不帰(かえらず)の館、その12~監視する者~
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それら一連のアルネリアの行動を、館の上から見守っていた者がいる。彼は姿を隠しもせずに館の上から眺めていたのだが、リサやジェイクをもってしても気づかれる心配はなかった。『城』の中にあるこの館は見た目の上では何もなくとも、外界とは完全に隔離された完全なる異空間なのである。結界の外から見える世界とは、まるで異なるのだ。ゆえに結界の中からならばともかく、外から見られる、気づかれる道理というものはないのであった。
館の上から眺めるのはドゥーム。彼は館に攻め込んできた人間達を見て、ひそかな喜びを覚えると同時にうんざりとする気分だった。
「よくよくもボクは彼らと縁があるんだねぇ。リサちゃん、それにジェイクの糞餓鬼・・・わざわざこちらの領域に入ってきた彼らを普段なら全力を挙げて歓迎するところだけど、今はまだ時が満ちていない・・・こうなるとインソムニアをこの館で待機させたのは失敗だったな。今更この館が気づかれるなんて。さて、どうするかなぁ」
この館はドゥームの部下である、インソムニアの『城』である。ドゥームの部下の中で最も早く『城』を完成させた彼女は、ここで人知れることなく命の搾取を繰り返していた。インソムニアは大喰らいではない。ゆえにこんなアルネリアに近い場所に居を構えながらも、今まで目をつけてこられなかった。正確に言えば、ドゥームとしては目をつけられようが目をつけられまいが、どちらでもよかったのである。
その前に少しインソムニアの事を話そう。この館は生前のインソムニアが住んでいた場所でもあり、最も力が発揮できる場所である。インソムニアに限っていえば、この土地を離れる意義は全くなかった。この館に住まっている地縛霊である彼女を見出し、この土地から連れ出したのはドゥームである。だからドゥームが用の無い限り、インソムニアはこの土地から離れる必要がない。インソムニアがこの館にいながら長らくアルネリアの征伐を免れていたのは、彼女があまり目立った行動をしなかったのと、町ぐるみでこの恥ずべき失踪事件を隠したからである。町からの訴えがなければ、アルネリアは積極的に動かないのだ。
そしてドゥームにとってここがアルネリアに発見されてもよい理由とは。一つには絶対の自信。アルネリア教会にばれたところで、そうそう簡単に浄化されはしないという自負があった。一つには自分の後ろにいる者の影響力である。仮にアルネリアがインソムニアを追い詰めたとしても、後ろにオーランゼブルがいることを示せば、アルネリアは引かざるをないと彼は考えていた。もしなんらかの間違いでアルネリアがインソムニアを消滅させようものなら、ドゥームはそれを口実にアルネリアと本格的な戦端を開いてもいいとさえ考えている。またもう一つの理由とは、ドゥーム自身がインソムニアの事をどうでもいいと考えているのだ。仲間にしたものの別段インソムニアに愛着があるわけではないし、共に悪霊として暴れられる一体ではあるものの、自分についてこれないならそれまでの存在だったと、ドゥームは本気で考えているのである。
だが今インソムニアが見つかるのは、あまり時期がよくなかった。ドゥームにはオーランゼブルから言い渡された仕事の他に、まだやるべき準備がある。そのためには自らが自由に動かせる手駒はまだ失いたくなかった。自分の命令をほぼ無条件で聞く手駒が一つ減るのは、現時点で非常に痛い。それにリサとジェイクをもてなす時に、ドゥームは一計を案じていた。その計画は、ここでは成立しないのだ。ドゥームは悩んでいた。インソムニアはどうでもいいが、まさかアルネリアに肩入れするわけにもいかない。だがしかしリサとジェイクをここで始末させたくはない。それに先の展開が読めないうちに自分がここで出張っていくのは芸がない。
ラファティ達が館に踏み込もうとするその刹那にもまだ決断ができないのは、ドゥームにとっても珍しいことではあったが、結論はドゥームではなく別の存在によってもたらされた。
「ドゥーム、邪魔をするぞ」
「へ? 誰?」
ドゥームは驚いた。まだインソムニアの『城』は起動中であり、ここには彼女が許可した存在以外入ることはできない。それを音もなく入ってくることなど、不可能だとドゥームは思っていたのだが。
ドゥームの後ろに立っていたのは、同じくらいの背格好の少年だった。
「えーと・・・誰だっけ?」
「ユグドラシルだ、ちゃんと覚えておくことだ」
覚えておくも何も、いつ自己紹介されたかも定かではない。もしかすると何らかの折に触れて自己紹介されたかもしれないが、ドゥームは基本的に男の名前と顔はどうでもよかった。適当に流しながら、『城』の中に音もなく侵入してきたその手段の方が、余程ドゥームには気になるのだった。
一方ユグドラシルもまたドゥームには興味がない。少なくとも現段階では、ドゥームに関わっても意味がないのだ。さっさと用事を済ませるべく、つけつけとドゥームに言い放った。
「用件だけ手短に言おう。今回の戦い、手を出すな。いかなる結果になろうともだ」
「へえ? なんで勝手に僕に命令しているのさ? キミ、何様のつもり?」
「何様でもない。いや、私は何者ですらない」
「?」
ユグドラシルの変わった言い回しに一瞬気を引かれたドゥームだが、ユグドラシルはドゥームに質問される暇を与えなかった。
「これはオーランゼブルの命令だ。とかく暴走しがちなお前だからな、今回の件も決して手を出すなとのお達しだ。ここにはアルフィリースの仲間がいる。彼らに危害が及べば、協定を破ることになるからな。まだグウェンドルフと事を構えたくはないそうだ。機はいまだ熟していない」
「ちょっと待ちなよ。なんでオーランゼブルはここにアルネリアの連中が来ることを知っているのさ。ボクだって最近知ったし、まだ誰にも言ってないのにさ。それに、アルネリアはどうやってここにボクがいることを知ることができるのさ。全滅させたら誰もわかりゃしないって」
「・・・後半の問いにのみ答えてやろう。その場で起きた出来事というのは、周辺の物体にすら記憶される。人を消せばすべての証拠が消えるわけではないのだ。魔術を使えば、誰が何をどうしたかまで探ることが可能となる。さして魔術を使わないお前にはわからんかもしれんがな。
それにここにお前がいるのは、もう既にアルネリアに気が付かれている」
「誰に、どうやって?」
ユグドラシルは目線を、アルネリアがあるはずの方角にやった。
「・・・お前は知らんかもしれんがな、この大陸にはグウェンドルフよりも恐るべき相手がいる。その実力もさることながら、能力が厄介だ。『千里眼』といってな。居ながらにしてこの大陸の出来事全てを知ることができる能力だ。お前が何をしようと、相手は知ることができるだろう」
「ちょ、ちょっと待ちなよ。それじゃ何をしてもこっちの行動は筒抜けってこと? それじゃ作戦も何もあったもんじゃない! だいたいそんな相手がいるのなら、今までこちらが上手くいってるのは何なのさ!?」
「千里眼は神のごとき能力だが、視点は一つだけだ。オーランゼブルも彼の者の能力を知っているからこそ、自分の意にだけ沿うような部下を人知れず集めたのだ。もっとも全員がそうではなくなってきているようだがな」
「・・・何のことだい?」
ドゥームは洗脳が解かれたことを知られたのかと一瞬どきりとしたが、そんなドゥームの内心すらユグドラシルは知っているかのようだった。
「あくまでとぼけるか。だがそれでいい。むしろその方がいいだろう」
「・・・? キミはいったい、何を考えている?」
「それをお前が知る必要はない。私が何を思うのかを知る者は、この大陸には誰一人いはしないのだ。今までも、そしてこれからも」
ユグドラシルの体がゆらり、と消えかかる。
「おい! ちょっと待・・・」
「確かに伝えたぞ。それに新型の魔王の実験をアノーマリーから頼まれている。なんでも局地戦専用の型だそうだ。運用方法は任せるとのことだった。
ちなみに私が教えた事を聞いてどうするかは、結局お前次第だが・・・」
ドゥームがまだ何も言わぬうちに、ユグドラシルは姿を消した。そして残されたドゥームは苛立ちを隠しきれず、館の煙突を殴った。
「なんなんだ、あの野郎!? だが奴の言うことにも一理あるし、それならそれでやりようがある・・・よし、今回の方向性は絞れたな。ならば」
ドゥームの切り替えは早かった。彼は新たなる策を練るべく、その姿を消したのだった。
続く
次回投稿は、10/18(木)12:00です。