不帰(かえらず)の館、その42~狂行の跡~
***
ジェイク達は慎重に螺旋階段を下りて行った。先頭はネリィ、ドーラと続いてジェイク、ブルンズ、ラスカルの順だった。ジェイクを大将と見立てた場合、順当な順序である。ネリィは魔術で足元を照らしながら進むがその闇は深く、ネリィは青い顔をしながら恐る恐る進んでいるのが現状であった。それでも彼女が先頭で進んでいるのは、隣にいるドーラがいることへの安心感と、いくばくかのアルネリアのシスターなのだという責任感であろう。
無限に続くかと思われた螺旋階段も、やがて終着を迎えた。ラスカルがふと見上げると、わずかに入り口から漏れていた光が見える。どうやらそれほど深くは潜っていないようだった。階にして3階ほどか。長く感じたのはそれほどに闇が深く、彼らの不安を煽っていたからかもしれない。
ネリィが魔術の範囲を広げると、光はより強く周囲を照らした。照らし出された道は一つだけ。その先は左右に分かれている。通路自体は灰色のレンガ造りであり、特に変わった印象は与えない。強いて言えば、天井がいやに低い。閉塞感を感じるのは空気のせいだけではあるまい。少年達は地下に入ってから初めて口をきいた。
「で、どっちに進むんだ?」
「迷ったら左、だったか?」
「人間は左右の分かれ道では左を選びたがるそうよ。それを相手が知っていれば、右を正解にするでしょうね」
「じゃあ裏をかくのか?」
「どうだろうね。こんな場面で正解を選び出すことはできないだろう。それよりも」
ドーラはジェイクを見るが、ジェイクは先に見える路よりも壁や天井を見ていた。ジェイクは壁をこんこん、と叩くとおもむろにレンガの一つを押した。すると壁の一部がせり出して階段となり、天井が開いて通路が出現したではないか。
「どっちも正解じゃない。多分どっちに行っても死ぬような罠が仕掛けられている。こっちが正解だと思う」
「得意の勘かい?」
「勘だ」
ジェイクは既に階段を登り始めている。ドーラはしょうがないと言わんばかりにため息をついて階段を登り始め、他の3人は呆気にとられながらその後に続くのであった。
ジェイクが階段を登りきると、そこは左右に鉄の扉がいくつも並んでいる場所だった。扉にはそれぞれ覗き窓がついており、中の様子が覗えるようになっている。赤く錆びついた扉はそれだけで人の不安を煽るが、錆びているということは壊せそうでもある。ジェイクはその扉がいくつあるのか数えるために持ち物の中から松明を取り出し火をつけ始めた。この階には多くの明かりを灯した方がよいと思ったのだ。何の魔術要素もない光でも、闇の生物にとっては耐え難い対象であることもある。
ジェイクが明かりを灯す間、ラスカルはジェイクを手伝い、ネリィは自らの魔術で他の場所を照らしていた。ネリィは松明代わりに灯した明かりを、そこいら中に浮かべて周囲を照らすことができる。ブルンズとドーラはその明かりを頼りに、扉を調べることにした。
「おいドーラ。この扉をなんだと思う?」
「左右対称、重苦しい造り、錠前の頑丈さ。単純に考えて牢屋だろう」
「だよなぁ・・・だけど、こんなところに牢屋? 誰が、何のために?」
「さあね。だけど少なくとも真っ当な奴じゃないだろう。中が見えるかい?」
「どれ」
ブルンズが部屋の中を見ようと覗き窓を開けたところ、そこにはぎょろりとブルンズを睨む血走った目があったのだ。ブルンズはその目と目が突如合い、一瞬凍りつき、そして悲鳴と共に後ろにひっくり返った。
「うおぁ! な、なな。め、めめめ、めっ!」
「ブルンズ、どうした?」
「め、目がっ!」
「何もないが・・・というか、暗闇で何も見えない」
同じ覗き窓からドーラが除きこむが、彼には何も見えていない。ブルンズは真っ青な顔をしながら「そんなバカな」と否定するが、ネリィに呆れられたところで彼はそれ以上何も言わず黙ってしまった。
だがジェイクは気になったのか、その扉の錠を剣で壊し、扉を押し開けた。錆びついた扉はジェイクだけで開けるには重苦しい程だったが、ラスカルとドーラが手伝ってくれた。
開いた扉の先は相変わらずの闇であり、ジェイクが灯したばかりの松明で照らしだすと、そこは人が寝転がれるかどうか程度の幅しかない、狭い部屋だった。深い闇のせいでもっと広い部屋なのかも思っていたが、隣の扉との間隔を考えるとそう幅があるわけではない。だが奥はそれなりに広く、一瞬松明を持ちいれただけでは奥の壁は完全には見えなかったが、人の脚らしきものが浮かびあがったので全員がぎくりとなった。
ドーラが足元を促すと、そこには既に腐りかけた食事が置いてあった。地下に棲む得体のしれない多足類が食事にたかり食い荒らしているのが、何とも生理的に受け付けがたい。ジェイクは気を取り直して奥の壁を照らしだせるように部屋に踏み込むと、そこには鎖につながれた一体の死体があるのだった。
既に体は腐り、腐臭が漂い始めている。部屋の気密性が高いのか、部屋の外からではわからなかった臭いであった。太ももの肉は半ばが削げ落ち、骨が露出している。鎖を外そうともがいたのか、手首、足首から血が滴った後が痛々しかった。
だがそれよりも目をひくのは、体中に施された拷問の後であろう。体中に打ち込まれた釘の数々は、ハリネズミを連想させるほどの量に及ぶ。焼き鏝を入れられたのか肉まで達する火傷の後と、明らかに人為的に剥いだであろう生皮が垂れるさまは、精肉店に並ぶ牛か豚を連想させた。
ネリィはおろかブルンズやラスカルも青ざめる中、ジェイクとドーラは比較的冷静であった。死体を詳しく調べようと、近づいていく。死体から一歩離れた距離で二人は片膝をおろし、死体を改めて照らしだした。項垂れた死体の両目は、縫い付けられた上に釘が打ちつけられている。
「ジェイク、どう見る?」
「どう見ても拷問の後だろう」
「これは誰だ? 誰が、何のためにこんなことを?」
「俺に聞かれてもな」
「それもそうか」
ふっとドーラがジェイクの方を向いて笑ったので、ジェイクは不思議な気分になった。ドーラという少年はジェイクにとって不可解であると同時に興味深くもあった。最初は不快だと思ったが、今はそうでもない。それはジェイクにとって初めて出会う種類の人間であるため、理解しがたかったからだとジェイクは考えるようになっていた。美少年でありながら剣も使い、また勉学はそこそこ以上程度だが何より様々な風俗、伝承に詳しく、その知識はアルネリアの教官も舌を巻くほどだった。芸術を愛し、友人を大切にするこの少年は肝も据わっている。ジェイクは一瞬気が緩んだようにドーラの方を見た。
刹那、反射にも近い反応で二人は剣を抜いていた。ドーラは男に斬りつけるように。ジェイクはドーラの剣を止めるように。だがドーラの剣は止まりきらず、狙いを逸らして男の肩に切っ先がめりこんでいた。二人が剣を抜いたのにはわけがある。死体と思っていた男が動き、ジェイク達に襲いかかろうとしたのだ。だが男の背は壁に鉤のようなもので縫い留められおり、襲いかかろうとするも動きは途中で妨げられたのである。そうでなければ、ドーラの剣は間違いなく男の首を落としていたであろう。
ジェイク、ドーラ共に驚いた顔で互いを見合わせた。
続く
次回投稿は、12/9(日)8:00です。