魔女の団欒、その13~囚われの身~
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イングバルは逃げに逃げていた。明かりもなく、いかに闇に親しんだ魔女である彼女も無我夢中で逃げれば、夜の森の中木々に傷つけられ、生傷が絶えぬ体となる。
だがイングバルは服が破れようが何も構わず、魔王の群れの中を逃げ続けた。魔王の群れは予想以上にしつこく、またその種類も多様であった。蜘蛛のように多脚で複眼を持つ魔王は、自らと同じ姿の小さな魔王を飛ばしながら追いかけてきた。一瞬ただの布きれかと勘違いした魔王は、イングバルを認識すると突如としてその体を広げ行く手をふさぎ、森の周囲の木ごとイングバルを食べようとした。またどちらが頭なのかわからぬ蛇のような魔物は、頭同士で人語を使っての喧嘩をしながらイングバルを追いかけてきた。
そのどれもが最初にイングバル達が倒した魔王よりも強力であり、明らかに別格の存在であったのだ。どうやら最初に繰り出されてきた魔王達は、相手にとってただの捨て駒にしかならぬらしい。明らかに話に聞くより、または自分達が相手にしてきた魔王よりも手ごわくなっている魔王達を見て、イングバルは恐怖した。自らが捕まり倒されることではない。相手の底知れぬ戦力と、そのことを誰も知らぬままであることに。
「(魔王は・・・昔の定義にある魔王とは違う。私の師匠であった魔女から聞いた時、魔王というものはもっと手ごわい者だった。彼らの率いる軍団は非常に統率がとれており、オークやゴブリン、サイクロプスといった魔物達はそれら単体では大したことがなくとも、魔王に率いられ統率がとれると凄まじい脅威になる。だから魔王討伐には軍の協力が必要だったのだ。
だがここ最近――いや、今やオーランゼブルが生産していることが間違いないであろう魔王達は、その実力はともかく知性の面で昔の魔王達に遠く及ばないと思っていた。だが、先ほど見た魔王達は――明らかに周囲にいた異形の兵士達を統率し、指揮していた。あれはまずい。知らないまま対峙すれば、一国の軍隊ですら簡単に敗北するだろう。なんとしても、この情報はもたらさなければ。
だがいったいどこに? できればアルネリア教会が良いのかもしれないけど、あそこの最高教主は信頼できるかどうかは難しいと師匠も言っていた。
では導師達なら? いや、導師とはそもそも交流がない。名前も顔もほとんど知らないし、何を考えているかも想像できない。それに、彼らがもしオーランゼブルの味方だったら? 私はとんだ間抜けになってしまう。
魔術教会? いや、テトラスティンはミリアザール以上に信頼できない。自分の望み――何のことかは知らないけど、そのために精霊を狩って回った魔術士。逆らう者は皆殺し、従う者も必要に応じて切って捨てる人間など、まともな者のはずがない。
そうなると・・・)」
フェアトゥーセの弟子だった、ラーナという少女はどうなのだろうとイングバルはふと考えた。フェアトゥーセがひょんなことから育てることになり、魔女の素質、しかも闇の魔女の素質があると話した少女。いずれはイングバルの元で正式に修行をすることになるだろうと、フェアトウーセから聞いてイングバルも楽しみにしていたのだが。現在はアルフィリースと共に行動をしているらしいとのこと。そうなるとアルネリアの勢力圏にいるはずだ。
「連絡は容易ではない、か。だけど何とかして――」
そうイングバルが考えた時、彼女は自分に近づく殺気を感じたのだ。距離はまだあるが、相当の速さで迫っている。この距離で感じ取れる殺気を出せる者となると、只者ではないだろう。
そういえばここはどこだったか。無我夢中で逃げるあまり、イングバルは自分がどこにいるのかもよくわかっていなかった。魔女の団欒は比較的人里離れた場所を選んだはずだが、選定した場所に足を運んできた魔女達の何人かが、「大胆な場所を選んだわね」と言っていた。あまり気に留めてもいなかったが、どういった意味だったのだろうか。
ともあれ問題は迫りくる殺気だったが、その殺気がどんどん膨れ上がる。イングバルは自分の毛が逆立つのを感じた。
「なんだこれは・・・凄まじい殺気が、しかも二つ。こんな殺気、人間のものでは――」
そこまで言いかけ迎撃のための魔術を準備しかけて、突如としてイングバルの世界は反転した。急に力が入らなくなり、意識が遠のく。気を失っていくことに気が付いたイングバルが最後に見たのは、反転した世界に見えた、無表情な少女の顔だった。
イングバルが地に伏すと、その背後には少女が立っている。彼女は足でイングバルを小突いてその意識を確かめると、顎で森に向かって合図した。すると森の中からは青と緑のドレスに身を纏った少女が姿を現した。
「ハムネットぉ、殺してねぇだろうな?」
「た、ぶん」
下品な口調と、地面に唾を飛ばしながら現れたのは、緑のロングドレスに身を纏ったセローグレイス。その背中にはトレードマークのように鋼鉄製の巨大なすり鉢を背負っていた。隣にいる青のドレスの少女は、当然リアシェッドである。彼女達はイングバルを囲むように立つと、その顔を見合わせた。そして突然、セローグレイスがイングバルの頭を足蹴にしたのだ。
「んだよ、こいつは・・・俺らの領地に足を踏み込むなんざ、どこのどいつだ?」
「馬鹿ね、セローグレイス。この人は魔女よ。そうわかったから生け捕りにしたんじゃないですの」
「ああ、めんどくせー。いつもみたいに殺しゃいいんだよ。どうせこの土地は俺らの治外法権だ。何をやっても文句は言われねぇんだから」
「普通ならね。でもお姉さまが『連れてこい』と言ったのだから、しょうがないでしょう?」
「そう、いうこと」
ハムネットがセローグレイスをなだめるように背を叩いたので、セローグレイスは頭をばりばりとかきながらも仕切りなおした。整えたツインテールがくるりと揺れる。
「お姉さまのいいつけならしゃあねぇけど、こいつ連れて行ってどうするんだ? まさか踊り食い、ってわけでもあるまいよ」
「普通に考えれば情報、でしょうね。お姉さまは長い居眠りから起きたばかりで、この大陸で何が起きているかまだよくわかっていらっしゃらないわ。でも魔女の団欒については興味を示されたようね。しかも団欒が中断され、魔女達がほうほうのていで逃げてきた・・・これは私でも興味深いわ。いったい中では何が起きたのでしょうね」
「どうでもいいよお~そんなこと」
興味を示すリアシェッドと、面倒くさそうに大あくびするセローグレイスは正反対だったが、『お姉さま』の言いつけを守る点においては、彼女達の意識は共通しているらしい。セローグレイスが文句を言いながらも、イングバルを肩に担ぎ上げる。
「じゃあ戻ろうぜ。寝起きのお姉さまはご機嫌斜めだからな」
「そうね。でもありがとう、わざわざ貴女が自分から荷物を担いでくれるなんて思わなかったわ」
「んだよ、順番に決まってんだろ? 結構距離あんだからよ」
「誰、もそんな、こと、言って、ない」
「献身的な貴女の行動に、感謝しますわセローグレイス」
それだけ言い残し、ハムネットとリアシェッドはいち早くその場から姿を消した。出遅れたセローグレイスが焦る。
「ああっ! そりゃあねぇぜ。最後は登りの崖だってのによ・・・待ちやがれ!」
セローグレイスは最後の上りで楽をしようとしたのだが、完全に取り残されたことに気が付いてあわてて二人の後を追いかけた。
ただイングバルは、そのセローグレイスの肩の上で、倒れ力尽きてゆく仲間の悪夢を見続けていたのである。
続く
次回投稿は、8/3(金)17:00です。