不帰(かえらず)の館、その16~裂け目~
「なんだ、あれは?」
「空間の歪みにございます。あれに飲み込まれると、どこに飛ばされるかわかりません。この館のどこかなのは間違いないでしょうが、それがここなのか、あるいはどこかの部屋なのか・・・はたまた壁の中である可能性もあります」
「壁の中、だと?」
「はい。壁に並ぶ彫像のうち、やたらに並びが不規則だったり、あるいは一部しかないものがあるでしょう? たとえば二階への階段が二ツに分かれる壁にある手は、元は館になかった物にございます。つまり・・・」
「歪みに飲み込まれ、壁の中に飛ばされたというのか」
「その通りにございます」
執事はまたしても恭しく礼をしたが、今度はその仕草にうすら寒い物を感じるラファティである。もし執事の言うことが事実であれば、一刻も早くここを離れなくてはならない。歪みの進行速度は速くはなかったが、既にここバルコニーに迫ろうとしていたのだ。
「わかった。とりあえずお前に言うことに従おう。ランブレスの元に案内してくれ」
「承りましてございます」
執事はラファティ達を促すように歩き始めた。ラファティ達は背後に迫る歪みを見ながら、その場を足早に去っていったのである。
***
「ここから入れそうですね」
「ええ、そのようです」
扉型の魔物から聞き出した入り口の前には、リサとアリストが立っていた。入り口と言うのには語弊がある。そこは館にできた亀裂であった。丁度人一人が通れるくらいの裂け目。周囲にひびのない壁に突如として出現したその裂け目はまるでぽっかりとあいた肉食獣の口のようでもあり、そして館の中は余程薄暗いのか、裂け目から向こうの様子ははっきりと見えない。
アリストは裂け目の中に松明を一つ投げ入れると、とりあえずの安全を確認して全員に指示を出す。
「全員いるな!?」
「はい、つつがなく準備を整えております」
アリストに一番近い騎士が答える。その様子を見て、アリストは副官として十分に信頼を得ている騎士だとリサは判断した。伊達にラファティの副官をしているわけではないらしい。
アリストは順次騎士達を裂け目から突入させると、自分もまた半程で裂け目の中に入っていった。その直後にリサが続こうとして、ジェイクがその手をつかんだ。
「リサ姉、ちょっと待って」
「なんです? 坊やは寂しくなりましたか?」
不安そうなジェイクを見てリサがからかったので、ジェイクは顔を赤らめて反論した。
「嫌な予感がするんだ。ここには入らない方がいい」
「とはいいましても、虎穴にいらずんばククスを得ずともいいますしね」
「そんな諺ないだろ! 冗談抜きで、ここはヤバい予感がするんだよ!」
ジェイクの必死の形相にリサはただならぬ事態を感じたが、リサの危機感知能力には何も引っかからない。嫌な予感は常にしているが、それはこの館のどこに行っても同じだとリサは感じていた。
「ジェイク、ここは既に敵陣。危険なのはどこも一緒です。ならば我々は少しでも前へ。違いますか?」
「それはそうかもしれないけど・・・」
「私は傭兵です。傭兵とは命を金で買われる者。誇りまで捨てる気はリサにはありませんが、それゆえに臆病だとも思われたくないものです。ましてこういった状況では、私のようなセンサーの是非が全体の行く末に関わります。リサがしり込みしては、救われる命も救えないのですよ?
それに何かあれば、貴方が守ってくれるのでしょう?」
リサがにこりとほほ笑むと、ジェイクは当然だと言わんばかりに胸を張った。
「当然だろ! 何を言って・・・!」
「ならば、私に不安は何もありません。ただひたすらに、突き進むのみです」
リサはそれだけ言うと、くるりとジェイクに背を向けて館の中に入っていった。ジェイクは呆気にとられた。どうしてリサがそれほど誇らしげに、そして何の不安もなさそうに振舞えるのかは、まだジェイクにはわからない。
リサはジェイクに対する信頼故、またジェイクのために少しでも精神的負担にならないようにするためあえて強気に振舞っているのだが、同時に自身のセンサーとしての自信もある。
リサは館の中に入るとセンサーをめぐらせ、先に入ったアリストに報告に行く。
「アリストさん、周囲に敵はいないようです。もっともセンサーの距離もせいぜい廊下の先まで程度なので、どこまで当てになるやらわかりませんが」
「そうですか。ところで、貴女で最後ではないですよね?」
「は? それはそうですが・・・」
リサはそこまで言ってから、先ほどの裂け目が既に別の光景を映していることに気が付いた。なんということはない。先ほどまであった道は、もう先ほどの場所につながっていないのである。
「しまった、やられた」
リサが悔やんだ時には、もう既に遅かったのであった。
続く
次回投稿は、10/26(金)12:00です。