不帰(かえらず)の館、その28~悪霊の時間~
「ラファティ様、外が!」
「どうした?」
「夜の時間になります!」
外にいる騎士達が見たのは、今まで厚い雲による暗がりでありながらもまだ一条の光は差していたのだが、それらが全く断たれていく光景だった。希望がついえるように光が閉ざされ、あたりは暗闇に包まれた。不安を振り払うようにシスターや僧侶達が光を灯すような魔術を唱え、部屋の中にいる者達もろうそくに火を点けて明りを増やした。
「逢魔が時、ですね」
「嫌な気配しかしないな。一度ランブレスと執事を止めるか?」
「無駄だと思いますけど」
ラーナは険しい表情で次第にその姿を現す扉を見据えた。ラファティは騎士の一人に銘じてランブレスと執事を止めるように促したが、彼らは騎士が肩を掴んでもまるで意に介さず作業を続けた。騎士の制止を振り切るその異常なまでの力に、騎士はたまらず後ろに尻もちをついたのだった。
「ラーナ殿」
「ええ・・・ゆるゆると撤退しましょう。ここにいてはまずそうです」
ラファティとラーナがそう言ったのも無理はない。既に瘴気とでもいうべき異質な気配は扉から溢れ出ており、徐々に可視化できるほどの濃度となっていた。黒い霧のような瘴気に包まれながら、ランブレスと執事はそれでも作業を続けている。
ラファティと騎士達は少しずつ後ずさりをしながら、部屋の入口に近づいて行った。彼らの全員が、異常事態に危機感を募らせていたのだ。敵の正体や真実の究明も大切だが、それ以上に身の安全が優先であった。どうやらこの部屋にいては、達成できそうもない。
だが全てを見届けようとラファティとラーナが部屋の中央で踏みとどまっていると、ランブレスと執事の作業はついに終わりを迎えたようだった。むき出しになった扉。そこには簡単に閂がかけられているだけであり、一見何の変哲もない扉であった。壁に急増で取り付けられたであろう扉は不格好であったが、縁から漏れ出るどす黒い瘴気は、その扉を十二分に威圧感を持つ存在たらしめていた。
「旦那様、開けますよ?」
「無論だ。娘を供養してやろう」
そう言ったランブレスの口調には強い使命感のようなものが感じられたが、ラファティは心の中で開けてくれるなと、強く念じざるをえなかった。そして扉はその威圧感と裏腹にいとも簡単に開け放たれたが、その瞬間ランブレスの体はくの字に折れ曲がるようにして扉の先へと引き込まれた。
そして中からはランブレスのこの世の物とも思えぬ悲鳴と、骨が砕かれる音が聞こえてきた。執事は一瞬の出来事にその場に立ち尽くしていたが、ランブレスの悲鳴が途絶えると、我に返って一目散に背を向け逃げ出そうとした。
だがそれは叶わず、執事は闇から伸びてきた黒い物体に足を掴まれ、抵抗もむなしく引きずられていった。一瞬黒い塊は人の手にも見えなくはなかったが、一瞬の出来事であり確認するどころではなかった。そして執事が何とかして抵抗しようとした跡として、地面に引っ掻いた跡が残ったのだ。執事が抵抗もむなしく引きずられてゆく様をラファティとラーナは見守っていたが、それも過ぎて執事の悲鳴が途切れると、ラーナがぼそりと呟いた。
「・・・で、どうされます?」
「どう、とは」
「あの先に行きますか? 隠し扉の先に」
「いや、できればまたの機会にしたいものだな」
「そうですね・・・私も少し侮っていました。あそこに踏み込むには用意が足りません。もっと準備が必要になります」
「私もそう思う。これは聖騎士だからどうこう、というわけにはいかなさそうだ。相手の力量を読み違えた。これは第四位などではありえない。第五位の、しかも最強級の悪霊だ。私もここまでの相手はしたことがない」
「では一時撤退を。来ます!」
ラーナが告げた瞬間、開け放たれた扉の向こうから、黒い物体が迫ってきた。ランブレスと執事を連れて行ったその黒い塊は、どうやら人の手の形をした髪の毛であるらしかった。
ラファティとラーナが自分達にがさがさと迫る髪を見ると、髪のうごきははたと止まった。その瞬間、ラファティとラーナは反転して全力で部屋の外に向けて走り出す。後ろからはおそらく髪が追ってきているのだろうが、二人にはそんなことを気に留める余裕もない。部屋の外には仲間の騎士達が早く来いと叫ぶ姿が見えていた。
ラファティはラーナの首根っこを掴むと、そのまま脇に抱えて外に転げるように出た。そして同時に騎士達が部屋の扉を閉めると、扉には何かが体当たりしたように衝撃が走り、いくらか扉を変形させて止まったのである。
扉を押さえる騎士ともども、一同は安堵するように息を吐きだした。
「今のが、この『城』の主?」
「馬鹿な、とても第四位とは思えない。堂々と物理攻撃と追跡を行ったぞ? 自我があるんじゃないのか?」
「情報が間違っていたのか?」
「いや、報告したのは最高教主が派遣した者だぞ? そんなことはありえない」
「だがよく考えれば、『城』を展開できる段階で普通の悪霊でないことはわかっていたはずだ。そう考えれば、第四位と聞いた段階でもっと疑っておくべきだったのでは?」
「そうは言うが、しかし・・・」
「落ち着け!」
言い争いを始めた騎士達を、ラファティが一喝する。ぴたりとやんだ言い合いに、今度はラファティが落ち着いた声を出す。
「いいか、まず現状を考えろ。この敵は強力だ。倒すには準備が要る。相手が第五位と想定して、この人員でできる限りのことをする。仲間との合流はあてにするな。すぐにとりかかるぞ!」
「あ、隊長・・・」
ラファティが号令をかけたが、騎士の一人が扉を指さした。その扉を閉めた時に背にするようにして騎士の一人が押さえていたが、扉の隙間からは髪の毛が少しずつ這い出ていたのだ。扉を押さえる騎士は気が付かずに、扉を背にしたままである。
「? みんな、なぜこっちを見て・・・」
「逃げろ!」
だが仲間の叫びもむなしく、騎士は扉を離れる前に髪につかまり、全身を締め上げられた。髪の毛は騎士の口や鼻を覆いつくし、窒息させながら騎士を捻りあげる。完全武装した騎士の重量を持ち上げる髪。騎士は悲鳴を上げることもできずに、仲間の見ている前で全身を雑巾のようにひねりつぶされた。
「タールズ!」
「悪霊め!」
武器に聖別を施した騎士達が髪の毛を切り飛ばさんと切りかかったが、髪の毛は非常に硬く、中々斬れなかった。そして締め上げられた騎士が絶命すると、髪は再び部屋の中にするすると撤退したのである。
部屋の外に残されたのは、文字通り千切れた騎士の死体のみ。ラファティ達は呆然としながらも、騎士の亡きがらに布をかけ、悪霊として復活しないように彼の体を魔術で清めた。もはや誰も一言も発しない。なんとしてでも部屋の中にいる悪霊を倒さねばならないと、誰もが強く感じていた。
「ラーナ殿、この部屋に再び侵入して無事でいられると思いますか?」
「それはなんとも。ですが相応の準備が必要ですね。武器だけでなく、防具にまで聖別を施す必要があるでしょう。外からこの部屋を聖化する処置も必要かもしれません。あの髪は闇の力の施しを受けています。いかに聖別した剣でも、そうそう傷つけることはできないでしょう。人間の髪というものは存外丈夫ですからね」
「確かに。あの髪をなんとかしないことにはどうしようもない。敵の拠点は割れたのですから、ここからはじっくりと攻め込むことにしましょう。
ここに拠点を築くぞ! 準備をしろ!」
「「「はっ!」」」
ラファティの号令で騎士達は再び本来の動きを取り戻したが、ラーナはいまだ不安を覚えていた。そもそもなぜここに相手は我々を誘導したのか、その意図がわからないのだ。本来、城という魔術の起動拠点を自分から晒すなどなんの利益もないはずなのに。
ラーナは得体のしれない敵を前に、不安を募らせる一方であった。
続く
次回投稿は、11/17(土)10:00になります。