不帰(かえらず)の館、その43~惨禍~
一部気色悪い表現があります。注意。
「ジェイク、なぜ止める?」
「そっちこそ、なぜ切りつけた?」
「突如としてこちらに襲いかかってきたら、当然の反応だ」
「俺は切り捨てるまでもないと思った。生きていれば助けるのは騎士の務めだ」
「甘いな。これが魔術的罠の要素を含んでいたらどうするんだ?」
「その時はその時だ」
「君って奴は・・・」
ドーラが呆れたようにジェイクを見たが、ドーラは切っ先に異様な感触を得て男を振り向いた。男は何事か口をぱくぱくさせながら二人に向かってこようとしているが、当然背中と、剣がめりこんでいる肩口には激痛を感じているはずである。だがそれをものともしないように、彼は突進を止めなかった。剣が肩口に深々と食い込み、血が流れようともこちらに向かってこようとしているのだ。瞳はこちらを見ることはできないのだ。まるで自らに刺さっている剣が頼りだとでもいわんばかりの動きであった。
さしも冷静なドーラもおぞましさを感じたが、剣を抜くどころか、逆に手に力を込めて男の腕を切り飛ばした。男は勢い余って前に崩れて倒れ込み、ドーラはその隙にジェイクを下がらせることができた。男の背中、傷口から血が吹き出るが、男は苦痛に悶えながらもなおも前進しようとする。
既にネリィは立て続けに起こった出来事に気を失いかけており、ラスカルが部屋の外に連れ出していた。ブルンズは腰を抜かしたように扉を背にその場にへたり込んでおり、ドーラとジェイクの二人も場のおぞましさに入り口付近まで後退していた。男がこちらにゆっくりと這いずって来るが、ジェイクは男の歯がない事に気が付いた。そして芋虫のように地面を這いずってきた男は、一つ前進するたびに、背中についた長さの違う鉤がもたらす激痛に身をよじったが、それでも前進を止めることはない。
そしてついに背中の鉤が全て外れると、そこで男の前進は止められた。残った腕と足についた鎖が、男の前進を阻んだのである。ジェイクはようやく地面に置かれた食事の意味に気が付いた。
「鎖の長さ、食事にぎりぎり届かないようになっているのか」
「なんて悪趣味な。目の前に食事があっても食べられないように工夫されている」
二人が嫌悪感を隠さない中、男はなおも前進しようとする。そして腐りかけた残りの手足が、嫌な音を発しながら伸びていく。部屋に残った3人はぎょっとした。
「おい・・・まさか」
「嘘だろ」
目を放すことができない3人の見守る中、男はなおも前進を止めず、ついに足の一本を進むに任せ自ら引きちぎった。元々腐りかけていたのだから千切れるのもやむなしかもしれないが、それでも男がもはや正気でない事はよくわかった。そして食事に到達するのに邪魔な手足も引きちぎると、男は文字通り芋虫のように食事に這いずり、食事にたかる薄気味悪い虫たちと同様にかぶりついた。虫たちが驚いて散り散りになり逃げだすが、そのうちの何体かは男の傷口に逃げ込んだ。それでも男は意に介さず、食事を虫ごとたいらげることを意に介さぬようにむしゃぶりついたのだ。
ブルンズはついに堪え切れなくなり、部屋の外に向けて盛大に吐き出した。ジェイクも同じ気持ちだったが、自らがリーダーだという自覚と、先にブルンズが吐いたことで何とか胃からせりあがるものを飲み込むことに成功した。内心では、剣を取ることを決めてから初めて泣き出したい気持ちにかられていたのだが。
だがドーラは目を背けるでもなく、剣を握り直してジェイクに許可を求めてきた。
「ジェイク、この男に介錯をしてもいいだろうか?」
「え? そう・・・だよな。そういうのも、俺達の役目だよな。でもそれなら俺がやるよ」
「いや、ジェイクはやめておいてくれ。こういうのは、部下がやるべきだ」
「だけど」
「ジェイクの剣はそういう事のためにあるんじゃない。僕は、そう思うよ」
ドーラはそれだけ言い残すと、躊躇わず男の首を刎ねた。ドーラが剣を一振りして収める姿を、ジェイクはただ見守っているだけであった。
ジェイクとドーラは部屋の外に出ると、青ざめた顔をする仲間を落ち着かせ、他の扉も開けて行った。そこには既に白骨化した明らかな遺体や、あるいは先ほどの男と同様に生きている者もわずかながらいたが、30を超える扉を開けたところで、全ての部屋に一体以上の男が収容されていたのだ。そして、扉はまだまだ数多く存在する。
「おい、どこまで続くんだよ。これ全部開けて回るのか?」
「そろそろ疲れてきたわ。魔力もあんまり残っていないし」
「全部男だったね。白骨化したものは骨盤の形からの想像だけど」
「ジェイク、どうする? 全部確認するか?」
「いや・・・もういい」
気のない返事になったのも致し方ない。ジェイクの気力も限界に達しようとしていた。それはそうだろう。周囲も、あるいは当人でさえ勘違いしているのだが、彼はまだ成人にも数年ある少年なのである。度重なる戦闘と緊張の連続に、もうとっくに参っていてもいい頃である。他の仲間も年は同じだったが、彼らにはまだジェイクに対する信頼感があるにしろ、戦っているという自覚が薄いのかもしれない。
だがジェイクは違う。既に魔物を何体もこの手で葬ってきたという自覚と、また一団の長としての責任は彼にも既に実感されている。精神的な疲弊度は仲間よりも強く、その消耗加減はいつもと比較にならなかった。
それでも幼い仲間達はまだジェイクを気遣う余裕はない。ジェイクは気分転換も兼ねて、明りをつけて回ることにした。暗いことで余計に気が滅入ると考えたのもある。今は少しでも希望がほしいとジェイクでさえ思うのが現状だった。
ジェイクは扉の横にある明かり取りに火を入れようとしたが、既に油は古いのか表面に埃が大量に積もっていた。何年でなく、何十年となくここの明かりは使われていないらしい。それなのに生きていた男がいるとはどういうことなのか。疲れた頭では考えがまとまりそうにもないが、とても大切な疑問だというい気がする。
ジェイクは不吉な思いと同時に、何がこの館で起こっていたのかを感じ始めていた。自然その足が速くなり、何かに導かれるように奥へ奥へと歩みを進める。そしてジェイクの前に現れたのは、赤い扉であった。錆びたのか、元々赤いのか。妙に鮮やかな赤色の鉄の扉は、ジェイクの前に姿を現したのだった。
ジェイクは一つ大きめに息を吸い込むと、その扉に手をかけようとする。すると周囲にあった闇が急速に形を成して扉の前に凝集するではないか。
「なんだ?」
「悪霊!?」
「どいて!」
闇が何らかの形をとる前に、ネリィが詠唱を始めて光の魔術を打ちだした。光の魔術は大きな球となり、闇を粉々に打ち砕く。そのまま赤い扉を直撃した光の球は赤い扉の錠に直撃し、錠を壊して弾けて消えた。
ラスカルとブルンズがおお、と歓声を上げる。
「すげえな!」
「ネリィ、いつの間に神聖系の攻撃魔術を覚えたんだ?」
「えへへ。ちょっとだけ、ね」
ブランディオがこっそりとジェイクに攻撃魔術を教えたのだが、ネリィも見よう見真似で横からその手法を盗んだのだ。魔術に詳しい者がいれば驚くべき才能なのだが、幼い彼らにまだその価値はわかっていなかった。
まだ上手く魔術を扱いきれないジェイクはちょっとだけ悔しそうにネリィを見たが、気を取り直すと扉を開けようと手を伸ばす。
その時、扉が一段と重苦しい音を立てて自然と開いたのだ。その音に一瞬だけ盛り上がった熱もすぐに冷め、はっと扉を見る少年達。彼らを中に招き入れるように開いた扉を前に、歩みが止まった。
続く
次回投稿は、12/11(火)8:00です。