暗躍、その3~使い魔~
チ、チ、チ・・・
モーイ鳥がさえずる音が聞こえる。渡り鳥であるモーイ鳥は晩秋から初春にかけて南方へ移動し、本格的な春が訪れると大陸中央に帰ってくる。そしてつがいがいる個体はこの時期に子どもを産み育て、いないものは春には自分のつがいを決める。夏にさしかかる今の季節は既に卵からかえった雛が餌をひっきりなしに要求し、忙しく親鳥が飛びまわる時期である。そのためせわしなくモーイ鳥がさえずり、連絡を取り合っているのだった。かしましいほどに囀る彼らを鬱陶しいと評する人間がほとんどいないのは、彼らの鳴き声が美しいからか、はたまた人の心に余裕があるからか。
ここ聖都アルネリアにあり、アルネリア教会奥の宮殿である深緑宮は、その名の通り緑をふんだんに取り入れた構造をしている。緑は中庭の噴水や各所の柱といった色合いとしてだけではなく、実際の自然も多く取り入れており、その木々を鳥が巣とすることも多い。またアルネリア教のお膝元ということもあり、浄化が世界で最も頻繁に行われている場所でもある。そのため空気も非常に澄んでおり、大人しい動物達が好んで周辺に集まってくる。またここまで浄化が進んでいると、この土地で暮らす者達の気性が穏やかになるとも言われるのだ。
そのような美しく優美な場所で聞こえてくるのは、なぜかミリアザールの悶絶の声であった。
「ミリアザール様、こちらの書類にも決をお願いします」
「市長が面会を求めておりますが」
「ねーねー、ぺったんこ~遊ぼうよ~」
「いっぺんに言うなぁぁぁぁぁ!」
アルフィリース達と別れた後、ミリアザールは陸路にてジェイク達を連れて帰った。本当は転移魔法を使って帰った方が早かったのだが、子ども達の人数が多すぎてミリアザールが1人で運ぶには用量過多であり、またお忍びである自分が各教区の司祭達の力を借りるわけにもいかない。それに多くの司祭は、彼女が最高教主であることすら知らないのだ。
そのため彼女はやむなく陸路で帰ったのだが、かなり急いだにも関わらず、ほぼ東の中心にあるアルネリアまでの道程では一カ月以上がゆうに経過していた。
幼い子を連れて帰るのはミリアザールにとっても久しぶりで楽しい半面、途中でルースが迷子になったり、ミルチェが熱を出したりと大変であった。そんなこんなでくたくたになって帰ってきたミリアザールを迎えたのは、机の上にうず高くそびえる仕事の山。公式には彼女は病気ということにしてあったが、積み重なる仕事の量は当然のごとく変わらない。まるでピレボスの連峰のごとく一ヶ月間たまりにたまった仕事が、彼女の悶絶の原因であった。
元が魔物のミリアザールはあまり眠らなくても平気なのだが、旅の最中に子ども達が一緒に寝てくれとせがむもので、すっかり睡眠周期が子ども寄りになってしまい、夜が眠くて仕方ない。さらに昼間は主にミルチェやルースあたりが遊んでくれとまとわりついてくるので(ジェイクやネリィは忙しいのを察しているようで遠慮するが)、おかげで仕事のはかどりもいまいちである。
そういった理由で、このところ頭を抱えて悶絶するミリアザールの尻をひっぱたいて仕事をさせるのが、普段は女官として傍に仕える梔子の仕事となっていた。
「ぐううぅ~。仕事の量が多すぎるぞぉ~」
「自業自得です」
「とはいえこれだけの量を、なぜそんなに急いで片づけねばならんのじゃ」
あまりの仕事量に、ミリアザールが手を動かしながら文句を垂れる。
「ミリアザール様が東の大陸とも、魔術教会とも連絡を取りたいと贅沢を言ったからでしょう。関係資料を収集した結果、そうなっているのです。また今回は聖都アルネリアが現在の場所に移されてから400周年。そのための記念式典がこの秋に行われますので、その準備が差し迫っているのです。各国の王族・公爵にも連絡を取らねばなりませんし。既に時期を過ぎておるくらいです」
「誰がそんなめんどくさいことを取り決めた?」
「13年前に、あなたが大司教達との会食の席で呟いたではありませんか。それをマナディル大司教が形にされたのですよ。まあ要は貴方が発端です」
「ちっ、あんの3バカめ・・・そういうところだけはしっかりしておる」
頭の禿げた頑固大司教マナディルが脳裏に浮かぶ。マナディルが大司教になる前、将来を嘱望されたイケメン僧侶として既に名前の上がることが多かったマナディルを、ミリアザールは見に行ったことがある。まだ当時の彼は司祭にもなっていなかったが、多少からかってやろうといういたずら心もあり、当時若い姿をしていた自分は夜にこっそり部屋に忍び込んだのだ、しかも少し男の情欲をそそる格好をして。
マナディルはその時なにかしら勉強をしていたようだが、自分の姿をみるなり顔を真っ赤にしてあたふたしていた記憶がある。確かに精悍な顔つきをしており、またその姿があまりにも可愛かったので思わず自分の身分をばらしたが、それを聞くなり今度は別の意味で顔を真っ赤にして怒りだした。なぜか最高教主である自分が正座をさせられて説教されたのだ。それが今や口うるさい頑固ハゲであるから、何かいたたまれないものを感じるミリアザールであった。まあ自分に遠慮なく物を言う彼の存在は嬉しくもあり、同時に鬱陶しい時もあるのだが。
「(そういえば今の大司教達は全て若い頃に会っておるな・・・反応も三者三様であった。ドライドとはそのままアルネリア教のあり方について夜を徹して語り明かしたし、ミナールの奴はこともあろうにワシの造形になぞ興味がないとぬかしおった。だがワシと出会ってから、全員急激に頭角を出し始めたな)」
本人は全く気が付いていないが、ミリアザールと少し話せば彼女がいかに社会全体のことを考えているのかが自然と知れるのである。自分達の集団だけでなく、社会全体を考えるさらに大きな視点、かつそこに属する者達一人一人のことも気遣う小さな視点。そういった者が自分の属する集団の長にいるというのは、非常に下に仕える者達にとって誇りであった。しかもミリアザールは完璧なようでいて、どこかすっとぼけたところもあるので、余計に下の者が支える気にさせるのだ。要は指導者向きの性格なのである。本人に自覚はないが、それがまたよいのかもしれない。
ミリアザールが少し物思いにふけろうとした瞬間、ダン! と新たな書類が目の前に積まれる。
「さあさ、物思いにふける暇などありませんよ!」
「トイレくらいは行ってもよかろう?」
「ダメです。トイレは一日三回まで」
梔子が指をゆっくりとミリアザールの目の前で横に振る。
「貴様は鬼か!?」
「我慢できないようでしたらオシメをつけて仕事をしてください。仕事の忙しい医師などは、そういう人もいるようです。戦地でもトイレなどに行くことがないのは常識でしょう?」
「ここは平和な都市じゃろうが!」
「ぺったんこ、オシメしてるの??」
悪意のない目で質問をするのは、ミリアザールの部屋で遊んでいるミルチェである。
「おもらしとかまじでださいよ~。そういうの、『百年の恋も冷める』っていうんだぜ?」
「なぜションベンくさい貴様らに、そんなことを言われねばならんのじゃ?」
「子どもに汚い言葉づかいはやめてください」
「それにもうすぐションベンくさくなるのはそっちだろ? 年でさ」
梔子の一言に、合いの手を打つように部屋に入ってきたのはジェイクであった。手には練習用の木剣を携えている。
「誰が漏らすかぁ!」
「んなことよりもさ、アルベルト借りていい?」
「自分から振っといて無視か!? まあ別に構わんが、また稽古か」
「ああ、リサ姉に約束したからな。まずはアルベルトから一本取れるようになってやる!」
その一言にミリアザールと梔子が顔を見合わせる。まずは、が最終目標にも近い気がするが、それは言わないでおく。アルベルトもジェイクには見所がありそうだと言っていたし、どうやら魔術も使えるようになりそうらしい。素質がなければ神殿騎士としては資格を得られないが、どうやらジェイクは最低限出発点に着くだけの素養はあったようだ。
「ところで、貴様の愛しのリサ達から手紙が届いているが、読むか?」
「・・・まだ難しい字はあまり読めない」
「愛しのは否定せんのか。まあ仕方ない、ではワシが読んでやろう」
まわりのお付きの女官達はやれやれといった顔で見ているが、さすがに目をキラキラさせて楽しみにしている子ども達を止めるわけにもいかず、諦めている。いつの間にか他の子ども達もアルベルトも集まってきていた。
「では読もうかの。なになに、『拝啓、ぺったんこババアへ』・・・キーッ!!!!」
「・・・フ」
「落ち着いてください、そこまでぺったんこではないですから」
「ババアはいいんかい!」
そのやりとりを聞きながら、子ども達は転げまわって笑っていた。ミリアザールの周りは最近ずっとこんな調子だった。
手紙には、アルフィリースからは様々な手配に対する簡単な礼と、ミランダからの近況を伝える内容、そしてリサからは子ども達一人一人に対してメッセージがしたためてあった。リサは目が見えないから、ミランダが代筆したようだ。からかう部分だけ妙に筆跡が濃い。
最近の彼女達は、どうやらフェンナの依頼を果たした後、進路を中央街道に向けている。手紙によれば、フェンナをシーカーの一番大きな里まで送り届けるらしい。詳しい場所については言及されてないが、手紙に書くことに危険を感じたのかもしれない。ただ、その後アルネリアにも寄るつもりではいるらしいので、詳しくはその時に話すつもりとのことだった。まあ、実は口無しにこっそり見張らせているので、ミリアザールは彼女達がどこでどうしているなど、全て知っているのだが。
その時、ミリアザールはぴくりと気配を感じた。敵かと一瞬緊張を高めるが、深緑宮奥深くまで誰にも気づかれず潜入することなどありえない。敵意のない所を察するに使い魔のようだが、この宮殿にめぐらしてある結界を抜けて使い魔を出してくるとなると、自ずと使用者は限られる。
「アルベルト、ジェイクと剣の稽古に付き合ってやれ。ジェイク、チビ共を連れて行って来い。ワシは仕事があるでな、ちと集中したい」
「ああわかった。大丈夫なの?」
ジェイクが意味深な目をこちらに向ける。彼はセンサーではないのだが、長らくリサの傍にいたせいかかなり勘が強い。時折まだ10歳とは思えないような冴えを見せる。
「心配はいらん」
「ん。皆いくぞ、ぺったんこの邪魔しちゃだめだ」
「えー」
「ミルチェ、贅沢言わないの」
「タッドも今日は遊んでもらうっていってたのに~」
「クエスだってそうだよ~」
「ほら行くよ!」
最後はネリィに促されて全員出て行った。残ったのはミリアザールと梔子だけである。
「・・・もうよいぞ、入ってこい」
「久しぶりだね、ミリアザール」
入ってきたのは喋る小さな青い鳥であった。ミリアザールの察する通り、使い魔なのだろう。
「使い魔で結界を抜けてこんでも、他にも色々連絡の仕方はあるじゃろう?」
「最近は君のところ以上に私の部下も信用できなくてね。苦肉の策さ」
「魔術教会の長も楽ではないか、テトラスティン」
テトラスティンとミリアザールが名前を呼ぶと、自嘲気味に笑う声が鳥から聞こえたような気がした。
「そういうことさ。私からも連絡したかったんだけど、なかなかね。でもそうも言ってられなそうだからちょっと無理してるのさ。でもやはりこちらは身動きが取れないし、出来れば君が私の所まで来てくれると嬉しいな」
「確かにワシらの教会にヌシが来るのはまずいかもな。では近々ワシが行くとしよう。まずはこの書類をあらかた片付けてからじゃがな」
「君も大変だ。本当は今話をしてしまいたいけど、どこに目や耳があるかわかったもんじゃないし、久しぶりに君に直に逢いたいな。おいしいお茶と菓子を用意して待ってるよ」
「ワシは菓子はともかく、茶にはうるさいぞ?」
「はは、わかったよ」
そういって鳥はざぁ、と姿を崩し何かの粉に戻る。だがその粉に戻った場所がまずかった。先ほどミリアザールが文章を書いて捺印した書類の上だったのだ。
「あああ、書類が粉まみれに。元に戻るのも場所を考えよ、まったく。じゃが、どうやらさらに忙しくなりそうじゃな・・・ふぅ」
と、一つ物憂げにため息をついたミリアザールであった。
続く
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とういうわけで次回投稿は本日11/14(日)20:00です。