獣人の国で、その3~提案~
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そしてウルドの酒場の裏。人通りの多いミーシアでさえ、ここまでの裏通りに人はそうそういない。時に仕事にあぶれた浮浪者や、あるいは夜であれば酔っ払いが倒れていることもあるが、そうでなければこんなところには人は来ない。危険を自ら招き寄せる愚か者はいない。
そこに二つの人物が集まる。一人はアムール。そしてもう一人はラインだった。遅れてきたラインはアムールがいるのを確認すると、がらりと真剣な口調に変えて語りかけた。
「どういうつもりだ、獣人。俺を殺気で挑発するなんざ、ちょっと酒の席の冗談じゃあすまされねぇぞ」
「あらイイ男。アタシの殺気に気が付いて、なおかつまるで素知らぬ振りをするなんて大したものね。よっぽど慣れているのかしら?」
「妙な口調はよしな。そんなオカマ野郎には見えねえよ、お前」
ラインが不敵に笑うのを見て、アムールも笑った。
「ごめんなさいねぇ。こんな口調にしておかないと、どうにも獰猛な性格が抑えられなくって」
「それにしちゃあ馴染んでるな。半分くらいは趣味じゃねえのか」
「そうとも言うわね。さて、冗談はこれくらいにして本題に入りましょう」
アムールの双眸が鋭く光った。
「アレクサンドリアの指名手配さんにお願いしたいことがあるわ」
「なんのことだ?」
「トボけるのね。でも無駄よ、アタシはあんたの本名も知っている。なんならナイツ・オブ・ナイツの面々に貴方の行き先を密告ってもいいのよ?」
「・・・とんだオカマだな。で、何の用件だ?」
「話が早くって助かるわ」
アムールが嬉しそうにぱんっと手を叩く。だが目はいまだに鋭く、またはしこそうに光をたたえたままだった。
「ちょっと調べてほしいことがあるのよ。各地に発生する魔王の事は知っているかしら?」
「ああ、まあな」
「アタシは一つの仮説を立てたの。各地に発生する魔王の出現法則を割り出せないかって。それで色んな機関の人間に協力してもらっているんだけど、いまいち手数が足りなくてねぇ。もう少しで何かがつかめそうなんだけど、今一つ手駒が足りない感じなのよね」
「俺を脅して手駒にしようってことか?」
「脅すなんてとんでもないわ! これは対等な協力関係よ。アタシもまた持っている情報を貴方に提供するわ」
「必要ないって言ったら?」
「そんなことはありえないわ。だって、これは貴方の祖国、アレクサンドリアに関わることでもあるんですもの」
アムールは自信を持って言い放ったが、ラインはひそかに反応しただけで、あまり心を動かされなった。彼は首を横に振り、否定の意思を示した。
「だがやはり俺には関係ないな。俺は祖国を捨てた人間だ。今更あの国に尽くす気はない」
「あらそう? じゃあこの出来事が貴方の婚約者でもあった、フロレンス=ウティナ=ボルトハイレンの死にまつわる事実とも関係するって言われたら、どうかしら?」
アムールの言葉に、ラインの表情が俄かにこわばる。最初に驚愕が訪れ、そして悲哀の表情が浮かび、次に怒りの色を帯びた。ラインが腰の剣に手をかける。
「貴様・・・どこでそれを?」
「アタシの身分をばらすと、アタシはグルーザルドの軍人なの。グルーザルドは獣人の国だからと、あまり頭の回らない連中ばかりだと思われても困るわ。アタシは若い頃グルーザルドの南方戦線で戦い、相手の蛮族達から様々な戦い方を教わったわ。身体能力で我々獣人とあまり遜色のない彼ら相手に戦う中で、戦争を左右するのは情報だと悟った。以来アタシは南方の戦線をひと段落つけると、グルーザルドと肩を並べうる大国の情報を取集したわ。その中には当然アレクサンドリアも入っている。
貴方は自分で思うよりずっと有名人よ? だって、あのディオーレ直属の兵士であり、彼女の後を継ぐ者の一人と考えられていたんですもの。まだ諸国では発達していないようだけど、きちんとした諜報機関を持っている国では、貴方の去就は知られているわ。ただその真実だけは、定かではないけどね」
「・・・続けろ」
「そしておそらくアタシは貴方以上に当時の状況について調べている。貴方の祖国ではディオーレを初めとして、貴方の仲間が相当躍起になって貴方の名誉挽回のために動き回っていたのよ。貴方さえその気なら、貴方は祖国で地位も名誉も取り戻すことが可能かもしれない。だって、あのディオーレが不覚を取るなんてありえないもの。彼女が本気になれば、貴方がたとえ悪人だとしても、貴方の罪はなかったことになるでしょう。だって、それだけの功をあの騎士は持っているわ」
「あるいはそうかもしれん。だが俺はそれを望まなかった。ディオーレ様はただでさえ微妙な立場だ。あの方の足をこれ以上引っ張るのは御免だったからな。
それに俺自身が、騎士というものについての情熱が冷めちまった。汚名返上できたとしても、もう一度あの国に仕える気にはならん」
「・・・人の正義や信念、ましてその本質というものはそうそう簡単に変えられるものではないわ。貴方ももう少し生きてみればよくわかる」
「だといいがな。それで、俺の汚名返上を手伝う代わりに魔王を探れってことか?」
「有体に言えばね。でも真実は貴方だって知りたいはず。名誉がほしくはなくても、ね。それにアレクサンドリアでくすぶっている火種は、貴方をいずれ巻き込むわ。貴方はきっと無関係ではいられない。その時再び大切なものをなくすのは嫌でしょう?」
アムールの口調は優しかった。それはラインに言っているというよりは、自らに言い聞かせているようでもあった。だがラインは思わぬ相手に心の奥底を引っ掻き回された気分であり、アムールの様子をうかがうどころではなかったのだ。
だが結論は既に出ていた。ラインが祖国をどう思おうと、結局の所見て見ぬふりなど自分ができないことを、ラインはよくわかっていたのだ。
続く
次回投稿は、9/9(日)14:00です。日曜ですが投稿時間は変わりません。ご注意を