
「(・・・古竜か?)」
ノーティスは自らの祖先であった者達を思い出した。古よりこの土地に住まう竜達は既にほとんどが自然へと還っているが、何頭かはまだ交信が可能なはずである。だがノーティスの記憶の中に、ユグドラシルのような者はいないはず。第一、古竜達は今の世の中に干渉しない誓約を交わしたはずである。古い者ほど誓約を重んじる傾向がある。ノーティスは自ら言葉を否定した。
「(いや、違うか。古竜ならばもっとなんというか、こう・・・自然に近しいと言えばいいのか。泰然自若とも違うが)」
「(落ち着きがない、と?)」
「(いや、そういうわけではなく・・・そうだな、古竜達はもっと反応が薄い。彼らの意識は半ば以上霧散しているからな。こんな明確に話し合いができるような相手では、もはやないはずだ)」
「(そうだな。事実、その通りだった。この前古竜達にも会って来たが、誰も彼もろくに話もできなかったな。彼らの意識を揺り起こすにはもっと強い刺激か、あるいは頻回の訪問が必要になるだろう。グウェンドルフも苦戦していたようだったよ)」
飄々とユグドラシルが語った言葉に、ノーティスはぎょっとした。湖中たちが眠る場所は、限られた者しか知らないはず。知っていたとしても、到達困難な場所がほとんどだった。そこに行ってきたと、ユグドラシルはこともなげに言う。
「(古竜に会っただと? 冗談もほどほどにして・・・)」
「(私は冗談は嫌いだ。理解できぬものを受け入れないのは、お前達の悪い癖だ。この世は可能性に満ちていると簡単に口にするくせに、その言葉は自分達が望むものだけに向けられ、都合の悪い方向には口を閉ざす。
この世の中はなんでも起こりうる。そのことを、もっとよく自覚した方がいい。これが第二の助言だ)」
「(なんでも・・・)」
ユグドラシルの正体についてははぐらかされた気がするが、同時にノーティスは大きな手掛かりを得ていた。今まで「ありえない」として考えから排除した可能性。その中から、最悪な物を考える。
その彼を見てユグドラシルはどう思ったか、自らノーティスに助言を与えた。
続く
次回投稿は、12/24(月)7:00です。