不帰(かえらず)の館、その17~混乱~
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「おい、副長達の姿が消えたぞ!?」
「どうなっている?」
「また別の光景が映っているぞ?」
裂け目はリサがくぐった直後にその光景を歪め、全く別の光景を映し出した。どうやらさきほどはたまたま廊下らしき光景を映していたが、今回は全く別の、地下室とでもいうべき薄暗い部屋が中には展開されていた。不安を煽るその光景に、さしもの神殿騎士達にも動揺が見られる。
残された騎士達はそれぞれざわめいたが、それはジェイク達とて同じであった。
「・・・だから言ったのに」
ジェイクは自分の勘が当たったことに、言いようのない不安を覚えていた。この館はおかしいことは誰でもわかる。だがどうおかしいか、その真実に一番近いのは自分のような気がするのだ。
昔からジェイクはそうだった。争ってはならない場面、あるいは戦った方が良い場面。それぞれに見極めでジェイクは外した記憶がほとんどない。特に最近戦場で命のやりとりを経験してから、さらにその直感が冴えているような気がする。
だがこの場面ではジェイクがわめいてもどうしようもなかった。彼はまだ何も発言力を持たない子供でしかない。ジェイクが早く一人前になりたいと願ったのは、人生で二回目であった。
「ジェイク、どうするんだよ!」
ジェイクに声をかけてきたのはブルンズであった。本来なら後方支援に徹するべき彼であり、突入地点に拠点を築いての防衛が任務となるはずだった。だが指揮官に続いて副指揮官まで失ったのでは、もはやここに拠点を築く意味は甚だ疑問である。
予定になかった混乱に、実践が初めてのブルンズは完全に恐慌に陥っていた。
「ラファティ様に続いてアリスト副長までいなくなったぞ!? 俺達はこれからどうしたらいいんだ?」
「落ち着けブルンズ。ジェイクに詰め寄ってもしょうがない」
「これが落ち着いていられるか! ラスカル、なんでお前はそんなに冷静なんだ?」
「ジェイクが焦ってないからさ。それに全員で焦っても良い解決方法は見つからない。騎士の心構えについての授業を忘れたのか? 騎士ってのは守るのが本分だろう。俺達は剣を持って抵抗できるが、シスターなんかの非戦闘員は俺たちが崩れた瞬間に運命が決まる。今回俺達は準非戦闘員だが、いくら生徒とはいえ俺達騎士が冷静さを欠いたら終わりだぜ」
ラスカルの言葉に、ブルンズは狼狽えていた自分を恥じた。当のラスカルとて内心は穏やかではない。ジェイクが冷静を保っているからこそ、そしてブルンズが自分より慌てているからこそ、これだけ冷静な物言いができたのである。できることならば、ラスカルとて混沌としたこの状況に文句の一つも言いたいところである。
その彼らのやり取りを、ネリィが冷ややかに見つめていた。
「ブルンズは図体だけでとんだ小心者ね。ちょっとはドーラ様を見習いなさいよ」
「うるせぇ! ちょっと焦っただけだ! それにドーラの野郎も落ち着き過ぎだぜ。お前、なんでそんなに落ち着いていられるんだ?」
「う~ん、僕はそれなりに怖い場面に遭遇してきたからね。籍を置いていた芸人の一座が山賊や魔物に襲われる、なんて割とある話だったし」
にこにことしてドーラは話すが、決して生易しい経験ではないはずだった。その笑顔の下には確かな強さがあるのだろうと、ジェイクは納得した。それにしてもまるで慌てないその様は、もっと修羅場を多数潜り抜けているのではないかと、ジェイクは内心では考えていた。
そしてそうこうするうちに、張りのある声が神殿騎士達を一括する。
「落ち着きなさい、皆の者」
声の主はベリアーチェだった。彼女はラファティの補佐であったが、戦闘では後方を支援するため殿に近い位置にいたのだ。そのため、まだここに残されていたのである。
彼女は一つ声の調子を落とすと、今度は静かに言い聞かせるように言葉を続けた。
「本来であれば私のような者があなたがたの指揮を執る資格はないのでしょうが、ここはあえて言わせて頂きます。
いいですか、まだ先に行った者達に危機が迫っていると決まったわけではありません。それよりも今、どのような対応をするのかが先決です。そうでなければ神殿騎士として恥ずかしいとは思いませんか?
我々は神殿騎士団の本隊です。同時に我々の敗北があればアルネリア教会の信頼は失墜し、400年築いた伝統と誇りが失われることをそれぞれ肝に銘じて行動することです」
ベリアーチェは神殿騎士団でもなんでもない。ただ彼女は不幸な事故でアルネリア教会に拾われ、そして縁あってラファティの妻となった人魚だが、深緑宮で過ごすうちに彼女にも夫の仕事がどういうものか。ひいては彼が属するアルネリアが何を守ろうと長年戦ったきたのか、その信ずるところを理解するようになっていたのだ。
ベリアーチェに諭されたことで、騎士達の顔が変わる。彼らが本来の使命感と冷静さを取り戻した時、ジェイクの背筋にはちりちりとした嫌な感覚が立ち込めたのだ。ジェイクは反射的に剣を抜いて構えた。まだ敵が見えているわけではないのだが。
「どうした?」
騎士の一人が、ジェイクが抜剣したことに気が付き声をかける。ジェイクは構わずあたりの様子を探った。
「いえ・・・妙な空気を感じたので」
「妙とは?」
「人の殺気というよりは・・・なんだろう。実体のない殺気とでもいうべきでしょうか。一瞬ですが、そこらじゅうに感じました」
「我々は何も感じなかったが・・・?」
騎士は首を捻ったが、ジェイクは自分の直感を信じていた。気のせいではない。周囲には確かに何かがいるのだ。ジェイクの出会ったことのない、何かが。
そのうち、残っていたシスターの一人が何かに気が付いたように周囲を確認し始めた。そのシスターは背後にある庭園の木を見つめると、魔術の詠唱を始めたのだった。
【聖なる魂よ、我の信仰に応えて闇を照らせ】
≪聖光≫
シスターの使った術は非常に簡易な魔術である。例えば闇の中、明りを灯すのに用いる程度の使い方ができるほどに。ただし闇の生物や、光を極度に嫌う生き物には攻撃魔術にもなりうる。シスターが魔術を使ったことで何事かと全員の注目が集まったが、シスターの放った光の球が木の間ではじけた瞬間、彼女の懸念とジェイクが感じた殺気の正体が明らかになったのだ。
続く
次回投稿は、10/28(日)11:00です。