表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
呪印の女剣士【書籍化&コミカライズ】  作者: はーみっと
第三幕~その手から零(こぼ)れ落ちるもの~
595/2685

不帰(かえらず)の館、その47~眠らない女~

***


 インソムニアにとって、この館は完璧な鳥籠だった。この館が自分を閉じ込めておくために作られたのは知っていた。だが考え方を帰れば館自身は彼女のために用意されたようなものだし、そうしてくれる父親に彼女は感謝すらしていた。父も母も、使用人もインソムニアに優しいと彼女は思っていた。

 いや、実際のところは違ったのかもしれぬ。父親は館を改造し、深く、到達困難な区画へと娘を追いやった。それは他ならない娘を恐れていたからであるし、彼は館に苦心するふりをして、娘に会わない口実を作っていた。

 また母親も娘が生まれた時から奇異な目で見ていた。それでも自らの娘として育てようと、愛情深く振舞おうとしたが、どうしても娘が得体のしれない怪物に見えてしょうがなかった。そのため、母親の目つきはその行動や言葉とは裏腹に、常に怯えたものであったのだ。得体のしれない恐怖、そして過度の精神的負担は人を徐々におかしくする。インソムニアの母親は徐々に精神を病んでいった。

 また使用人達も、その両親の態度に何も感じないはずがない。それにインソムニアは事実不気味な印象を与える子であったし、誰もかれもが遠巻きにこの少女に接していたのだ。


 インソムニアに何らかの責任はなかったのかもしれぬ。子供というものは、まだ物心もつかぬ頃は何をどうしようということを明確に意識して行動しない。その中で、たとえば気味の悪い虫を口に含んでしまうこともあるかもしれぬ。たまたま手の届く範囲に来た鳥の羽をもいでしまうこともあるやもしれぬ。机を叩いた衝撃が伝わり、たまたま机の下を拭き掃除していたメイドの顏に、熱湯が落ちることがあるやもしれぬ。たまたま、父が癇癪を起して奴隷(あるいは家族と呼んだ使用人)を鞭で打ち据える時に、インソムニアが鞭といった暴力手段を愛と勘違いしたのかもしれぬ。

 全てはたまたまだったのかもしれない。だがインソムニアの周囲はそう考えなかった。あまりに数が多すぎる、と。偶然で片付けるには多くのものが傷つき過ぎていた。


 インソムニアの物心がつくころには、彼女は一人だった。彼女はそれなりの身分の者らしく、誰かに服を着せてもらうこともなければ、両親との楽しい昼過ぎのお茶を経験したこともない。ただ彼女は限られた空間の中にいるように促され、それが彼女の世界の全てだと刷り込まれた。

 だがインソムニアには一つの性質があった。それは、彼女は眠らないということ。生まれてこの方、睡眠というものを欲したことがない。その性質が彼女を余計に不気味たらしめた。彼女は夜泣きもしない代わりに、どれほど乳を飲ませても満足しなかった。またむずがりもしない代わりに、泣きも笑いもしなかった。

 ゆえに彼女は不気味がられたのだが、「眠る必要がない」という彼女の性質は彼女に膨大な時間を与えた。彼女は夜中でも関係なく書籍を読み漁ったし、そのおかげで歳の割に高い教養を自ら身につけた。そして一通り勉強に飽きると、館の者が眠ったのを見計らって外に出るようになった。彼女は与えられた空間以外にも、無限に世界が広がっていることを知っていた。

 知っていてなお、彼女は閉じこもることを選んだ。無限の世界に彼女はとても愛を与える自信はなかったし、博愛主義者のつもりもなかった。彼女は自らの手の届く範囲で愛を知りたかったし、そして愛を広めるよりも深めたかった。そのためには、この閉じた世界というものは非常に都合がよかった。


 そうしてインソムニアは、限られた世界の中でゆっくりと歪んだ愛情という枝を伸ばし始めた。その枝は太く、長く。徐々に周囲の木々も巻き込みながら、際限なく周囲から養分を奪い実をつけていく。やがて実が熟し、果実が腐り落ちる頃には、木の幹は愚か大地までもが腐臭を発するまでに歪みは進行していた。

 インソムニアの愛情表現は度を過ぎ、そのたびに彼女は孤独を深めた。孤独が深まるほどに、彼女の愛情表現は苛烈を極めた。

 インソムニアは地上の屋敷で死んだのではない。一見閉じ込められたように見え、実は隠し通路を密かに作らせ、地下に降りる行為を繰り返していた。一見インソムニアは何年も閉じ込められてから生きていたように思われているが、実際のところいつ死んだかわかっていない。愛情という名の歪んだ拉致監禁を繰り返し記録する中、食事をとることも忘れて熱中し、餓死した。だが餓死してもなお、彼女の行動が止まることはなかった。繰り返される行為の中、やがてインソムニアは自らがなぜこのような行動に出たかを忘れてしまった。ただ行為だけは慣れ親しみ、手際だけがよくなっていった。作業のように繰り返される拷問行為は、進むごとに激しさと残酷さを増し、地下の屋敷からはひっきりなしに悲鳴と苦悶、怨嗟の声が聞こえるようになった。地下からうめくように聞こえる声は、館の住人が眠ろうと地面に頭をつけるとかすかに聞こえる時もあり、やがて館の者達は皆眠れなくなっていった。そしてやっとの思いで眠ると、夢にインソムニアが現れるようになっていったのである。

 これがこの屋敷で起こったことのほぼ全容。インソムニアは自ら死に、全ての使用人を死に至らしめた後もその行為はやむことなく、この屋敷に関わる人間を殺し続けた。その頃には館には関わるなという暗黙の了解が知れ渡る一方で、どうしても物見遊山や好奇心から犠牲者は出続けた。おぞましさは隠匿され、彼女は征伐対象となることもなく、存分にその行為に没頭し、悪霊としての格を高めていった。

 最初に気が付いたのはドゥーム。人の死のにおいをかぎつけた邪鬼は、ただならぬ出来事が繰り返されるこの館の存在に歓喜し、彼女を仲間に迎え入れた。インソムニアはドゥームに屈したわけではないが、館にとらわれ続けた自分を連れまわし、選択に幅を持たせてくれたドゥームを便利だと思いはした。その頃には、既にインソムニアは自由意志を備えた立派な悪霊だった。


 ドゥームはインソムニアにとって、非常に有用な存在であった。ドゥームが抱える闇は深く、インソムニアはその深さと広さに感じるところがないわけではなかったが、美学という点でドゥームは全くインソムニアと趣を別にしていた。その点で、ドゥームに連れまわされた時間というのは見識を広める反面、自らの愛し方を追求するには程遠い時間であった。

 ただ『城』という、自らの屋敷を強化するような手法を与えてくれたのは非常にありがたかった。自らの領域を強化したインソムニアは、またしても自分の世界に没頭しようとした。だが長らくドゥームに連れまわされたせいで、館の恋人達は全員死んでいた。そのためインソムニアは新たに恋人たちを集めようとした。

 だが決定的に欠けていたのは。どうして今まで自分がこれほど好き勝手をしながら事が露見しなかったのかという、その一点に考えがインソムニアは至らなかった。当たり前のように閉ざされた世界で暮らし、当たり前のように好きな男たちを愛し、そして自らの歪んだ愛を追求してきただけの人生。まさか邪魔者がいようなどとは夢にも思わぬ。

 それでも今回、自らの領域に入ってきた者達に対し、インソムニアは上手く立ち回った。もとより自らの掌の上で踊る者達。かつて教養の一つとして読んだ用兵術をもとに、大方の敵は意図通りに動いた。相手の被害は考えたよりも少なかったが、館の中にいる限り自らの危険はない。そう思い込んでいた。

 だが、今目の前で眠る少年だけは違う。意図通りに動いているようで、その実全てを疑い、そしてついには全ての罠をかいくぐってインソムニアの館の中心にまで到達してしまった。この屋敷の中心には、父親ですら入ったことがないというのに。

 それでも部屋が闇に包まれた一瞬の隙に少年を夢の世界に連れ込んだのは、インソムニアにとって幸運だった。インソムニアは自らの元にたどり着いた少年の顔を見るべく、剣と腕を髪で封じた上でその顔をまじまじと見つめた。よく見れば中々愛らしい顔をしている。これは十分に愛でるべき対象なのかもしれない。隣の太った少年はうるさそうだが、もう一人の少年も可愛い声で囀りそうだと考える。そういえば、部屋の外に追い出したがもう一人の少年はさらに美しくなかったか。インソムニアが勝利を確信して、新たな得物へと意識を移した時。

 インソムニアの胸には深々と、ジェイクの剣が突き刺さっていた。インソムニアが自らの胸の違和感に気が付く。


「・・・?」

「油断したな? まだ戦いは終わっていないぞ!」


 ジェイクはそのまま力を込めて剣を真横に引き抜いた。人間が相手なら心臓を輪切りにしている所だが、相手は悪霊である。人間の急所の概念が通用するとは思えない。

 ジェイクはいち早く体にまとわりつく髪を振りほどき、あるいは切り払うと剣を構え直した。同時にラスカルとブルンズの体にまとわりつく髪も切り捨てる。


「起きろ! ラスカル、ブルンズ!」

「う、うあ?」

「んだよ、母様。眠いっての」

「寝ぼけるな! 敵の首領が目の前にいるぞ、援護しろ!」


 ジェイクは2人の覚醒を待たずして、夢と同様にインソムニアに突撃した。だが夢とは違い、今度は段違いに敵の髪の動きが速い。狭い空間で全方位から繰り出される敵の突きに、ジェイクは防戦一方である。

 しかしジェイクは冷静さを失わなかった。インソムニアの攻撃は事実厄介ではあるし、このまま続けられれば捌ききれなくなるだろう。だがインソムニアの攻撃は激しいが、ジェイクには素人のものだということがよくわかった。ラファティほどの激しさもなければ、アルベルトほどの鬼気迫る迫力もない。そしてミリアザールのように、人間離れした強さというのも感じない。

 ジェイクは確信していた。それは勝利ではなく、彼に力を貸す者の存在。



続く

次回投稿は、12/17(月)8:00です。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ