獣人の国で、その8~王の人となり~
しばし無言の時が流れ、誰が口火を切るかと思われたその時、カザスが口を開いたのだ。
「王よ、何の本を読んでいるのですか?」
「・・・当ててみな」
「また無茶を・・・」
ドライアンの返事にアムールが呆れていた。ドライアンは読書と昼寝を邪魔されるのが嫌いである。たとえ軍議であっても、自分が読書中であれば獣将全員を待たせるのが彼であった。
そんなドライアンの読書中に話しかけるだけでも獣人にとっては掟破りなのだが、カザスがそんなことを知りうるはずもない。不興を買わなかっただけでももうけものだったが、カザスはドライアンの言葉通り、彼の読んでいる書物を当てようとした。
ドライアンの読んでいる書物の表紙は緑色。厚みはそれほどでもなかった。ドライアンが大きいから妙に小さく見えるが、人間でも片手で持って読める大きさだろう。
「ヒントをください」
「いいだろ。だが一つだけだ。ものにもよるがな」
「十分。ではその本の189頁、最初の言葉をお願いします」
「・・・『名誉』。そんなのでいいのか?」
「だから十分だと言ったでしょう? その本の名前は『アマルフィの騎士』。フィオモ作の、まあ恋愛小説の色が濃い、現代の創作物でしょうか。半年前に初版が出たばかりの流行ものですね」
「ほほう、確かにその通りだ」
「・・・はあ?」
カザスの答えが正解だと認めたドライアンだが、その時に間抜けな声を上げたのはニアであった。歩く嵐とも言われたドライアン王が、何を好き好んで恋愛小説などを読むのか。キツネにつままれたような顔をしてニアが顔を上げた傍で、アムールが笑いを堪えていたのだ。
「ぷっくく・・・やっぱりみんなドライアンを勘違いしているようね。この王は確かに凶暴だけど、同時に勉強家でもあるわ。彼の興味は戦術なんかの戦いに関することだけではなくて、そのほかの事にも及ぶのよ。特に人間の世界で何が流行っているかには敏感だわ」
「確かに『アマルフィの騎士』はベストセラーですし、第二版と共に続巻の発行がこの秋に予定されています。グルーザルドにまで流通されているとは驚きでしたが」
「よくわかったな。どうして本が『アマルフィの騎士』だとわかったんだ?」
「簡単な話です。印刷術というのはここ30年程度のものです。今でも技術は向上していますが、逆に技術の専有化は著しい。出版を請け負える組織というのは、せいぜい2、3程度しかないのです。
その本拠地はいずれもメイヤー。私のトリアッデ大学がある都市ですね。学術の都なので当然のごとく印刷物もく、自然の成り行きです。ゆえにメイヤーにはあらゆる書物が揃うのです。出回るのも最も早い。そして私は教授という立場上、あらゆる出版物を目にする機会に恵まれています。最新の書物は分野を問わず、私は全て目を通します。恋愛小説だろうと、もっと俗っぽい風刺画だろうとね。
さらに。表示を色刷りする技術が確立されたのは12年ほど前。そして色刷りする書物が一般に普及し始めたのは3年ほど前です。その中で緑の表紙であり、かつその厚さの本は3種類くらいしかない。ならばどこかの頁の先頭の文字を聞けば、ある程度推測はできようというものです」
「おい、貴様。まさかどの頁にどんな内容が書いてあるのか覚えているってぇんじゃないだろうな」
「大雑把には覚えていますが、何か?」
カザスが大したことでもさも当然のように言ったので、ドライアンは目を丸くしてアムールと顔を見合わせた。アムールもまさかそこまでカザスの記憶力がいいとは思っていなかったので、同様に驚いていたのだ。
ドライアンは気を取り直すと、改めて話し始めた。
「大した記憶力だ。驚いたぜ」
「別段自慢するほどのものではありません。もっと見た物ならなんでも覚えることのできる人間は確かにいますよ」
「そ、そうか。ところで俺が望めば、大体のものはここグルーザルドで手に入る。『アマルフィの騎士』もその一つだ。積極的に商人を人間の世界に派遣しているからな。獣人の商人ギルドなんてものも組織している。知っているか?」
ドライアンが小説を閉じながら問いかけたので、カザスが首を縦に振った。
「ええ、確か『フェニクス商会』でしたか? そんな組織があるとは聞いたことがありますが、ドライアン王のお膝元だったとは」
「政治を腕力だけでどうにかできると思っているほど馬鹿じゃない。王ともなればそれなりに知恵も使うってことだな。ちなみに種類を問わずに本を読むのもその一環だ。良い兵士はたくさん本を読むそうだからな」
「ほほう、誰に聞きましたか」
「昔、人間の世の中をちょろっと放浪していた時に、な」
ドライアンはふん、軽く鼻息を鳴らして立ち上がった。そのまま無造作に本を玉座に投げ捨てると、ゆっくりと部屋の一画にある大きな台に向かったのだ。
そこには地図らしきものが広げられている。「らしき」と表現したのは、カザスが描くような人間界で流通している地図とはその精巧さも書き方も違っているからだ。
ドライアンは地図の中にある点を指さすと、アムールの眉が顰められた。その意味をカザスは理解しようと努めてみる。地図にある赤い点は数十もある。そして黒い点はそれよりもやや多いようだった。その中でアムールが重い口を開いた。彼にしては珍しく、暗鬱たる口調だった。
「・・・また増えましたね」
「ああ、増える一方だ。もちろん戦力を増強して、確認できる回数も増えたという見方もある。6人もの獣将を投与しているのだからな。このくらい当然といえば当然だが・・・」
「すみません。話が見えないので、私にも解説していただけませんか?」
カザスが遠慮なくすうっと手を挙げたので、ドライアンは困ったようにアムールを見た。詳しい内容を話してもよいものかどうか、どこまで話すべきか判断に困ったのである。カザスの事を面白い奴だとはドライアンも思っていたが、ここから先は国家機密にもなる。そこまでの信頼をこの小さき人間に言ってもよいかどうか、ドライアンは慎重に考えたかったのだ。
だがアムールの返事は実に楽しそうににやにやとして頷いただけだった。時に自分の楽しみを有事よりも優先するところがアムールの悪い癖だとドライアンも思うのだが、間違った判断をすることはないので、内心ではためいき混じりながらもドライアンはカザスに解説を始めた。
続く
次回投稿は、9/19(水)14:00です。