不帰(かえらず)の館、その2~人生の岐路~
「来たか、ジェイク。梔子よ、一度仕事を休憩するぞ」
「おおせのままに」
梔子もまた速やかにミリアザールの言動に従った。梔子はミリアザールが決を採った書類を持って、静かに部屋を出て行ったのだ。
残されたのはジェイクとミリアザールの二人だけ。厳かな雰囲気が彼らを包んだ。
「帰還が遅れて済まなかったな、ジェイク。今回の遠征はどうであった?」
「どうってのは答えにくいな。もっと具体的に聞いてほしい」
「そうか。ならばレイファン王女の印象を聞こうか」
「レイファン王女か」
ジェイクは少し前の記憶を手繰り寄せた。その脳裏に、美しく聡明な少女の顔が浮かぶ。
「すごい人物だと思うよ。賢いし、勇気もあると思う。でも前線のことはあまり知らないかなぁ」
「王とはそのような者が普通じゃろう。中には自ら剣を取る者もいるが、どちらかといえば少数派じゃろうな。王は人を扱うことに優れておればそれでよい。それ以上は贅沢な望みじゃろうて」
「ふーん、そんなもんかなぁ」
ジェイクにはよくわからない話だったらしく、彼は悩んだように腕を組んだ。徐々に普段通りのジェイクに戻ってきた彼を見て、ミリアザールはさらに質問を続けた。やはり何と言ってもジェイクはまだ少年。いかに正規の神殿騎士になったといえど、このくらいの態度が丁度良いであろうと。
「ジェイク。今回魔王と戦ったそうだな」
「魔王? ああ、あの手強い魔物か。あれが魔王なのか?」
「昔の意味する魔王とは少し違うが、まあそんな認識でよかろう。魔王の印象はどうであった?」
「怖かった」
「ほう」
ジェイクの感想にミリアザールは少し興味を持った。怖い物知らずのジェイクだと思っていたが、どうやら彼なりに思うところはあったようだとミリアザールは少し考えを改めた。
「どう怖かった?」
「口ではうまく言えないんだけど・・・なんていうのかな。その魔王自体が怖いんじゃなくて、その後ろにいる誰か。魔王を通して、誰かの意思が透けて見える気がした。この魔王が考えていることじゃなくて、後ろの誰かが何を考えているのかが見える気がしたんだ。あの魔王はきっと、誰かの指示か命令を反映されているんじゃないかと思うんだ。
生き物って、いろんなことを考えるよな? 例えば俺だったら強くなりたいと思うし、犬だったら腹減ったとか。だけどあの魔王は、ただ周囲の全てを壊したい、殺したい。そういったことしか考えていないような気がした。それはきっと、とても恐ろしいことなんだと思う。
もし俺の考えたことが当たっているとして、そんな化け物を操っている何かがいるとしたら・・・」
「なるほど、わかった」
ミリアザールはジェイクの話を途中で制した。知りたいことは十分にわかったし、ジェイクの感性は想像以上であると理解できたからだ。そして、予想以上の成長を見せるジェイクにミリアザールは内心で完全な満足を覚えていた。
「ジェイク、お前に合わせたい人物がいる」
「誰?」
「かつてワシに全てを教えた人物だ。おぬしに合わせるのは早いかと思っていたが、どうやらそうでもないようだ。いや、むしろ今会っておく方がいいのかもしれん。本気で貴様が大陸最強の騎士になりたいと望むのならばな」
「・・・わかった」
大陸最強と聞いて、ジェイクの顔つきが変わった。ミリアザールはジェイクの表情が変わったのを見ると、彼を伴ってさらに深緑宮の奥へと進む。そこには部屋などないとジェイクは認識していたのだが、ミリアザールが片手を壁に押し込むと、壁の一部が開いて地下への階段が出現したのだった。
秘密の回廊や地下室、部屋を作っておくのは城などでは常識といえば常識だったが、ジェイクはむしろその部屋の存在に気付かなかった自分を少し恥じていた。観察力が足らないことは、そのまま生命の危機に直結する。ジェイクは慎重にミリアザールの後をついて行った。
階段は思いのほか明るく、また地下室についた後もそこは非常に開けた空間で、むしろ賓客を迎えるように小奇麗かつ品を損なわない造りをしていた。まるで通常の住宅のように何室かに分かれたその空間から、ひょいと黒く長い髪の毛をした男が現れた。男の服は上から下まで黒づくめで、好戦的と一目でわかるような鋭い眼光をしていた。
ジェイクは男を見るなりその体をわしづかみにされるような圧力を受けたが、眼光で睨み返しただけで反応はしなかった。
そんなジェイクを見て男は興味をそそられたのか、話しかけてきたのだ。
「へえ・・・俺の気を感じつつも、あえて眼光だけで返すか。普通なら驚いて気絶するか、あるいは身の危険を感じて思わず飛びかかるかだがな。自分が勝てないと知りつつもそれを抑えて、あえて目だけで返すなんて気に入ったぜ、小僧」
「やめい、ジャビーよ。子供を虐めるでないぞ」
「虐めてねぇよ。どんな反応をするのか、知りたかったのさ。気絶しても飛びかかってきても、どっちの行動をとっていてもこっから先には進ませるつもりはなかった。これは俺からの試験、ってとこだな」
「それが虐めじゃというておる。そんな子であればワシがそもそも連れてこぬ」
ミリアザールはぎろりとジャバウォックを睨み返すと、そのままその横を素通りした。ジャバウォックは改めてじろじろとジェイクを見ていたが、ジェイクは無視してその横を通り過ぎたのだった。
地下には他にも二名の気配を感じたが、特に姿を現すわけでもなかった。ジェイクはミリアザールに導かれるまま、奥へと進んでいった。
そのまま廊下を通り過ぎると、不思議な感覚にジェイクは包まれた。急激にその身が引き締まるような思いがしたのだ。空気そのものは清浄であり、むしろ心地よさを感じさせる。なのに、ジェイクは背筋の下の方から緊張感が這い上がってくるのを感じていた。ジェイクが今まで感じたことのないほどの緊張感である。
その理由はすぐにわかる。ジェイクが通された部屋には、長い金髪の優雅な女性が腰かけていた。本人だけでなく、彼女が纏う全てが威圧感を持っている。身に纏う衣装は確かに彼女を引き立たせる役目も持っていたが、それらは全て戦利品だとジェイクにはわかったのだ。なぜわかったのかは知らない。ただ、彼女は途方もない戦いの連鎖、因果を超えてこの場所にいるのだとジェイクにはわかったのだ。それは超がつくほどの一流でありながら、戦いの最中に基本身を置かないセンサーのリサではわかりえない感覚だったろう。
ジェイクはその女性に圧倒された。ここまで誰かに圧倒され、また鮮烈な印象を覚えるのは物ごころつくころにリサに拾われた時だけである。そしてジェイクは理解した。自分は今、人生の分岐点にきているのだと。
ジェイクはただの一言も発さず、その場に立っていた。妙に足が重く、痺れて感じるのはきっと気のせいではなかっただろう。それが証拠に、ミリアザールもやや顔が青白かった。それでも年長者ゆえか、ミリアザールは必至で言葉を発していた。
「シュテルヴェーゼ様、貴方様に見てほしい人物を連れてまいりました」
ジェイクはミリアザールが恭しく礼をする場面を初めて見た。アルネリアの最高教主でもある彼女が頭を下げる相手など、社会的には皆無のはずである。またミリアザールという人物自体も、歩く自信家だとジェイクは思っていたのだが。ミリアザールはためらいもなく頭を下げ、そしてシュテルヴェーゼもそれをさも当然のごとく受け止めていた。
ジェイクにとって未知数の人物、シュテルヴェーゼがゆっくりと言葉を発する。
続く
次回投稿は、9/28(金)13:00です。