獣人の国で、その10~アムールの任務~
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「カザスは何を考えているんだ・・・」
ニアはドライアンとの謁見を終えて、軽いめまいを覚えていた。そもそもドライアンと対等に口を利くこと自体、ニアにとっては冷や汗ものだった。ドライアンの烈火のごとく怒る様子や、また戦場での鬼神のごとき戦いぶりを聞いて育ったニアにとって、ドライアンとは尊敬すべき王であると同時に、畏怖、恐怖の対象でもあった。
そんなドライアンに大した礼儀も取らず、初対面にも関わらずいけしゃあしゃあと提案まで持ち出したカザス。どこからそんな度胸がわいてくるというのか。
「まあ、怖いもの知らずというか、世間知らずというか・・・人間であることが逆に災いしないのかもな」
確かにカザスは肝っ玉だけは据わっていた。大草原でも数々の魔物を相手に恐怖に駆られるわけでもなく、常に冷静にアルフィリース達の指示に従って動いていた。戦闘能力はないが、鈍重ではない。常に冷静なその在り様はニアも認めるところである。
だからこそ、ドライアンもカザスの提案を受けたのだろう。これから先さらにカザスの話を聞きたいとのことで、カザスはドライアンに伴われて彼の私室に向かっていった。ドライアンが私室に人を招くなど、初めて聞いた出来事である。彼の私室、正確には生活区には彼の亡き王妃しか入れず、ドライアンの息子すら一定の年齢を過ぎた後には入れてもらえないとの評判であったのだが。カザスの登場はドライアンにとって何らかの重要な意味を持つのかもしれない。
そしてニアはアムールに伴われて、今度は軍本部に向かうところであった。アムールが軍本部に向かうのは珍しいが、一応彼も籍はグルーザルドの軍にあるのであるからして、そして一定以上の身分を持つ以上、当たり前のように一室くらいは軍内部に構えているのであった。
ニアは絶壁の上の方にあるアムールの執務室に案内された。そこまでたどり着くには相当の運動神経を必要とするが、アルフィリースとの旅で鍛えられた今のニアにとっては楽勝である。途中天井に垂れ下がるロープを使わねば行けぬあたり、何とも懐かしい構造ではあった。
「おはいんなさい」
「失礼します」
アムールの執務室にはニアも初めて入る。かつての上官とはいえ、ニアはそこまで接点を持ったことはない。アムールは百人長ではあったが、軍内にはほとんどいなかったからだ。ニアは正規軍に配備そうそう不真面目な上官を持ったことを嘆いたが、アムールの部隊からは脱落者が多数出るが、出世する者が多いとの評判もあり、なんとも言えない不満と期待を持って軍に所属していた。
事実アムールはとても強く、また頭も切れることはニアにもすぐわかったが、当時のニアはやはりアムールを好きになれなかった。ゆえにグルーザルドの制度を利用して旅に出たのだが、今ならアムールの考える事、やろうとしていることの重要性が少しは理解できるのであった。そして部下に脱落者が多数出る、あるいは出世する者が多いという理由も。
アムールの私室は比較的整えられていた。あまり帰っていないはずなのに、その執務机にはあまり埃が積もっていない。常に新しい書類が置かれている証拠であった。無造作に置かれた机の書類をアムールは適当に選別し、必要な物がけに目を通していく。ニアは地面にどっかりと腰を下ろして、その作業を待っていた。
だがその作業はあっと言う間に終わり、アムールの机の上はきれいさっぱりと片付けられたのだ。
「もう終わりですか?」
「ええ、大した書類はなかったしね。もっとも大切な書類をこんなところに放置するわけもなし。ほとんどが定期的な軍内の連絡事項よ」
「大切な連絡は直に自分の元に届くと――?」
「わかってるじゃない」
アムールは表情を変えずに、ぶっきらぼうに答えた。
「書類に残すとまずい情報もあるわ。いくら同じグルーザルドの軍人でもね」
「なんとなくわかります。だから隊長の部隊からは脱走者が多かったのですね。彼らは脱走したのではなく、あなた専用の隠密のような働きをしているんだ」
「そういうことよ」
アムールが少し嬉しそうにほくそ笑んだ。
「ニアちゃんの指摘する通り、アタシの部隊は隠密や密偵の養成を請け負っていたわ。もちろんそれだけではなく、単純に優秀な人材を養成する場でもあった。だって、後輩育成なんてことに興味のある獣人なんて、他にいないでしょう。皆自分が誰より強いかなんてつまらない事で、頭がいっぱいなんだから。
だからアタシの部隊に配属されたってことだけで、ある程度ニアちゃんは将来を嘱望されていたってことよ。おわかり?」
「事実としてはそうなのかもしれませんが、どうにも実感はわきません」
ニアは謙遜して見せたのかとアムールは思ったが、ニアは実際に少し身をすくめて小さくなっているようであり、自信の無さを表しているかのようであった。
アムールは正直ニアの強さについてはまだ疑問視しているが、その能力全般についてはかなり評価している。ともすれば場の雰囲気に流されやすい獣人において、自分の信念を貫くその姿勢、意思の強さ。さらに冷静な全体判断力。どれも今の獣人達にはないものだった。
その能力は千人長、下手をすれば獣将付近にまで伸びるのではないかと、アムールは睨んでいた。だからこそ武者修行の旅を許可したのだが、まさかニアが大陸を揺るがす事件の渦中に放り込まれることになるとは思ってもいなかった。ニアの成長にとっては喜ばしいのと同時に、グルーザルド、ひいては大陸の安寧にとっては望ましくない展開だった。
傭兵アルフィリース。彼女はアムールにとってはいまだ未知数の存在だが、彼女は一目見た時から何か他の人間とは違う印象をアムールに与えた。軍人であるアムールはグルーザルド基準で物事の解決を図るが、アルフィリースは別の視点からこの事態を解決してくれそうな予感がするのだ。
その架け橋となりうるのがまさか自分の部下だとは、さしものアムールも想像だにしないことだった。ニアにはもっと成長してもらわなければならない。そうアムールは考えていたのだ。
続く
次回投稿は、9/23(日)13:00です。