不帰(かえらず)の館、その4~歴史を知る二人~
「ミリアザール。お主、今の気分はどうかえ?」
「どうとは?」
「この童が、かつてのおぬしの夫と同じ道を歩んでいることについてじゃよ。この先、この少年がどのような結末を辿るか・・・想像がつこうが?」
シュテルヴェーゼの言葉はミリアザールの胸に刺さる。ミリアザールは少し長く息を吐きだし、自分の動揺を抑えた。
「確かに悲しいです。最強など、所詮幻想にすぎぬとゆうのに。最強であるためんいいかほどの対価を支払わねばならぬのか、知ってさえいれば誰も最強など目指さぬでしょう。そう、貴女の事を少しでも知っていれば」
「・・・」
「ですが、男が一度決意を固めたら、誰にも止められないこともあるとワシは知っているのです。かつては、人を愛したことのあるこの身として」
「哀れよの。知っていて、なおこの険しき道を歩ませるか」
「同じ結末にはワシがさせません。今度はあの時とは違う、ワシがいます。あの時とは違う・・・」
「妾が哀れというたのは、この童がおぬしの過去の清算に付き合わされているというその事実じゃよ。この子はおぬしの愛し君ではないのじゃ。そこを決して間違えるな。間違えれば、誰にとっても不幸な結末が待つだけじゃろう」
「十分に承知しているつもりです」
ミリアザールの瞳は固い決意に彩られていた。だがシュテルヴェーゼの追及はいまだ厳しかった。
「なぜ人は過酷な道ばかりを行くのか・・・自分の生だけを考えればもっと楽な道もあろうに。げに愚かなことよ」
「それを愚かと申されますな。人は苦境からでも確かな光をつかみ取ろうとするのです。だからこそ人間は短い生でも、限りなく光り輝く」
「それも数多見ていれば、そのどれもがあまりにも瞬きにしか過ぎないことに気が付く。妾はもう飽きた・・・人の悲哀も喜楽も、もはや十分よ」
「ならばなぜこの地表に降りてこられたのですか。ノーティス殿と袂を分かってまでピレボスにこもったというのに。ピレボスの山頂にて、人の世の中をただひたすらに観察しておけばよかったでしょう。まさか、ワシの要請に応えたわけではありますまい?」
ミリアザールがやや呆れたようにシュテルヴェーゼに話しかけた。だがシュテルヴェーゼの答えは意外なものであったのだ。
「妾はもう既に六千を超える年月を生きたが、それでも感情は木石となっておらん。古竜の爺どもとは違うのだよ。妾にもそなたのことはまだ気にかかる。千年前、忘れかけていた何かを愛でる感情を思い出させてくれたのはそのただ、ミリアザール。妾の最後の弟子よ」
「・・・」
「人の世の全てを見通す『千里眼』を用いてこの世の動きを常に観察してきた妾にとって、人の世で起こるあらゆる出来事が、ただ書物を書き写すかのように繰り返されているだけのように感じられてきたのだ。その中でもまだ気になる事象が、この時代において起こっておる。
一つにはそなた、ミリアザールの事。そなた、後何年生きるつもりじゃ?」
「・・・さすがにご存知でしたか」
「知らいでか。そなたに妾の血を分け、これほどの寿命を与えた当人じゃからの。そなたが望めばさらに妾の血を分けて寿命を延ばすことはできる。力も全盛期以上のものになろう。受ける気はあるか?」
シュテルヴェーゼの提案は非常に蠱惑的に聞こえるはずだった。そしてミリアザールも、自らの力を取り戻す方法としてシュテルヴェーゼを頼ることは考えたのだ。
だがミリアザールは首を横に振った。
「せっかくですが、お断りします。ワシはそんなできた生き物ではないのです。もし過去に帰って自分に会うことができるなら、あの時仲間を殺され、それでも何もできずに逃げたあの山の中で貴女と出会った時、復讐などを望むのではなく、無念であろうとそのまま死ぬのが最も幸せだと言ってやりたい。いかに人の世に善行を成そうと、また人がワシを大切に思ってくれようと、ワシの本当の理解者を欠いたまま生きるのはこんなにも苦しい。
ワシはとうに死んでいます。あの日、ワシの愛しき男が死んだ日にワシも死んでおくべきだったのです。少なくとも、同じ時間を生きるべきだった。だが世の中のしがらみは、ワシを一人にしてくれませんでした。ワシをいまだに大切にしてくれる者がいること自体はありがたく思うのですが、その優しさすらもはや苦しいだけに過ぎないのです。
それでもワシのためにその人生を懸ける者達を、どうして放っておけましょうか。ワシが戦うのは自分のためではない、彼らのためです。ここまで全うした道、貫ききって死んでみせましょうぞ」
「そうか・・・お主がもう少し不真面目であればな。周囲はともかく、お主はもう少し幸せであったかもしれんなぁ」
シュテルヴェーゼがしみじみと言うのを、ミリアザールは黙って聞いていた。ただその膝元に眠るジェイクは、そんな二人の悲しみなど知らずに穏やかに眠っているのだった。
続く
次回投稿は。10/2(火)13:00です。