不帰(かえらず)の館、その41~尽きぬ悪夢~
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「うおおおぉ!」
幻想上のアルベルトとラファティの一騎打ちは続いていた。互いの剣は摩耗し、幾度となく地面に落ちている騎士達の剣に取り換えながら、それでも激闘は続いていた。その様子をブランディオが頬杖を突きながら見ている。
「あ~。勝負あり、やな」
ブランディオのつぶやきと共に、ラファティの剣がアルベルトを袈裟懸けに切り落とした。それでも切りかかろうとするアルベルトだったが、一瞬動きが止まっただけでも勝負を決めるには十分過ぎた。アルベルトが剣を振り上げる間に、ラファティの剣は実にアルベルトを13回斬り付けたのだ。
たまらず崩れ落ちたアルベルトであるが、ラファティは斬り付けたその姿のまま止まっていた。目はアルベルトの目から離れず、その光がなくなるまで構えを崩していない。やがてアルベルトの目から光が消えると、ラファティはゆっくりと構えを解いた。後ろから拍手が上がる。
「見事な残心やで。そないな見事なもん、そうそう見れんわ。まあ、順当な勝利やな」
「途中でアルベルトの大剣が限界を迎えたのがよかった。得物がただの剣なら、こちらが有利になる」
「確かに大剣って戦場で替えがきかんことが多いもんなぁ。その点あんさんの剣は一般的なもんやし、より戦場向けの剣法やな。意識して鍛えたんか?」
「途中からな。私の剣は所詮、一般的にアルネリアを守るためのものだ」
「一般的?」
「小さいことだ。それより、ここから脱出したいがどうすればいい?」
ラファティは剣を治めながら、周囲を見渡す。周囲には死体の山。動く者はもはや何もなかった。ブランディオは悩んだように、顎をさする。
「う~ん・・・無理、やな」
「無理だと? そんなわけがあるか!」
「そう言うてもな、無理なもんは無理や。ワイもぼさっと見てたわけやない、いろいろ試してん。けど、本体の一部であるはずのこの意識すら、あんさんの夢の世界からは回収できひんのや。この空間は完全に閉ざされとる。いわば、精神の牢獄やな」
「ならば、どうすれば?」
「外からの力を借りるしかないやろな~。あるいは敵の本体を叩くか。ここでワイらにできることは、この結界が解けるまで死なないことやろな」
「そんな・・・!」
ラファティが言葉に詰まると、ブランディオが彼の後ろを指さした。ラファティが振り向くと、いっそう驚いた表情になる。まるで心臓が止まった時のような表情をしながら、ラファティがようやく喉から絞り出した声は、掠れて音としてようやく聞こえるかどうかというものだった。
「な、なん・・・で」
「言ったやろ、最悪の相手が出てくるってな。アルベルトで無理なら、次はおのずと知れる。ここはそういう所ってこっちゃ」
彼らの目の前にいるのは、ラファティの妻ベリアーチェだった。彼女は無表情のまま、三又槍をラファティに向けて構えている。ラファティは呆然として立ち尽くすのみだ。
ブランディオは相変わらず後ろから気怠そうに、ラファティに声をかけ続ける。
「さて、今度の相手は格下やけどどうするかな? あんさんなら倒さずに凌ぎ続けることもできるかもしれんけど・・・」
「言われるまでもない! たとえ偽物とはいえ、我が妻を手にかけるなおできるはずもないだろう!」
「それならやることは一つ・・・あ」
ブランディオが全てを語る前に、ラファティは剣を抜いてベリアーチェに突撃していた。応じるように、ベリアーチェも動き出す。ラファティはベリアーチェの動きを止めようと剣を振るい、ベリアーチェは容赦なく魔術を混ぜた攻撃を繰り出している。
だが殺気の無いラファティの剣では、ベリアーチェの動きを止めるのは中々難しそうだった。その戦いを見ながらブランディオはため息をつく。
「だから人の話を最後まで聞けと・・・動きを止めるんやったら手伝おうかって、言おうとしたのにな。ワイにとってはどっちでもええことやけどな。意外に熱い男やな、ラファティのにいちゃんは。
それにしてもこの夢、想像以上に厄介やな。そろそろ動かんと、ワイもヤバいか」
と言いつつも、ブランディオは動かない。ただその場に頬杖をついて、不動の姿勢を決め込むのであった。
***
「ふむ、暇だナ?」
ラファティ達が突入した後、目的の部屋だと思われていた場所でアルネリアの神殿騎士団は床に倒れこむように寝ていた。四半刻以上も前から彼らは眠っているわけだが、少なくとも彼らの中に眠っているつもりの者は一人もいなかった。時折びくんと跳ねる体が、彼らが生きていることを示している。同時に、浮かべる苦悶の表情に苦しんでいることも。
その中において、一人だけ彼らを立って見下ろす者がいる。ヘカトンケイルの隊長格、一つ目の個体だった。
「言われた通りここに来たのはいいガ、全員寝ているではないカ? 寝ている者を相手に、何をしろと言うのカ。退屈だナ・・・」
一つ目の後ろには二体の兵士が控えていたが、合図をして彼らを下がらせた。一応100体近く与えられた部下を連れてきていたが、活躍のさせようもない。
と、いうより、本来ならばここの守備を任ぜられたはずなのだが、一つ目はここに仕掛けられた罠の事に気が付いていた。自分がいない方が上手く罠は発動し、そして防ぐすべはないと。人間であった頃から、この一つ目は非常に勘のいい男だった。
「(人間だった頃からこういう時の勘は外れたことがなイ。なのに権力など手に入れるかラ)」
男は貧しい出自だった。だが持ち前の勘の良さを生かして、彼はのし上がっていった。彼はついに一つの城を手に入れるまでに出世したが、ある日非常に嫌な予感がしたのだ。万全なはずの人生に差した、唐突な影。直感は彼に逃げるように示唆していたが、彼の貧しい人生にとって捨てるには大きすぎる物を彼は得ていた。山のような財宝、多くの美女、かしづく人々、食べきれないほどの食事。結果として彼は一日城を離れることを拒んだだけで、天災のごとき暴力によって叩き伏せられた。
必死で逃げ込んだ宝物庫の中で濁流のごとき崩壊に飲まれ、天から絶え間なく降り注いだ瓦礫をのけて地上にはいずり出る頃、彼の城は跡形もなく崩壊していた。そして頭上には笑う少女と、彼を取り囲む異常なまでの殺気を放つ魔物達。特別な力を持たない男ですら、別格の生き物達なのだとわかってしまった。
少女が男に気が付くと、面白そうに笑う。
(あら、この中を生き延びるなんて運のいい男。どれ、こういうのも素材に使えるのかしら?)
そして伸びる少女の手が巨獣のごとく大きく感じられると、そこから先の男の記憶はなかった。自分の名前も定かではなく、ただ記憶の断片が戻ったのみ。だが一つ目となった男は自覚していた。
「(今はまだ使われる立場だガ、いずれアノーマリーとやらの元から逃げ出してやル。そしてこの体を使っテ、今一度あのブラディマリアとかいう女を殺してヤる・・・)」
具体的な手段は思いつかない。だが、男には体に満ちる今までにない力を試したくてしょうがなかった。体に満ち溢れる生命力は、何でもできそうな期待感を持たせる。一つ目は既に離反を決意していた。だからこそ、自らの勘に従ってわざと役目を放置した。それは確かに正解だったが。
「(暇ダ・・・それに首をいくつか持って帰らねバ、さすがに怪しまれるカ。どレ、眠っている中から適当に首を狩っテ・・・)」
一つ目がぐっすりと眠るアルネリアの神殿騎士団から適当に見繕おうとする。その中に、一人美しい女がいた。ウルティナである。
一つ目はウルティナの髪を掴んで持ち上げると、その顔をじっくりと検分した。
「(ほウ? 中々の器量だナ。そういえば久方ぶりにそういうこともしていなイ。どうせ起きないのだㇱ、殺すくらいなラ)」
一つ目には危機感はない。彼の直感ではまだ危険は察知されていない。一つ目は邪魔な鎧を外そうとして、ぴたりと手を止めた。
「(なんダ・・・違和感があル)」
一つ目は改めて周囲を見渡した。その周囲には何も変わったところはないが、何かがおかしい。一つ目はウルティナを放し、じっくりと周囲を観察した。
「全員折り重なるように倒れていル。部屋に向けて倒れている所を見るト、突入の時に仕掛けられたカ。だがあの僧侶ハ・・・?」
一つ目が見つけたのは、一人だけあらぬ方向を向いて倒れる僧侶、ブランディオであった。一人だけ部屋とは違う、あらぬ方向を見て寝ている僧侶。その手に持っている武器の形も気になる。
「(なんダ、あれハ。棒の先に円・・・錫杖とかいう武器のはずダ。確かあれは先にわっかのようなものが複数ついているはずだガ、一つしか無イ・・・気になるナ)」
一つ目はゆっくりとブランディオの方に歩き出す。そしてブランディオに慎重に近づくと、数歩離れた場所から確かにブランディオが寝息を立てていることを確認する。
「気のせいカ・・・いヤ、わからン。念のため首を刎ねておくとするカ。極力殺すなと命令は受けているのだがナ。オレのように素材に使うつもりだろうガ、一人くらいよかろウ」
そう思い直して剣を抜いた一つ目がブランディオに近づいた瞬間、一つ目は右腕が軽くなるのを感じた。
「・・・ア?」
一つ目は自分の右腕がなくなっているのを確認するのと同時に、自らの体が八つ裂きにされるのを理解した。崩れる目線の先に見えたのは、複数の遊環が空中を舞っている光景。ブランディオの意識のないまま空中を飛ぶ遊環はそれぞれが錫杖の先に収まると、同時にブランディオも目を覚ます。
「あ~、よう寝た。あ、やっぱりそう来たか」
ブランディオは八つ裂きになって床に転がる一つ目を見下ろしながら笑っている。一つ目は状況が理解できず、混乱していた。
「なぜダ・・・眠っていなかったのカ?」
「いや、正真正銘ぐっすり眠ってたわ。あの眠りはこの館の主がその気になったら、回避は不可能や。実際ワイも抵抗するとかそんな暇もなく眠らされた。やけど、瞬間的に眠るのだけは避けられた。一瞬あれば、仕掛けをするには十分や。もっともこれはワイが眠る時によう仕掛ける罠なんやけどな。錫杖が揺れると、外に仕掛けた遊環が戻ってくるっちゅう仕組みや。そんで遊環の中に分割した意識を仕掛けておくと、目覚めるっちゅう寸法やな」
「グ・・・俺の勘が働かないとハ・・・」
一つ目が意識を失いかける最中吐いた言葉に、ブランディオは一つ目の頭部を足蹴にして吐き捨てるように言い捨てる。
「は? お前馬鹿と違うか? 勘なんぞに頼って命のやり取りなんぞ、できるわけないやろが? 戦いに必要なんは生き残るための準備と実行力。確かに経験に裏打ちされる勘も重要かもしれんが、不確定要素の多い勘なんぞに頼って命のやり取りができるか、ボケ! 大体そんな考えやから・・・あ、しもた」
ブランディオがさらに言いたいことを言おうとしたが、どうやら強く踏みつけすぎたようだ。完全にとどめを刺してしまっている。ブランディオはあちゃあ、と言いたげに顔を手で覆い天を仰ぐが、彼にとって相手の生死はさほど重要ではなかった。なぜならば。
「まあ死んでてもええわ、記憶は嘘をつかんからな。ちょいとのぞかせてもらいまっせ」
ブランディオは記憶を読み取る能力も持つ。ブランディオが唯一の生き残りである元少年から記憶を引き出したからこそ、彼は他人よりも余裕を持ってこの城に踏み込みこんでいる。少年の記憶では、この部屋までの道順はなんとなく記憶されていた。そして少年の見た、おぞましい敵の姿も。
だがそのブランディオをもってしても、ここが罠だとは気付かなかった。なのにこの罠を看破したジェイク。ブランディオの興味は尽きない。
もっとも、ジェイクの能力の見当も、ブランディオにはおおよそついてはいるのだが。ブランディオは一つ目の記憶を垣間見る。
「うーむ、やっぱり頭を壊すと記憶も曖昧やな・・・ふんふん、やっぱり新しい工房があるかい。これで20個目、と」
ブランディオは懐の紙に何かしらを記していく。それはアノーマリーの魔王生産工房。彼が魔王を狩り、あるいはヘカトンケイルを倒した先でその能力を使って収集した敵の情報である。
だがわからないこともある。それは魔王の地上までの移動手段。魔王達はひとところに集められて転移させられているのだが、その直後地上にでているのだ。転移先は予め魔方陣などで指定できるが、これほど大質量かつ大量の魔王やヘカトンケイルを転移する魔力はどこから供給されているのか。いかにオーランゼブルが強大といえど、それほどの魔力は手に入らないだろう。
そして肝心の情報もない。魔王やヘカトンケイルはほとんどがアノーマリーと、その助手にいる三頭頭の魔物の記憶しかなく、その他の情報がほとんどないのだ。今回もしかり。ヘカトンケイルに関しては生まれてからここに送られるまでの情報がほとんどない。
ただ一つ気にかかるのは、彼らはドゥームと呼ばれる悪霊を見ていること。そこにはアルネリア襲撃時に確認された他の悪霊もおり、敵の戦力はもっと充実しているはずだった。なのに仕掛けてきていない。
「まあ革命的な情報はないわなぁ・・・やけど、ひょっとすると今回の襲撃は敵さんも戸惑っている・・・? したら、これ以上の増援はないっちゅうことか。なんで今回の襲撃は相手の裏をかけた? いや、裏をかいていないが、敵にとってもどうでもええんか? ようわからんな、まだ曖昧なことが多すぎる」
ブランディオはしばらくぶつぶつと呟いていたが、一つため息を大きくつくと、目線を鋭く変えた。
「それはさておき、いつまでもぼやぼやしとる場合ちゃうか。これはワイも敵さんの本拠地に乗り込まんとあかんかもな。ジェイクの坊主に仕留められる前に、こっちが敵を確保する必要がありそうや。もう雑魚からの情報収集も限界やし。ちょいと大物を捕まえに行きますか。
と、その前に。こいつの仲間を全部処分しておかんとな」
ブランディオは懐から数珠を取り出すと、手首に下げて大股に歩き始めた。そこには今までの軽薄な僧侶の面影はなく、どこか威厳すら漂わせるような足取りが感じられるのであった。
続く
次回投稿は、12/7(金)9:00です。